第1話
――カツ、カツカツカツ!
ハイヒールを打ち鳴らしながら、私は怒涛の勢いで階段を駆け下りていく。なぜなら、
「3番線、まもなく電車のドアが閉まります。ご注意ください」
「わああ! 待って、待って……!」
――プシュー…。
「はあ゛あ゛あ゛あ゛~~~」
なんとか終電間際の車内に滑り込むと、私はそのまま膝から崩れ落ちるように、その辺の空いている適当な座席にドサッと腰を下ろし、オッサンのような声を上げる。
――以前勤めてた会社を辞め、今のゲーム会社に転職してから一年。
仕事は大変だし、覚える事も多くて残業も当たり前だけど、やりがいを感じている。なにより、
「…ハッ! 今、何時⁉」
しばらく、そのまま疲れ切った体を背もたれに預けて呆けていたが、何かを思い出したように慌てて飛び起きると、私はいそいそとバッグからスマホを取り出す。
パッと画面を見てみると、携帯の液晶には22:59と表示されていた。
「やっば! もう始まっちゃう…!」
片手にスマホを持って時間をチラチラ気にしながら、もう片方の手でカバンの中をゴソゴソ漁り、ぐちゃぐちゃに絡まったイヤホンを強引に引っ張り出す。
そして、目にもとまらぬ速さで、それをスマホにぶすっと挿し、もう慣れたものである高速タッピングでアプリを開いていくと、ちょうど左上の時計の数字がカチッと23:00に切り替わったところだった。
『こんばんわーたりっ! みんな、今日も一日お疲れ様! 今日も頑張って偉かったね、よしよし』
画面の向こうから、こちらを覗き込むように首をちょこんと傾けて、頭をナデナデするようなジェスチャーを送る大天使。
「はわわわわわ……」
どうやら間一髪、間に合ったらしい。
イヤホン越しに直接耳へ流れ込んでくる、その至福の癒しボイスに、私はスマホを両手に握りしめたまま、電車内で一人、恍惚とした表情を浮かべる。
――そう。毎晩、この時間から推しの定期配信があるのだ。
ちょうど仕事が終わって帰宅途中の時間帯なため、こうして人もまばらになった電車に揺られながら、推しの声を聴くのが私の日課となっている。
すると、画面の中の天使がパチンと両手を合わせて、申し訳なさそうに話を切り出す。
『みんな、ごめん…! 配信始まったばっかりなのに、こんな話をするのは心苦しいんだけど、ここで一つ残念なお知らせがあるんだ』
その瞬間、画面を流れる【なになに】や【どうしたの?】というコメントの嵐。残念なお知らせと言われて、私の胸にも一抹の不安がよぎる。
私は、改めてスマホをきゅっと握りしめ直すと、推しのその言葉の続きを祈るような思いで待った。
『実はね……ボク、しばらくの間、定期配信をお休みすることになりそうなんだぁ……』
「えっ……」
ショックのあまり、ここが電車内ということも忘れて、私は声にそう出していた。まるで、心臓が急にズンと鉛のように重たくなったみたいだった。
(お休み……? それってつまり、活動休止ってこと? なんで? しばらくって、どれくらい……?)
言葉にならない質問が頭の中をグルグルする。
それは、コメント欄にいた他の人も同じだったらしい。みんな、【お願い。嘘だと言って】【は…? ちょっと待って。どういうこと?】とすっかり混乱していた。すると――。
『ごめん、ごめん! ボクの言い方が悪くて、びっくりさせちゃったね』
リスナーのその動揺っぷりを見たワタリが慌てて謝罪し、こう付け足す。
『お休みって言っても、しばらく配信ができないってだけで、活動を休止するわけじゃないよ。他のSNSとかには、普通に浮上するし』
(ホッ、よかった……)
その言葉を聞いて、私の心はさっきまでの感覚がウソのように、羽根みたく軽くなる。
だが、そうなると、残る質問「なんで、お休みするの?」というのが、ますます気になってくるところ。その理由については、本人が配信上でこう語ってくれた。
『実はボク、近々お引っ越しする予定なんだ~。だから、荷物を詰めたり、新居でのネットや配信環境が整うまで、ちょっとバタバタしそうで。でも、それが全部終わったら、ちゃんとまた戻ってくるから。ね?』
その、幼子に言い聞かせるような優しい口調は、杞憂しちゃうファンを安心させるためのものだろう。そんな優しいところも、私がワタリを愛してやまない所以の一つだ。
(引っ越し、かー…)
私は後ろへのけ反って、天井の蛍光灯をぼんやり眺めながら、内心つぶやく。
普段は、バーチャルという手の届かない世界の中に生きていて、ついつい忘れがちだが、こういう時、ワタリもこの世のどこかで生きている人間なんだなぁ~と、しみじみと思い知らされる。
(そうだ! え、えーっと……)
がばっと体を起こすと、私は膝の上に置いたスマホを顔の前に構える。そして――。
【ワタリ、お引っ越し大変だろうけど頑張ってね! また、元気いっぱいの姿で配信してくれるのを待ってるよ(^^)/】
口先をむぅと尖らせて、集中しながら一文字一文字、丁寧に打ち込んでいくと、私は最後に【コメント送信】のボタンをえいっと勢いよく押す。
それが、まさかあんなことになるだなんて、この時は夢にも思わずに。
* * *
それから、私も仕事漬けの毎日に追われ、数日が慌ただしく過ぎ去っていった。そして、待ちに待ったあくる週末のこと。
――ピンポーン。
その日、昼過ぎまでベッドの毛布にくるまっていた私は、ふいに鳴り響いたインターホンの音に揺り起こされた。
「うぅ~ん……」
だが、一歩たりとも動きたくない。
逃れるように、ズルズル…と毛布の下に潜り込んで耳をふさぐと、私は二度寝の体勢に入る。しかし、
――ピンポン、ピンポーン。
「………」
こうも立て続けに鳴らされちゃあ、さすがに起きるしかない。
(だれぇ……? もう~、休日くらいぐっすり寝させてよ)
寝ぐせで広がった髪をポリポリ掻きつつ、重たい体を引きずって玄関へ向かう。ついでに、服もキャミ一枚にもこもこのショーパンという、いかにも寝間着姿のままだったが、今は構うまい。
「はーい、どちら様……え?」
そう言いかけて、玄関をガチャリと開けた私は驚いた。
なぜなら、そこには見慣れない顔の、推定150㎝くらいと思われる小柄な少女…? が立っていたからだ。
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