バーチャルの海を渉って、キスしにきて。

雨下

プロローグ


 ――ずっと自分のこの体つきがコンプレックスだった。


 同い年の女の子よりも発育が早く、突出した胸元。生まれつき大きくプリっとしたお尻。


 そのせいで学生時代はとても苦労した。胸元が揺れたり出たりする体育やプールの時間が何よりも憂鬱で、更衣室で着替える際も周りは女子ばかりだというのに、コソコソと端で人目から隠れるように制服の下で脱ぎ着をしていた。


 思春期の頃はそれはそれは悩み、思いきって周りの友達に本気で相談したこともあったが、「え、なに。巨乳自慢?笑」と一蹴されるだけでまともに相手にはしてもらえなかった。

 当時は周囲のその反応に深く傷ついたが、社会人おとなになって、それはまだ可愛いものだったのかもしれないと気づかされた。


「ちょっ、やめてください…っ!」

「いやいや、そんなんじゃ肩凝りやすいでしょ? おじさんが揉んであげようかと思って! なんちゃって、ガハハハッ!」


 飲み会という判断能力が失われた席で、上司から浴びせられるセクハラの数々。なぜか面と向かって話していても、自分の顔よりもやや下あたりにジロジロと向けられる不躾な男性社員の視線。


 それだけならまだ耐えられた。


 だが、挙句の果てには、その場に居合わせた女性同僚やお局的存在の先輩からも目の敵にされ、「あの子は女を武器に媚びを売って気に入られている」「本当に嫌ならもっとはっきり拒否すればいいのに、ねえ?」と陰口を叩かれる始末。


 誰も助けてくれる人などいなかった。


 その結果、人間不信に陥り、通り過ぎる人すべての視線が怖くてたまらなくなった私は心身ともに病み、会社も休職した。

 日がな一日、閉めきった自室のベッドの上にこもって泣いては呼吸を繰り返すだけ。そんな廃人のような生活を送っていた。


 だが、そんな私の暗雲とした日々にある日突然、一筋の光が差した。


「………」


 それはいつも通り、何気なく布団の中でユー○ューブを開いて、何をするでも見るでもなく、ただぼーっと暗闇の中で光る液晶画面を眺めていた時のこと。たまたま、オススメ欄に表示された一本の動画が目に飛び込んできた。


「ワタリ、カイ……?」


 サムネには、ほんの少し垂れた犬耳をぴょこぴょこさせて屈託のない笑顔を見せる、少年…?のようなキャラ絵。別に興味もなかったが、その可愛らしい絵のタッチに惹かれ、私は気づけば動画をポチっと押していた。


『こんばんわーたりっ! みんな、今日もボクの配信に来てくれてありがとうーっ!』

「わわっ……!」


 その瞬間、スマホから溢れ出す明朗快活な声。そして、それに合わせて表情を動かしてみせたり、手を振る画面の中の男の子。Vtuberというものにまだ馴染みがなかった私は、純粋にその技術に驚いた。


(画面に映ってるのはたぶん…男の子、だよね? でも、声はすごく可愛らしい…。ひょっとして、女の子…? いや、でもどちらかと言うと〝少年〟に近いような…)


 そのVtuberは、いわゆるショタボという、男の子にも女の子にも受け取れる両声類の声質をしていて、初見ではその子が男の子なのか女の子なのかすら私には分からなかった。


 すると、私が考えを巡らせていたその間も滝のような勢いで流れていくコメントを上手く笑顔でさばいていた配信者が、ちょうどそんな私の心の疑問に答えるかのように、タイムリーなコメントを一つ拾った。


『えーっと、なになに。【で、結局お前の性別はどっちなんだよオカマ】』


(うわぁ……。ヤな言い方……)


 その言い回しからして、配信者に好意などなく面白半分な好奇心で質問をぶつけているのは私の目にも明らかだった。だが、


『んー、よく聞かれるんだよねぇ。やっぱり気になっちゃう?』


 当の本人はまるで気にしていない様子で、あっけらかんと受け流す。それどころか、瞳をきゅるんとさせいたずらっ子のような笑みでそう聞き返してみせた。


(あ、れ…?あんまりショックじゃなさそう…。もしかして、普段からこういう質問が来るのかな?)


 この時は、いつものお決まりの流れで本人はもう慣れっこなのかもしれない、くらいにしか思ってなかった私だが、今思えば、顔もそれこそ性別も知らない赤の他人からいきなり喧嘩腰で来られて、いい気などするはずもない。ワタリはきっと、配信の空気を悪くさせないように、わざと明るく振る舞っていたのだ。


 すると、荒れ始めたコメント欄に対してしばらくの間『あはは、ボクは大丈夫だから~』と視聴者の声援に応えつつ、なだめていたワタリだったが、急に動きをぴたっと止めると、大真面目なトーンでこう言い放った。


『――でもね、ボクはボクだよ。それ以上でも以下でもない』


「……!」


 その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。自分と違って、性別にとらわれず、真っ直ぐに堂々とそう返すことができるワタリの姿に。


「そっか……。そうだよね……あはは、なんだ……。……っ」


 それからというもの、私はワタリの過去配信やSNSを夢中になって漁った。その中の一つ、彼の独占インタビュー記事にこんなことが書いてあった。


【Q. ワタリ カイさんは性別不詳のVtuberとして現在ご活躍されていますが、それはどうして性別を公表されないのでしょうか?】


【A. あー…。よく聞かれるんですけど、せっかくバーチャルの世界に生まれたのに、性別に縛られるのはもったいないなと思って。一度きりの人生、ボクという性別を思いっきり楽しみたいんです。】


 気づけば、私はすっかりワタリの虜になっていた。

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