Seventeenth shot おぞましき疑惑

 金曜の放課後。ルナたちは、棟田ら〝捜索隊員〟に連れられて教室を出て行った。リストアップされた四人がどんな顔をしてるのか、実際見に行くようだ。

 気には掛かるものの、俺は塾があるから付いていけない。


 例のごとく、生物実験室の前を通ると、引き違い戸は開いていた。

 でも、今日は黒波の姿がない。

 男子部員どもは、それぞれが担当する飼育ケージや水槽の前で、雑談しながら忙しなく作業をしている


「おいおい、このニホンヤモリ、どんどん弱ってるよ。困ったなぁ」

「こっちのウーパールーパーだって、あんまりエサを食わないんだ。黒波が手伝ってくれたら、もうちょっと元気になるかもしんないのに」

「でもさ、黒波の方も、子ウサギは元気満タンだけど、親ウサギの方はそうでもなさそうだぞ」

「そう言えば、黒波はどうしてんだ?皆勤賞のあいつが休むなんて、珍しいな」

「あれ、先輩知らなかったんですか?黒波さん、今日から毎日は部活に出てこられなくなりますよ」

「何だって?どうして?」

「それは……」


 このとても大事なところで、一年生部員数人と、生物教師で生物部の顧問でもある菊地がぞろぞろとやってきた。

 引き違い戸の前に立っていた俺は一も二もなく歩き出し、何食わぬ顔で菊地らとすれ違う。


 黒波が部活に来ない理由って、一体何なんだろう。もしかして病気とか?


 黒波に何が起こったのか、ぼんやりと考えながら自宅に戻り、自転車で塾に向かう。

 俺が通っているのは、市内でも一番大きな進学塾だ。

 三階建ての自社ビルで、小学生、中学生、高校生それぞれの学年にいくつかのクラスが設けられている。高校二年の部は、学力と志望校に応じて標準クラス、特進クラス、選抜クラスに分かれ、関東の文系中堅私大を狙ってる俺は標準クラスに入っている。

 定員二十人の教室は席が自由で、俺はいつも後ろ寄りに陣取る。


 席についてスクールバッグから教科書やノートを出していると、空いている右隣の席に誰かが座った。


「大鳶くん、こんにちは」


 右隣から呼びかけてきたのは女子の声だ。クラスには同じ高校の生徒が三人いるけど、全員男子だったはず。反射的に声の主を振り向き、俺は目をぱちくりさせた。


「く、黒波さん?」


 俺の目の前に、笑顔の黒波が座っていた。


「えっ、どうして君が……」

「ふふっ、あたしだって一応受験生よ。今までは部活漬けの毎日だったけど、そろそろ勉強にも力を入れなきゃと思って。今日からこの塾に入らせてもらったの、月水金、週三日」


 生物部の奴が「黒波さんは毎日部活に出てこられない」と言ってたのは、これだったのか!


「標準クラスに?黒波さんなら、特進クラスとか選抜クラスに入った方がいいんじゃないの?」

「あたしは東京や関西の難関大学に行く気はないの。地元の私立大か、短大でもいいと思ってる。それに今の部活がすごく楽しいから、三年生になっても続けたいし」

「黒波さんの実力だったら、こんな塾に来なくても、地元の大学くらいは楽勝で受かるんじゃないかな」

「それは過大評価し過ぎよ。あたし、学校のみんなが思ってるほど優等生じゃないわ」

「そうかな〜」

「そうよ。それにこの塾のこと、まだあんまりよくわからないから、いろいろ教えてね」

「も、もちろん!……ただし、勉強の中身については自信ないけど」


 それは本当なんだから、見栄を張ってもしょうがない。でもそんな俺を、黒波は温かい眼差しのままクスッと笑った。


 いい子だよな〜〜〜〜〜〜〜〜。


 ルナと初めて会ってからこのかた、俺は彼女の可憐さや、優しさや、思いやりの深さにすっかり惹き付けられていた……と思う。でも、黒波とこんな風に打ち解けて話せるようになると、ルナに対するものとはまた異質な、けれども厳密には同じ範疇に入りそうな感情を抱いてしまうんだ。


 優柔不断と責められようが、黒波もやっぱりいい!ああ、甲乙付けがたい!!


 しかもこれから週三回、学校以外の同じ場所で黒波に会えると思うと小躍りしたくなる。

 会話がもっと弾んで、もっと仲良くなれたなら、学校の連中も知らない黒波のプライベート情報を彼女の口から教えてもらえるようになるかも……ていうか、俺は彼女の私生活をほとんど知らない。彼女がどこに住んでいて、どんな家族構成で、親はどんな仕事をしてるのか。


 英文法、古典、現代国語と、今日の授業が一通り終わり、俺は一緒に帰ろうと黒波を誘うつもりでいた。

 ところが、講師と入れ違いに教室へ入ってきたクラス担任の岡本が、俺より先に黒波へ声をかけた。


「黒波、今日少しだけ残ってくれ。これからのカリキュラムの内容について、確認したいことがいくつかあるから」


 「はい」と立ち上がった黒波は、俺を振り向き白い歯を見せた。


「じゃ、またね」

「うん、また」


 肩すかしを食らい、俺はとぼとぼと塾を後にした。

 自転車で二、三分走ったものの、後ろ髪を引かれてブレーキをかける。


 校舎の前で黒波を待ってみようか……。

 そんなの、俺が彼女に気があるのバレバレだよな……だけど……。


 しばらく思い悩んだ末に、俺はハンドルを塾の方向へ戻した。

 これまでの俺の過去を振り返って、女子に対してかつてない積極行動だ。


 俺は塾の駐輪場で、黒波が出てくるのを待った。

 生徒はほとんど帰ったらしく、自転車は数台しか残っていない。


 十分……二十分……三十分。この間に、講師や事務職員らも次々と校舎から出てきて徒歩や、自転車や、隣接する専用駐車場から車で帰宅していく。


 何か変だ……。


 駐輪場に自転車を取りに来た男性職員が、怪訝そうに俺を見た。


「どうした?誰か待ってるのか?」

「はい……同級生を……ちょっと」

「君は、高校生クラスだな。でも、建物の中にはもう誰もいないぞ。僕が最後だから。後は警備会社が施錠に来るだけだし」

「ええ?だって、黒波は居残りで二年の担任の岡本先生と面談してるんじゃ……」

「岡本先生?とっくに帰ったんじゃないか?君もこんなとこにずっと立ってないで、早く家に帰りなさい」

「はあ……」


 警備会社の車が駐車場に入ってきたので、男性職員は引き継ぎのためかそちらへ足早に去っていった。


 俺が駐輪場を出て、また戻ってくるまで、十分くらいしか経ってないはず。その間に、二人とも帰ってしまったんだろうか。

 いやいや、どうにも腑に落ちない。


 ん?ちょっと待て。担任の岡本。三十代前半と思われるひょろっとした体型の男性で、授業をする講師ではなく、生徒の受講管理や事務を担当し、進路相談にも乗って勉強のアドバイスをすることもある。あいつ、この四月から新しく採用された担任だったんじゃ……。


 この四月からって……岡本は、まさか……まさか……。

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