第三話 忘れられたお伽噺②

 ◆

 兵が語ったその物語はイスカも聞いた事のないものだった。子供たちも初めて聞いたのか時折感嘆の声を上げながら、その物語を楽しそうに聞いていた。


「この話はちょうど俺たちが子供の頃に一世を風靡した話で、名も知らない作家が作ったおとぎ話なんじゃないかと言われているんだ」

「本になったり、劇になったりはしなかったんですか?」

「無かったね。何というか、人々の間で噂話のようにひっそりと語り継がれて、ある時期を以てぱったりと語られなくなった、そんな話さ。確かに蜥蜴の王なんかはインパクトあるんだけど、ほかの児童書のように王子様やお姫様が出てきてドラマティックな話が展開したり、何か教訓めいた事を言っているわけでもないから。あまり取り上げられずひっそりと廃れていったのかもね」


 イスカは鱗の生えた青年を思い出した。頬に触れられただけで、皮膚が鱗に生え換わるおぞましい感触。話に登場する蜥蜴の王と同じ力だ。


「物語に登場する獣王にはいろんなバリエーションがあるんだけど、どのパターンにも必ず登場する動物がいる。―――虹色の美しい羽を持つ鳥だ」

「それきっとあの人の事だよ!」


 大人しく兵の話を聞いていたアナが嬉しそうに飛び上がった。


「アナ、あの人って?」

「先生を助けてくれた人ね、背中に虹色の羽が生えたの!皆も見たよね?」


 子供たちは一斉に頷いた。逆に大人たちは呆気にとられた様子で目を丸くする。

 と、ここまで会話にも混じらずに沈黙を貫いていたローレンスが異常なほどに眉をしかめた。


「虹色の……羽……?」

「マクミラン殿?どうかなさいましたか?」


 難しい顔で考え込むローレンスを兵が覗きこむ。何かを瞑想しているかのような声をかけがたい雰囲気だったが、すぐに我に還ると呆れた顔で一蹴した。


「馬鹿馬鹿しい、何が蜥蜴の王だ。お伽噺だ」

「なによ、私たちが見た事が信用できないって言うの?」

「子供の言う事など信じられるか。空想はお遊びの中だけにしておくんだな。そもそもお前がくだらない話を始めるからだ」


 ローレンスが話を聞かせてくれた兵を叱咤すると、子供たちはローレンスに向かって口々に文句を垂れる。イスカは慌てて彼らを窘め、ローレンスに向き直った。


「ローレンス、確かに信じられない話かもしれない。でも私は子供たちが嘘を言っているとは思えないし、現に私もあの男の恐ろしさは体感したわ。私の話しすら信じてもらえないの?」

「信用できないな、残念ながら」

「――!」


 イスカはぐっと息を詰まらせた。


 ――信用できない、イスカの事など。

 その言葉が予想以上にイスカの心に重くのしかかった。かつての友、二年間思い続けてきた想い人。彼から放たれる無慈悲な言葉。


「だったらどうしてこんな所まで来たのよ⁉ 信用できないんなら初めから来なければいいじゃない!」

「言ったはずだ、俺たちは騎士団の任務で連続殺人犯について調べていると。そのためならどんなところにだって足を運ぶし、どんな奴の話だって聞く。ただし、それが真実かどうかを判断するのはまた別問題だ」

「ローレンス! あなただってこの私塾の卒業生じゃない! どうして――」

「悪いが俺はこの場所に対して未練も思い入れもない。全て忘れた、俺にはもう必要のないものだからな」

「……!」

「それから、今後俺の事はマクミランと呼べ。同郷のよしみで今回は不問にしてやるが、立場をわきまえろ、イスカ=トンプソン」


 イスカは言葉が出なかった。俯いたままじっと硬直する。


 やはりそうなのだ。ローレンスはイスカの事など友としてすら見てはくれない。彼は変わってしまった。いや、彼は最初に出会った時からこう言う男だったのかもしれない。イスカはローレンスの顔を見る事が出来なかった。


「……邪魔をしたな、今後この界隈は物騒になる。外を出歩く時は気をつけるんだな。――おい、行くぞ」


 ローレンスは部下を引き連れて退却した。もうイスカや私塾の事などどうでもいいと言わんばかりにあっさりと。シャロンが見送りに玄関へと向かったが、イスカは一ミリたりとも動けなかった。


「先生、大丈夫?」


 気が付くと子供たちが心配そうにイスカの事を覗きこんでいた。


「なんだよあの騎士、偉そうなこと言いやがって」

「そうだよ、ボクあいつ嫌い」

「先生、あんな奴の言う事なんか気にしなくていいよ」


 出ていってしまったローレンスへの不満をこぼす子供たち。けれど今は彼らに何かを言ってやれる気概も無かった。


「……ごめん、先生少し疲れたからもう休むね」


 後の事をシャロンに任せ、イスカは子供たちの視線を感じながらも黙って二階へと上がった。


 はっきりと拒絶された。ローレンスの口から、想い出のこの場所で。

 以前町でローレンスに再会した後の様に、涙は流れなかった。けれどイスカの心に刻みつけられた傷はあの時以上かもしれなかった。


「そういえばジンロ、結局帰ってこなかったな……」


 部屋の隅に取り付けてある鳥籠は、相変わらず宿主のいないまま寂しく置かれていた。


(もう、いいや……。ローレンスもジンロも……)


 なんだか世界に取り残されたみたいだ。イスカはベッドに潜り込んで不貞寝を開始した。




 そうしたらいつの間にか本当に眠っていた。

 イスカは夢を見ている。イスカは沢山の人に囲まれて、身体を拘束され身動きが取れないでいた。ここは開け放たれた広場に設置された壇上、まるで処刑場の様だと思った。


「どうして!?どうして私がこんな目に遭わなければいけないのよ!」


 イスカはひどく取り乱していた。視線の先にいる人物はぼんやりとしてよく見えない、笑っているのか、悲しんでいるのか、それとも怒っているのかもわからない。


「嫌よ! 私は餌になんてなりたくない! どうして⁉ ねえ、誰か話を聞いてよ!」


 どうしてこんなことを言うのだろう? 自分のことなのに自分が一番よくわからない。


「ねえ! 助けてよ! ×××××‼」


 イスカは誰かの名前を呼んだ。けれどもイスカの呼び掛けには誰も応えず、周囲の人々はゆっくりとイスカを囲んでいる円陣を狭めていった。彼らの手に握られているのは剣や鉈。その冷たい刃先がイスカの眼前に迫り――


「それがお前の運命なんだよ」


 急に視界が真っ暗になった。振り返った視線の先に、鱗の生えた化け物の姿があった。


「お前はそうして殺された。文字通り化け物の餌になって、喰われて、国の為の生贄なったんだ。全てはお前のその力のせいだ。怨むなら己を恨むんだな」

「殺された……? 力のせいって、どういう事……?」


 鱗の男は答えない。奇怪な笑みを浮かべたまま、すっと霧のように消えてしまった。


「待って! 教えてよ! どうして私の話を聞いてくれないの⁉」


 夢と同じように必死に闇の中に呼びかける、するとまた影が現れた。今度は厳めしい甲冑に身を包んだ、無表情のローレンスだった。


「お前の話など聞きたくない。俺はもうお前とは何の関わりもない」

「ローレンス……どうして……?」

「お前とはもう住む世界が違うんだ」


 そうしてローレンスも霧のように消えた。イスカは真っ暗な世界に閉じ込められた。


「どうして私の前から皆いなくなっちゃうの? 私はこれからどうすればいいの?」


 動けない身体で、イスカはそっと呟いた。道が見えない、何を頼りに進んでいけばいいかわからない。

 その時視界に光が灯った。温かな木漏れ日が背中から降ってきて、その光が静かにイスカを抱きしめる。


 ドクン


「大丈夫だ」


 イスカの背に低く深みのある声が響いた。その瞬間、氷の様に固まっていた身体が嘘のように解れていった。


「お前は絶対に死なせない。俺が守る」


 顔の見えない、後ろからの囁きに、イスカはかあっと身体が熱くなるのを感じた。


 ドクン


 心臓が跳ねる。顔を見たい、あなたは一体誰?


 振り返るとそこにあったのはまばゆい光。その光に目が眩み、イスカは眠りから覚めた。相変わらず独りぼっちの部屋の中。けれども不思議な事にイスカの心は穏やかで満たされていた。

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