第2話
「はーい、どちら様……え?」
寝ぼけまなこを擦りながら、玄関のドアをゆっくりと押し開けた私は、思わず目をパチクリさせた。
というのも、てっきり頼んでいた通販か何かが届いたのかなと思ったら、そこには推定150㎝ほどと思われる見慣れない子ども? がちょこんと立っていたからだ。ちょうど、身長165㎝ちょっとある私が前に立つと、見下ろすくらいのサイズ感だ。
(うわぁ、ちっちゃい…。この辺に住んでる近所の子かな?)
もしかして、迷子になっちゃったとか?
そう思い、そっと前かがみになって、猫なで声で「どうしたの? お姉さんになにかご用?」と語りかけようとした、その時だった。
「――あの、」
それまでずっと黙っていた子どもが、初めて口を開く。その瞬間、私は文字通り、ぶったまげた。
(えっ⁉ 思ったよりもずっと大人っぽくて、低めの声⁉)
なぜなら、てっきり小学生……いや、中学生くらいかと思い込んでいた相手の声音はしっくりと落ち着いていて、どこか子どもらしからぬ色気さえ感じさせる。
(お、お、女の人…だよね? たぶん…)
頭のてっぺんからつま先まで、じろじろと視線を行き来させながら、私は口元に手を当てて、反応に困る。
――だが、私がその性別に「……?」と疑問を持ったのも無理はない。
なぜなら、少し掠れていて、低めのその魅惑的なハスキーボイスに対し、フードの下に隠した相手の素顔は、まるでお人形さんのような整った顔立ちをしていたからだ。
スッと通った鼻筋、きゅっと引き締まった小ぶりな唇。おまけに、顔の輪郭はシュッとしていて、肌も白雪姫のようにきめ細かく色白で、どこか儚げな雰囲気を醸し出している。
しかし、その陶器のように色白な肌に反して、目元はキリッとクールでありながら、どこかネコ目っぽくこちらを誘うようでもあって、うつむく度にショートの黒髪がサラッと目にかかって影を落とす。
その、やけに大人びた中性的な顔立ちと、白と黒のコントラストが生み出すミステリアスな感じ。そして、華奢な肩のラインを隠すように、わざとダボっとした全身黒ずくめのパーカーを着ているのが、余計にその性別を分からなくさせていた。
(それにしても、ほんっとキレイな顔をした子だなぁ。なんだか、女の私でもドキッとしちゃうくらい……)
思わず惚れ惚れして、相手の顔をまじまじ見つめていると、私の視線に気圧された女性がビクッと後ずさる。
「あ、あの……なにか?」
そう言われて、私はやっと我に返った。
(ハッ! ジロジロ見ちゃって、超失礼だったよね…⁉)
「す、すみません…! あまり見かけない方だなと思ったもので、つい」
しどろもどろになりながらも、もっともらしい言い訳を並べると、相手は納得したようにあっさり引き下がる。
「あ、そうなんです。実は今日、隣に越してきた者で。あ、えっと、コレ……」
そう言って、相手がおずおずと差し出してきたのは、デパ地下とかに売ってる有名店の菓子折りだった。そこで私はようやく、彼女が迷子でもなんでもなくて、ただ引っ越しの挨拶に来たのだと理解した。
「わっ! わざわざ、ご丁寧にありがとうございます」
(や、やだ…。それなのに私ったら、こんな格好で恥ずかしい…)
今更あたふたして、パジャマの胸元をクイクイと上げたり、裾を軽く手で直しつつ、私はそれを受け取ると、改めてお隣さんに自己紹介をする。
「はじめまして。二○二号室に住んでます、
すると、相手もそれに倣って、簡潔な挨拶を返す。
「二〇三に越してきた、
(学生さん、か……。じゃあ、ちょうど凛と同じくらいかな?)
ついこの間、成人を迎えたばかりの、今はまだ実家にいる年の離れた妹のことを思いながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、海堂さんが「じゃあ、自分はこれで……」と、早々に退散しようとする。
「あ、ハイ! どうも」
ペコペコと頭を下げつつ、相手が引っ込むのを待ってから、私はそっとドアをパタン…と閉める。そして、扉に背中を預けながら
(海堂さん、か。ちょっと無愛想だったけど、悪い子じゃなさそう…♪)
と、一人でくすっと思い出し笑いをすると、私は軽い足取りで室内へ戻り、再び惰眠の限りをむさぼった。
その晩、長い昼寝から目が覚めると、ワタリのSNSが更新されていて、近々、復帰配信が行われることを知り、私が歓喜したのはまた別の話である――。
* * *
「ふん、ふふん♪」
翌週――。
鼻歌まじりに会社の廊下を歩いていると、ふいに背後から肩をトントンと叩かれた。誰かと思って、くるりと振り向くと、まくったシャツの袖口から覗く筋肉質でたくましい腕が印象的な、見慣れた顔があった。
「どうした、鈴本。今日はやけにご機嫌だな」
「あ、
この人は波島さん。私の教育担当で、部署内でもいつもみんなを明るく引っ張ってくれる、頼れるお兄さん的存在だ。
「何かいいことでもあったのか?」
「えへへ。実は今日の夜、ちょっと楽しみなことがあって…」
そう。今晩は待ちに待った、ワタリの復帰配信の日。この約一週間、いつもの定期配信がなくて、どれほどワタリ不足だったことか……。でも、それも今日まで。
(また、あの元気な声が聞ける…! カワイイ笑顔に会える…!)
そう考えるだけで、にやけが止まらない。
すると、頬をだらしなく緩ませて「あ~あ、早く夜にならないかな」と、今から思いを馳せてる私を見て、波島さんが遠慮がちに尋ねる。それこそ、まるで訊いてもいいか、探り探り反応を窺うように。
「それって、彼氏…とか?」
一瞬、キョトンとして波島さんの顔をまじまじと見つめ返す私。だが、すぐに「ぷっ…」と小さく吹き出すと、
「あはは、全然違いますよぉ~。というか、彼氏なんてもう何年もいませんし」
と、顔の前で手をブンブン振りながらそれを笑い飛ばした。
…正確に言うと、お付き合いをした人は何人かいる。
だが、どうしても相手がそういう目的なんじゃないかと思うと、怖くてそれ以上先へ進めず、どれも長続きはしなかった。
(でも、どうしてだろう。ワタリを推してる間だけは、そういうことを全部忘れられるんだよなぁ)
客観的に見たら、ただ逃げてるだけだと思われるかもしれない。
だけど、「もしかしたら、もう自分はこのまま一生誰かを愛せないんじゃないか」と本気で悩んでいた私にとって、こんなにも好きになれる存在に出会えたことは奇跡に近いし、性別不詳でバーチャルなワタリだったからこそ、ここまで惹かれたのだと思う。
(――よし! 今日も一日、頑張ろ!)
私は過去を吹き飛ばすように心の中で拳を小さく突き上げると、波島さんに「ほら、行きますよ」と促して、一歩踏み出した。
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