第4話〈はじめての仕事〉
翌日。
昨日と同じドアを開けようとして、一瞬躊躇う。
ちらりと上を見てみるが、外からは何がしかけられているかが分からない。
何が来ても大丈夫なようにそっと扉を開けると、近くで何かが落ちる音がした。
玄関に置かれていたバケツが転がっている。それ以外は特に何も落ちてこない。
今日は何もしかけられていないのか、と安堵した後、気を取り直して控え室の方に向かった。
控え室に入ると、すでに誰かの荷物が置かれており、さらに奥、窓際に精霊がいた。
「あら、貴方は……」
昨日の夜に見かけた、青い髪の精霊だ。
まさか朝から鉢合わせるとは思わず、ドキリと心臓が跳ねた。
「あ、ぉ、おはよ、ござ」
あがり症がもろに出てしまい、上手く言葉を発せない。
緊張で固まっている埜夢をみて、精霊は優しく微笑んだ後、昨日のようにお辞儀をした。
「おはようございます。私は
「は、はいっ、ぼくは、
ここまで緊張するとは思わなかった。しかも最後に噛んでしまっている。
恥ずかしさでいっぱいになり、顔は耳まで真っ赤っか。手汗ではびしょ濡れだ。
こんなあがり症で、学舎勤めができるのだろうか。いきなり不安になってしまった。
そう思っていると、手汗だらけの両手をいつの間にか汀音に握られていた。
「埜夢さん! ここで働く者同士、仲良くしていきましょう!」
どもりや汗でいっぱいの手に何一つ触れず、明るい笑顔でそう言われてしまった埜夢は、はいと言うしか出来なかった。
彼女は自分とは正反対だ。
土くさい故郷と暗い洞窟で育った埜夢と、清らかで美しく、明るい汀音。
綺麗な白い肌も、艶のある髪も、埜夢にはないものだ。
憧れであると同時に、自分に足りないものもいっぱいあるのだと実感した。
それから少し経って、
「……あら、二人しかいないの?」
「他にもいらっしゃるのですか?」
「ええ、今日はもう一人来ているはずなんだけど……まあ、ひとまず二人に今日の内容を説明するね」
汀音は文字の読み書きと算数担当らしい。
埜夢も読み書きはできるが、算数は自信がない。容姿端麗で頭も良い汀音はまさに完璧と言える存在だった。
「埜夢ちゃんは……今日は学舎内の清掃をお願いしようかな。もしかしたらお昼くらいにちょっとお使いを頼むかも」
「分かりました」
学舎内の清掃。
大変なように感じるが、実際はほうきで掃いて水拭きするだけの簡単なお仕事だった。
学舎といえど建物自体は大きくないため、埜夢でも簡単に終わらせられる仕事だった。
(……今頃、汀音さんは文字を教えているのかな)
きっと、教え方も上手いのだろう。
学舎で働く精霊として、立派な仕事をしている。
そう思うと、何も取り柄のない自分が虚しくなって手が止まってしまった。
(僕……この仕事で合ってるのかな)
足元に目がいって、自分の持つほうきが動いていないことに気づく。
(だ……駄目だ。手を動かさないと)
思い詰めないように、体を動かして気を紛らわそう。
一心不乱に掃除をしてまわっていると、あっという間にお昼休みのチャイムが鳴った。
「埜夢ちゃん、どこまで掃除終わった?」
控え室にてお昼休憩をとっていると、梓がやってきた。
埜夢の座るソファの向かいに座り、中央のテーブルに昼食のハンバーガーを持ってきた。
もちろん、料理長の
「えーっと、ここまで終わりました……」
朝に手渡された清掃リストを梓に渡すと、驚いた表情で埜夢を見た。
「埜夢ちゃん、もうこんなに終わったの!?」
「え、あ、はい……」
「すごい早いよ! 廊下も綺麗だったし、手際が良いね」
「あ……ありがとう、ございます……」
埜夢は自分のネガティブな感情を抑えるためにただひたすら動いていたため、どれくらい早かったのか、綺麗に出来ていたのかの自信がない。
「これだけ早く終わるなら……残りの分が終わったら、お使いに行ってきてほしいんだけど、良いかな?」
「は、はい。入用のものですか?」
「うん。備品が減ってきたから、買い足そうと思って。後でお店の場所とか教えるね」
しばらくして、汀音が控え室に戻ってきた。
「遅かったね。何かあったの?」
「ええ、まぁ……」
汀音は埜夢の隣に座り、持参の弁当を広げた。
「授業の途中、子供達が喧嘩をしてしまいまして……」
「え! そうだったの……怪我はなかった?」
「はい。ただ、その後も少し険悪な空気が残ってしまって……その子達とゆっくり話をしていたら、遅くなってしまいました」
「そっか……もし本当に手に負えなくなったら私を呼んでいいからね」
ありがとうございます、と言うと汀音も少し落ち着いた様子で昼食を取り始めた。
教える立場というものは、一筋縄ではいかない。それを一人でそつなく対応できる汀音は、まさに完璧と言ったところだ。埜夢にはとてもかなわない。
「埜夢さんの方はどうですか? 今日が初日と聞きましたが」
「聞いて、埜夢ちゃん午前中だけでもうここまで終わったんだって!」
汀音がお茶を飲みながら聞いてきた。しかしなぜか向かいにいる梓が間発入れず答える。
梓は持っていたリストをそのまま汀音に手渡した。
「まあ……お昼までにここまですませてしまうなんて……」
「そ、そんな、たいしたことじゃ」
「いいえ、大したことですよ。もっと自信を持ってください。私ではここまでできません」
「そう……なんですか」
完璧だと思っている汀音にそんな風に言われても、お世辞のようにしか聞こえない。
それに、汀音と比較して自分を卑下しないために掃除をしていたようなものだ。
すごいすごいと言われても、素直に喜べない自分がいた。
「掃除って、誰にでもできるように思えて、実は難しいことだからね」
梓はそう言って最後の一口を押し込み、お茶を飲んだ。
「難しい、ですか?」
「埜夢ちゃんにとっては『できて当たり前』かもしれないけど、私達はそうでもないってことだよ」
「でも、ほうきと雑巾で綺麗にするだけですよ?」
「それが難しいのですよ」
埜夢には二人の言うことが理解できずにいたが、汀音は相変わらず微笑むばかりだった。
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