第四話 回想と噛み痕①

 それからしばらくの間、私塾は休講する事になった。全身鱗姿で亡くなった老婆の話は市中に瞬く間に広がり、危機感を抱いた子供たちの親が子供たちを出歩かせたくないのだと申し開きがあったのだ。

 あれからまた数人の犠牲者が出たらしい。狙われたのは若い女性が多く、最初の犠牲者と同じように全身にびっしりと鱗を生やして死んでいたそうだ。住民には人通りの少ない所に入ったり、夕暮れ以降出歩いたりしないようにと勧告が出された。

 そういった状況では子供を持つ親たちの心労も已む無しというものだろう。結局半分以上の子供の親がそう願い出たため、私塾も休まざるをえなかったのだ。


 休みになってからというもの、イスカは嘘のように暇になった。仕事が無いとこんなに暇なのかという事を身を持って知らされた。

 毎日昼近くに起きてだらだらと過ごすだけ。時折心配したシャロンが食べ物やらなんやら届けてくれているが、それが無ければ食事すら碌にとらなかった事だろう。


「……何かやらなきゃ、このままじゃだめだ」


 でも何をすればいい? イスカはこれまで只まっすぐに仕事に打ち込んできた。いつか帰ってくるローレンスを待ちながら、自分に出来ることを必死にやってきたつもりだ。

 けれど今はそのどちらも無い。

 イスカは独りぼっちで何もする事が無く、唯唯日がな一日を無為に過ごしている。正直何もやる気が起きない。今まで忙しくしていた反動か、イスカは軽い無気力状態に陥っていた。


 変わったことと言えば、ジンロもあれから姿を見せなくなった。もう一週間近く見ていない。こんなに長い間あの子と離れたのは初めてだった。眠るところはあるのだろうか、ご飯はちゃんと食べているのだろうか。ジンロはしっかりしているからおそらく大丈夫だろうけれど、やっぱり寂しかった。半身が抜け落ちた様な空虚感が付きまとう。もしかしたら、一番ショックなのはジンロの事かもしれない。


 その時窓に小石が当たる音がして、イスカはベッドから腰を上げた。窓の外を覗くと、家の入口に一人の女性が立っていて、こちらを見上げている。


「イスカー、起きてるー?」

「フェリシア! どうしたの?」


 イスカは慌ててパジャマを脱ぎ服を着替えた。適当に寝癖を整えると階下に降りる。玄関にいたのは間違いなくフェリシアだった。イスカのだらしない姿を見るなり、やれやれと肩をすくめる。


「やっぱり……風の噂で塾が休講になってるって聞いて、来てみれば案の定か」

「……フェリシア、ごめん。どうしたの?」

「どうしたの? じゃない! 様子見に来たの! あんたあの時あのまま引きこもっちゃったから心配したんだからね!」


 イスカはばつが悪くなって、肩を縮めた。そうだ、ローレンスと再会した時、彼女も近くにいたのだった。何も言わぬまま飛び出して、さぞ心配したに違いない。


「ごめん」

「謝る位なら連絡の一つも寄越しなさいよ、まったく」

「うん、ほんとにごめん。そうだ、せっかく来てくれたんだしお茶でも―――」

「ああ、それはいいわ。今日はあんたを連れだしにきたんだから」


 イスカは目を丸くした。フェリシアは得意げにウインクを返すと、町の方を指差す。


「気分転換、あんたどうせ部屋で腐ってるだけだったんでしょ?付き合いなさい」


 有無を言わさぬ口調でフェリシアはイスカの手を取った。是非も無いままイスカはフェリシアに連れられ、数日ぶりに町へと繰り出した。


 ◆

 燃える様な金色、それは夕暮れの空に映える美しい蜃気楼。整った顔立ちは教会で見た大天使の絵を思い起こさせた。だがその幻想的で甘美な姿とは裏腹に、その男はひどく嫉悪で怒った様な顔をしている。

 そして何故か、こちらを責めるように険しい口調で何かを言っている。声が聞き取れない。けれどその言葉は決して生易しいものではないという事だけは理解できた。鋭い棘に似た容赦のない罵倒の言葉だ。

 蜃気楼の如く突如現れた男からの理不尽な叱咤。まるで高尚な説教でも喰らっている気分だ。

 自分は何故この男に怒られているのかわからない。何故だか無性に苛々した。何かを言い返そうとして、


――そこでローレンスは、はっと意識の海から浮上した。



 メルカリアの軍需施設は副都だけあってそれなりの設備が揃えてある。国内でも王都に次いで所蔵数の多い武器庫や訓練所、中でもメルカリアの特有施設とも言うべきものは、蔵書五万冊を超える資料庫だ。

 軍事に関連する書物を始め、一般書籍や新聞のアーカイブなどが数多く収められており、その一部は一般庶民にも解放されている。だが、軍関係者にとってこの資料庫の大きな利点は、過去数百年規模に渡る災害・事件・戦争の記録が一手に集められている事にある。その所蔵数は膨大で、資料庫の述べ五割近くがこの類の資料の所蔵庫となっているのだ。こちらは騎士以上の軍関係者、及び騎士団団長以上の階級の者に閲覧を許可された者しか立ち入る事は出来ない。中には最重要機密ともいえる情報が山積しているからだ。


 ローレンスはひっそりと静まり返った資料庫に一人座っていた。最小限しかない光源を補うため手にはランプを携えているが、それでもすぐ先を照らす事がやっとの場所だ。

 ローレンスが背を預けていた書棚の分類板には『犯罪履歴(年代順)』と記されていた。書棚の奥はどこまでも闇が広がっており、終わりが見えない。それでもローレンスは臆すことなく書棚の隙間へと身体を滑り込ませ身を置いていたのだが、


「いかん……、少し眠ってしまっていたか」


 この薄暗い室内では時間の経過がわからない。どれくらい経ったかもわからぬまま、気づけば夢現になっていたようだった。


 妙な夢だった、いや、正確には夢ではなく現実にあった記憶を思い起こしていただけだ。


(ここしばらく思いだす事はなかったが……、変な話を聞いて思いだしてしまったか)


 先日、猟奇殺人の事情聴取へ向かった時に付き添いの兵から聞かされたお伽噺、そして実際に現れたという虹色の羽をもつ男の話。あの時ローレンスは一蹴したが、本音を漏らすとあの話に一番動揺していたのは自分かもしれなかった。


(……いいや、ただの偶然だ。そんな事よりも作業を進めなくては)


 ここ数日、ローレンスは書庫に籠って犯罪の記録ばかりを読み続けている。先日遺体となって発見された全身鱗まみれの者たち。騎士団が調べた結果、それらの遺体には鱗だけではない奇妙な点が幾つかあった。

 まず、遺体の内臓と脳味噌が欠落していた事。まるで猛獣に喰い破られたかのように腹が裂かれ心臓や肝臓などが軒並み消えていた。特に脳味噌は血液や肉片が散乱していた中にも一片たりとも見当たらなかった。跡形も無く消失していたのだ。

 もう一つは、遺体は驚くほど青白く変色しまるで干からびたミイラの様な状態であった事。これは鱗を剥いで見てわかった事だ。このような症状になる要因は一つだけ。血液が全て抜かれているせいだ。現に切開を行った時、遺体からは血の一滴も流れなかった。

 事実各地で起きていた同事件の資料を取り寄せたところ、どの遺体も差はあれど同じような状態だったらしい。


 これを聞いたローレンスは一つの可能性にいきあたった。

 人肉食。犯人はおそらく被害者の内臓と脳を喰らい、血を一滴残らず飲みほした。鱗が生えるという奇特な症状に隠れて取り上げられてはいないが、こちらの方が猟奇的でおぞましい事実だ。しかもそのやり口からして相当の手垂れ、となれば過去にも同じような事件を起こしているのかもしれない。

 そう踏んだローレンスは、連日資料庫に通い詰め犯罪名簿をあさっていた。同じように欠損で亡くなっていた遺体、人肉食を行っていたと思われる人間、投獄歴の有無にかかわらずここ数十年の記録を洗い、可能性のある犯人を捜し出す。

 惜しむらくはこの犯罪者名簿が犯別になっていない事だった。年代でしか分けられていないため、軽犯罪、重犯罪問わず資料に上がってくるのは痛かった。


(あいつは犯人はまだ若い男だと言っていた、外見年齢を大雑把に見積もっても十代からせいぜい三十代。だとすると年代順でも大分絞られる方ではある、のだが……)


 数冊に目を通すと、ローレンスは首を大きく振りかぶってため息をついた。やはり見当外れなのだろうか。今手に取っているのは十年前の事件記録、残虐な殺人はあっても今回の様な人肉食にあたる記述は出てこない。


 ローレンスが資料庫で粘り始めてから半日が過ぎようとしていた。さすがに集中力と気力の限界だ。今日は次の一冊で最後にしよう。ローレンスは最後の一冊と決めた本を手にとった。それはちょうど二十年前にさかのぼる犯罪履歴の書いた資料だった。

 ローレンスはほとんど期待も無く本を読み始め、そして、見つけた。


『四肢欠損、及び心臓抉出死体事件の詳細に関して』


 ローレンスは思わず声を荒げてしまった。今回の一件と似通った単語が躍っている。息を整えてローレンスはその箇所を読み始めた。


『○○年△日××日、南方の地方都市サファリスにて大量虐殺事件が発生した。サファリスに住んでいた百余名の住人が、四肢欠損及び内臓摘出の状態で発見されたのである。奇妙な事に彼らが失った身体の部位は周囲のどこにもないにもかかわらず、傷口や内臓を取り出した切開痕は鋭利な刃物で切り裂いたかのように綺麗だった。当初騎士団は猛獣による捕食行為かと踏んでいたが、若い女性や子供などを的確に判別し襲い、正確な摘出処理を行っている事から人間の所業である可能性が高いと断定し、人肉食或いは呪術的使用の面から犯人を追う事にした。

(中略)

 事件があった当日町の近辺で全身を赤く染めた奇妙な男がうろついていたとの報告があった。騎士団は後日この人物を特定し、最重要参考人として指名手配書を発行した。―――』


 ローレンスはごくりと唾を飲み込んだ。次のページに、おそらくこの事件の犯人であろう人物が載っている。ローレンスは震える指でページをめくり、そこに描かれていた犯人の姿を見た。

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