第三話 忘れられたお伽噺①
◆
それからイスカは二日間意識が戻らなかった。熱や痛みなどはなくただ昏々と眠っていたらしい。
自宅のベッドで目を覚ました時シャロンがいた。イスカが眠っている間、家の掃除から何からやってくれていたらしかった。
起き上がってから少しすると、子供たちが家に押し寄せてきた。ある子供はわんわんと泣き出し、ある子供は嬉しそうにはしゃいでいた。
あの路地裏で倒れてからずっと、子供たちは何度も何度もイスカの家を訪れては目が覚めるのを待っていたという。
イスカは子供たちとシャロンに丁寧にお礼を言った。
「体は大丈夫かい?イスカちゃん」
「はい、まだ少しだるいですけど動けない程では」
「無理しちゃだめだよ先生。しばらく塾はお休みにしなきゃ」
「そんな事言って、ベンは授業サボりたいだけだろ」
「違うよ! 俺は先生の体のためを思って!」
子供たちはどっと笑いだした。本当に良かった、あの時あの路地で、もし自分もこの子たちも殺されていたら、こんな風に笑いあうことも出来なくなっていたのだと思うと恐ろしい。
シャロンが用意してくれたお茶とお菓子を子供たちと食べながら、イスカは一つ疑問に思ったことを口にする。
「ねぇ、あの時私たちどうやって助かったのかしら?」
イスカは子供たちに尋ねた。鱗に浸食されて意識も朦朧になっていたイスカは、あの時の事をよく覚えていないのだ。確かに瀕死のイスカを助けてくれた人がいるはずなのに。
すると子供たちは一瞬静かになり、そして示し合せたかのようにニヤニヤと笑い出した。
「それはねー先生、聞きたい?」
「ききたいー?」
「え、なに……?そりゃあ聞きたい、けど」
含みのある子供たちの笑い方にイスカはたじろぐ。いったいあの後何が起こったというのだろうか。
「先生はね、天使の王子様に助けられたのよ」
「天使の王子様?」
不思議な言葉の組み合わせだな、と思った。イスカが首をひねっていると子供たち(特に女の子たち)が嬉しそうに息巻いて話を始めた。
「そうよ、空から現れた男の人がね、あいつを追っ払ってくれたの! それからね、それからね」
「イスカ先生の事ギューってして、チュッてしてそしたら羽がバーッて!」
(ギューってしてチュッとしてバーッ???)
よくわからない擬音語の羅列にイスカはさらに首をひねった。鱗の男を追い払ってくれた男ならなんとなく思い出せる。その人がイスカの体を治してくれたという事か。
「先生、きっとあの人が先生の運命の王子様だったんだよ!」
人一倍興奮していたアナが、イスカに力説する。
「王子様って……、まあそれはともかく、その人が助けてくれたって事よね?じゃあ、お礼をしないと。その人はどこに――」
「ご歓談中失礼。その話、ぜひとも我々にもお聞かせ願いたいのだが」
入口の方から固く尖った声がした。その声の主の姿に、イスカは全身が総毛だつ。
入ってきたのは、重い甲冑に身を固めた男たち。つい先日イスカにトラウマを植え付けたその張本人がイスカの家にいることに愕然とした。
「ローレンス……」
「お前たちがあったというその男の事、詳しく聞かせていただきたい」
ローレンスの瞳はどこまでも冷たく、イスカを幼馴染としてみてはいなかった。
◆
シャロンが淹れ直してくれたお茶を前に、イスカは教室にある生徒たちの椅子に座っていた。目の前にはローレンスと彼の付き人であろう兵士が二人、イスカの後ろにはそわそわと落ち着かない子供たちが座っていた。
「では改めて。二日前にお前たちがあったという二人の男について聞かせてもらおうか」
「二人の男って、彼らの事を知っているの、ローレンス? それにどうして私のことを?」
イスカがローレンスの名前を呼ぶと、彼はほんの少し眉を吊り上げた。だが、すぐに取り繕った顔に戻り、淡々と説明を始めた。
「お前は気を失っていて知らないだろうが、あの騒動の後後ろの餓鬼どもが巡回中の俺たちに助けを求めたんだ」
「そうだったんだ」
後ろを振り返ると、子供たちがこくこくと頷いた。
「ここ数カ月、この国で奇妙な猟奇的変死事件が起こっている。騎士団が情報を差し止め大々的に公表はされていないからお前たちが知らないのも無理はないが、死んだものは皆全身にどす黒い鱗を生やして死んでいたらしい。あの老婆の死体が見つかってから二日の間に、また一人犠牲者も見つかっている。奴はこの町に潜伏し始めたに違いない」
イスカは路地裏で見た老婆の無残な死体を思い出してまた吐き気がした。全身を鱗で覆われ絶命していた、ともすれば自分もああなっていたかもしれないと思うと背筋が凍る。
「お前たちが遭遇したその鱗の男が事件の犯人とみて間違いない。現在騎士団が総力を挙げて捜索している。俺はこの町の筆頭者として動いているんだ」
それを聞いて、イスカは嬉しい様な悲しい様な複雑な気持ちになった。この教室でローレンスと机を挟んで肩を並べる事が出来たのは素直にうれしかった。だが、ローレンスがやってきたのはあくまで騎士としての任務であって、イスカを気遣ってのことではない。
「鱗の男と接触して生きていたのはおそらくお前たちだけだ。年齢、背格好……どんなものでもいい。男の特徴を覚えている限り教えてくれ」
イスカはあの時見た、鱗の男の姿を思い浮かべ覚えている事を話した。口で描写はするものの、今だに遭遇したことが信じられない。あの男はおそらく自分たちとは違う、異形の何かだ。
そしてもう一つ、イスカを助けたという謎の男の事も語った。こちらはイスカの意識が朧気だったため、子供たちが拙くもローレンスたちに語っていた。
話をしていると、興味深そうに身を乗り出してきたのはローレンスの部下の兵だった。ローレンスより年上で、身につけている物から察するに騎士ではなく庶民出身の傭兵の様だ。
「へぇ、やっぱり聞けば聞くほど蜥蜴の王の話にそっくりだ」
「蜥蜴の王……?」
イスカは疑問符を浮かべた。後ろの子供たちも「とかげのおうって何?」とひそひそと囁いている。
「ああ、最近の若い子は知らないかな。おじさんが子供の頃に流行ったお伽噺だよ」
「どんなお話なんですか?」
「ああ、それはね―――」
苦い顔をしているローレンスを放って、その兵は訥々と語り始めた。
◆
あるところにトカゲの王というそれはおそろしい王様がいました。トカゲの王はふれるものにウロコを生やし、そのまま死にいたらしめるというおそろしい力を持っていたのです。
その王国にはかつてたくさんの人びとがくらしていました。しかし、トカゲの王が王様をころし王となった時、しゅういの動物は死にたえ、もうだれものこっていませんでした。
それを聞いたとなりの国の王様は、トカゲの王をたおすため王宮に仕えるへいたちを集め、トカゲの国へ向かわせたのです。ところが、何ヶ月たってもへいしたちはもどってきませんでした。ふあんになった王様は、今度は名のあるゆうしゃたちを集めました。うでに自しんのあるゆうしゃたちはこぞってトカゲの王をたおすために国へ乗りこんで行ったのです。
しかしけっかは同じでした。だれ一人もどってこられた者はおらず、それどころかトカゲの王の国からうろこの病が少しずつこの国に入り込んできているといううわさまで流れたのです。
あせった王様は一人の少女に助けをもとめました。
少女はどこにでもいるふつうの町むすめでした。とくべつ美人でもなく、才があるわけでもありません。けれどもその少女は動物と言葉を交わし、そのかんじょうを読み取るというふしぎな力を持っていたのです。
少女は王様にたのまれ自分のしんらいできる動物たちを集めると、かれらにふれ力をあたえました。
するとおどろいた事に、動物たちがたくましい人間にへんしんしたのです。
けものと人間の両方の力をえた動物たちはじゅう王とよばれ、七人のじゅう王は少女とともにトカゲの王をたおすため王の国へと乗りこみました。
少女と七人のじゅう王ははげしいたたかいのすえ、ついにトカゲの王をたおす事が出来たのです。
こうして世界に平和がおとずれました。
少女と七人のじゅう王は国に帰り、いつまでも幸せにくらしました。
おしまい
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