第5話〈風の精霊〉


 午後、あっという間に残りの清掃も終わらせて、埜夢のむあずさのもとへ向かった。


「近くに文具屋があるの。そこで買ってきてくれる?」


 手渡された行き方の地図とリスト。

 買うものの種類は少ないが、一つ一つの量が多い。

 さらに梓は少し大きめのポーチを渡してきた。


黒葉券こくようけんは使ったことある?」

「はい。何回か兄と一緒に換券したことが」


 ポーチの中身は黒色の葉。紐で輪っかにとめられた葉が何十枚分も入っているのを見てぎょっとする。


 この黒色の葉は「黒葉券こくようけん」と呼ばれ、精霊樹の葉を加工して作られた通貨。六つ存在する箱庭で、どこでも同じ価値で使えるものだ。

 葉一枚で本を買うことができ、葉五枚で服が買える。

 それが何十枚も入っているのだから、一体どれほどの額なのか考えるのも恐ろしい。


「こ……こんなに渡して良いんですか?」

「学舎からそう遠くないから大丈夫よ」

「はぁ……ここに書いてあるものを買ってくればいいんですよね?」

「うん。私がよく行く店だから、学舎の関係者だって言えば伝わると思うよ」


 ならば問題ないだろう。学舎の清掃くらいしか能がないのなら、せめてお使いもしっかりできるようにしないと。

 幸い地理の理解には自信があるから、迷うことはない。

 学舎から歩いて十分くらいの距離に、こじんまりとした文具屋があった。


「まぁ、学舎の方? いつもありがとうねぇ。はい、確かに。これで全部だよ」


 文具屋に到着して、梓によって頼まれたと言うとあっという間に話が進み、気がつくとリストに必要なものが全て目の前に積まれていた。

 埜夢はリストに書かれているものと量を照らし合わせて、全て問題なく用意されているのを確認した。あとはこれを持ち帰るだけだ。

 ……だが、どうやって持って帰るかが問題だった。


「思ったより……多いんですね……」

「大変だったら、うちの台車を貸してあげるわ」


 埜夢が返事を返す前にすでに台車を用意されていた。準備が早い。

 ありがたく使わせてもらうことにして、埜夢は文具屋を後にした。


 帰路。台車で運ぶことになったはいいものの、その台車も結構重く、押して運ぶのはなかなか骨が折れるものだった。


「手伝ってあげる」


 後ろから声が聞こえ、ふわりと風が吹いた。埜夢の背中を押すように追い風となり、台車が心なしか軽くなった。


「ご、ご丁寧にどうも……って、貴方はっ!?」


 後ろに振り向くと、そこにいた精霊に動揺して後ろに飛び退いた。うっかり台車を倒してしまいそうになるところを精霊におさえてもらう。


「もー、荷物倒しちゃうところだったよ?」


 そこにいたのは、昨日埜夢の部屋にいた白い髪の精霊だった。長いストールとスカートが風にたなびいている。


「昨日、部屋にいた精霊……ですよね」

「うん、そうだよ」


 悪びれることもなく答える。

 精霊は埜夢が掴んでいた台車の取っ手を半分掴み、一緒に押した。


「が……学舎で働いてる、と聞きましたが」

「うん。さっきまで授業してたよ」

「え?」

「うん?」

「さっきまで授業してたんですか……? ここにいちゃ駄目でしょ!?」

「別にいいよ。これやっといてって、課題出してるから」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 こんな自由奔放で本当に学舎務めができるのか、そもそも授業を持てるほど学があるのか、失礼だと思っても聞きたいことがたくさんありすぎて埜夢は気が気ではなかった。

 しかし何から聞けば良いのか分からぬまま、学舎にたどり着いてしまった。


風花ふうか、学舎に来てたなら言ってくれればいいのに!」


 埜夢についてきた白い髪の精霊をみた梓が驚き、その様子に埜夢もさらに驚く。

 まさか梓に出勤報告をしていないで授業をしていたのか。


「あー、すみません。忘れてました」

「と、とにかく、授業の途中なんでしょ? 早く戻っておいで」

「はーい」


 暢気な返事を返した後、風のように素早く去っていった。

 ため息をもらす梓は、掴みどころのない言動に翻弄されているというよりは手のかかる子供の面倒を見る母親のようだった。


「……あ、埜夢ちゃん、お使いありがとうね」


 思い出したかのように埜夢の方に振り返り、持ってきた荷物をチェックする。


「い、いえ。店員の方に色々教えていただきましたし、その、先程の精霊にも手伝ってもらったので」

「そっか。……詩琉風花しりゅうふうかっていう子でね、訳あってうちで預かっているの」

風花ふうかさんも授業を教えているんですか?」

「うん。と言っても、不定期でね。汀音ていねさんは文字と算数だけど、風花は美術の担当だから」

「美術……ですか?」

「まあ、ほとんどお遊びの時間だけどね。好きな絵を描いたり、歌を歌ったり……。この前なんて、雲の色んな形を見て楽しむって皆でずっと空を眺めてたの」

「それって授業って言えますかね……?」


 子供達と一緒に雲を眺めるだけの様子を想像しても、昼寝をしているような光景しか浮かばない。

 だが梓は「それがいいのよ」と言った。


「学ぶばかりじゃ疲れちゃうから、風花みたいな精霊がいると子供達も楽しめるのよ」

「そ、それでいいんですか……?」

「いいのよ。学舎ができる前はそういう体でやっていたことだし」


 埜夢には、いまいちその言葉が理解出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る