第二話 鱗と翼の異邦人②

 子供たちが飛び出していってから三十分位たっただろうか。イスカはだんだん冷静になってきて、やはり子供たちだけで外に出したのは危険だったのではないかと思い始めていた。

 そういえば、最近風の噂で他の街で物騒な事件が起こったと聞いた。市民を不安にさせないため、騎士団らが情報を封殺したそうだが、人間の業とは思えない奇怪な死に方をした遺体が発見されたともっぱらの噂だ。


「……っ、やっぱり私皆を連れ戻してくる」


 イスカは急に不安に駆られ立ち上がった。ここに残っているのは言い出しっぺのベンとミルス他数人、街で騒ぎに巻き込まれたらとんでもない事になる。


「先生は待機班だろ、ここにいなきゃだめだよ」

「そんな事言ってる場合じゃないの、ベン。もし皆に何かあったら!」


 自分のせいだ。ジンロがいなくなったと情けない醜態を晒したせいで。確かにジンロがいなくなった事は悲しいが、子供たちを危険に晒す事は出来ない。

 そんなイスカの元にミルスが駆け寄ってきて、イスカの手をぎゅっと握った。


「せんせー、だいじょうぶだよ。ボクたちにまかせてよ」

「でも……!」

「せんせーはボクらがしんようできない?せんせーはボクらにいつもたくさんのことをおしえてくれてるのに」


 イスカははっとした。見上げてくるミルスの目はいつもへらへらと笑っている彼とは思えない程真っ直ぐで強かった。


「ボクらだってちゃんとわかるよ。やっていいことといけないこと。わかってるから、ボクはせんせーをたすけたいんだ」


 ミルスはにこっと笑った。ミルスだけじゃない、ベンもそこにいた子たちは皆笑っていた。その笑顔に、イスカはまた泣きそうになった。


(そうだ、この子たちは皆私の為にジンロを探してくれているんだ)


 方向性はなんだか怪しいが、彼らは懸命だった。イスカの為にジンロを探す、その目的の為に彼らはこうして動いてくれているのだ。


 イスカが今の子供たちの面倒を見始めたのは三年前、祖母が亡くなってからの事。駆け出しのころは不甲斐ないところばかり見せて、もしかしたら彼らの役に立っている事なんて何一つないんじゃないかと思った事もある。


(そんなことなかったのかな……)


 彼らはもしかしたらイスカが思っている以上に成長していたのかもしれない。

 ローレンスの事もまだ何も立ち直れてはいないけれど、今こうしてイスカの為に何かをしようとしているミルスたちを見ると、不思議と気持ちは軽くなった。


 その時捜索に行っていた子が一人帰ってきた。息を切らして苦しそうに身体をくの字に曲げている。


「ラック! どうした何があった⁉」

「うん、ジンロを見つけたわけじゃないんだけど……、ジンロの羽みたいなものが落ちてて、それで……」

「それで⁉」


 イスカも思わず食い気味になった。何だろう、何か、嫌な予感がする。


「その羽の近くに、血の跡が落ちてて……、わかんないけど、ジンロはいなくて」


 イスカは息が止まりそうになった。頭の中で最悪の想像が展開される。




(まさか、ジンロ……)


 路地裏では野良犬や不当な輩が動物を襲う事も珍しくない。おまけにジンロは美しい羽の持ち主で、ぱっと眼を引くのだ。

 今度こそ、イスカは血相を変えて飛び出した。


「お願い……!案内して!そこに!」




 報告に来たラックに連れられてイスカが赴いたのは、下町の路地裏の一角。繁華街にも近い通りで、人気はそこそこあるもののやはり薄気味悪い。


「路地裏には入っちゃだめだって言ったでしょ」

「大丈夫だよ、そんなに奥じゃないから」


 ラックの後ろをついて路地裏を行くと、少し中に入った先に小さな袋小路があり、そこに数人の子供たちが集まっていた。子供たちはイスカを見ると、わっと駆け寄ってくる。


「先生、どうしよう! ジンロ怪我してるかも」

「この辺野良が多いんだ。もしかしたら、ジンロはそいつに……」


 女の子たちはぐずりだし、泣きだした。イスカも本当ならパニックになって泣きたいところだったが、そういうわけにはいかない。

 彼らを宥めると、ゆっくりと羽が落ちていたという所に近づいた。広場の脇、日陰になった所にその金色があった。

 イスカはぞくりと肩を震わせた。恐る恐るその暗闇で光る金色に手を伸ばし――、


「……違うわ、これはジンロの羽じゃない」


 手に取った金の羽を微かな陽の元にかざすと、それは明らかにジンロの物より大きかった。ジンロの体長がおよそ二十センチ前後なのに対し、この羽は明らかにその体長よりも大きい。こんな大きな羽の部位があるとは到底思えない。

 それを聞いた子供たちは皆安堵した。よかった、と手を叩き喜び合っている。


「良かったね、先生!」

「ええ、そうね……」


 確かにこの羽はジンロの物ではありえない。だが、イスカは言葉にしなかったがこの羽がジンロとは無関係であるとは思えなかった。透き通る金の繊細な線描、その先端がほんのわずか虹色に色づいている。こんな変わった色をしている鳥をイスカは他に知らない。

 もう一つ不可解な事は羽の大きさだ。羽の一枚がこの大きさなら、おそらく体長は猛禽類かそれ以上の大きさになる。そんな鳥、この界隈に生息していただろうか?

 羽にばかり気を取られていたせいで、イスカはもう一つ地面に残った痕跡を失念していた。それに気づく前に、イスカの耳に微かに音が聴こえた。


 ……ピチャ


 イスカははっと顔を上げた。不気味な水音が再び響く。

 ――どこから?

 続いてズルズルと何が這うような音。

 イスカはその音の根源を辿り、ようやく、羽の落ちていた場所から路地の更に奥へ転々と続いている血痕の後に気づいた。


 ズル……ピチャ……


 不快な音がやけに響く。それは少しずつ少しずつ大きくなり、やがてはっきりと聴こえ始めた。同時に鼻につく臭い。――水が腐ったような、腐臭がした。


「せんせー? どうしたの?」

「……皆、早く逃げなさい」

「逃げるって、先生――」

「いいから逃げなさい‼」


 全身全霊で叫ぶ。イスカの叫びは凝った空気の中で鮮明に強く響いた。次の瞬間、子供たちは一人も遅れることなく、弾かれた様に路地裏を飛び出した。不自然なほど俊敏に、イスカの命じた通りに。

 イスカはまた奇妙な感覚に陥った。

 この感じ、昨日広場でローレンスの名前を呼んだ時と似ている。

 自分の予想以上に自分の声が響き反応を示す。今までこんなことあっただろうか?


「……やはりその声、聞き覚えのある声だ」


 茫然としていたイスカは背後に忍び寄る男の影に気づかなかった。ぞわりと鳥肌が立ち、慌てて前に飛びのく。そして、突如現れた男の顔を目視した瞬間、イスカは声にならない悲鳴を上げた。


「昔のことを思い出すな、本当にお前は――」

「い、や……、あなた、その顔」


 イスカは擦れた声で呟いた。イスカの目の前にいた男、年はイスカよりも少し上くらいで、線は細くどこにでもいそうな特徴の無い青年だ。にもかかわらず、その男の姿は異形としか思えなかった。顔と首筋、その他露出している全身全てに、肌の色がかろうじてしか見えない程びっしりと青黒い鱗が生えていたのである。

 男の手には重そうな布の袋の様なものがあり、それをズルズルと引きずっていた。先ほど聞いた水音と引きずる様な音、そして腐臭の根源はこれだ。その袋の正体がなんであるかを理解した途端、イスカは吐き気が込み上げた。


「あなた……、それ、人……!」

「――ああ、昨日邪魔が入って手ごろな若い女が捕まえられなかったからな。こんな老婆しかいなかった」


 ぞんざいに手に持っていたものをこちらに放り投げる。ぐったりと動かなくなった老婆の身体は、もはや形でしか人間と認識できず、その表面は目の前の男と同じ青黒い鱗がびっしりと生えていた。

 イスカは絶叫した。ありえない死に方をしている老婆に、それを見て笑みを浮かべる男。信じられぬ光景に、イスカは恐ろしさのあまり腰を抜かしてへたり込んだ。


「さて、私はようやく愛しくも憎いお前を見つけたのだけれども」


 鱗の男がゆっくりと近づいて来た。しかしイスカはあまりの恐怖に動く事が出来ない。

 動けない、逃げなければいけないのに、指一本動かせない。

 奥歯がカチカチとかみ合わない音を立てた。イスカは恐怖に支配され、ゆっくりとこちらに近づいて来る男を見上げる事しか出来ない。


「昨日広場で見かけてもしやと思ったが、まさかお前からやってきてくれるとは……万物の奏者レーディンレル

「レーディンレル……?」


 しゃがみこんだ男と目があった。瞳孔の細長い異形な目、人間の物ではない、しいて例えるなら爬虫類の目。――化け物の目だ。


「お前を連れて行こうか、それともここでその綺麗な顔を喰らえばいいのか。どっちがいいだろうか?」

「な、に……言ってるの……?」

「私自身はお前の事などどうでもいいのだが、本能として見過ごせない存在なんだ。悪いが諦めろ」


 男の手がゆっくりとこちらに近づいて来る。身動きがとれぬまま、その鱗だらけの掌に視界が覆われていく。その鱗の手がねっとりとイスカの頬を撫でた瞬間、イスカの身体がずんと重くなった。


(嫌……! こんな所で死にたくない……‼ 誰か、誰か!)


 イスカが声の無い悲鳴を上げた時、男の頭部に拳大の石が命中した。


「先生に触るな!」


 思う様に動かない身体で、イスカは路地の入口を振り返り戦慄した。そこには逃げたはずの子供たちが手に石やら木の棒やら、頼りない武器を持ってやって来ていた。

 駄目だ、そんなものでこいつに敵う筈がない。はやく逃げて、とイスカは必死に祈ったが、無情にも鱗の男は舌舐めずりをして、その標的をイスカから彼らに向けた。


「お、俺は怖くないぞ! 先生から離れろ!」

「……威勢のいい餓鬼どもだな」

「っ⁉ やめて! お願い! その子たちには手を出さないで!」


 子供たちの元に向かおうとするが、まるで身体が鉛の塊になった様に動かない。


(どうして⁉ あの子たちが危ないのに⁉ 動いてよ!)


 イスカの奮闘も虚しく、鱗の男はゆっくりと子供たちとの距離を詰めていく。恐れ戦く子供たちに平静さを保っていられない。


 ――ピキッ


 頬に痛みが走った。先ほど男に触られたところが亀裂が入ったかのようにじくじくと疼く。触れてみると自分の肌とは思えない程固く乾いた感触がした。鱗だ。皮膚が剥がされ己の物とは違う鱗が盛り上がっていく感触に、イスカは正気を失った。


 私も死ぬの? あの鱗だらけになったおばあさんのように――

 目の前で子供たちを同じ目に遭わされていくのを眺めながら――


「……て」


 イスカは必死に痛みをこらえ、体を動かした。早く、子供たちの元へ。


「やめてえええ‼」


 あらん限りの声を振り絞って叫んだ。淀んだ空気に亀裂が走り、突風が吹き荒れる。


 そして、それが現れた。

 鱗男のうめき声が聞こえ、イスカはもうあまり動かない頭を懸命に持ち上げると、


 ――そこに男が立っていた。


 薄暗い路地裏で、その男だけが不自然に光り輝いているように見えた。はらはらとイスカの元に一枚の羽が落ちる。透き通った金色に、虹色のかかった羽が。

 男は子供たちに伸ばしかけていた鱗男の腕を容赦なくひねり上げていた。対して鱗男もその苦痛に顔をゆがめながら不敵に笑う。


「……また邪魔する気か、意外と律儀な奴だな」

「それはこっちのセリフだ。この街から出て行けって再三言っただろうが」


 鱗男と男が睨みあう。両者はしばし硬直しお互いの出方を伺っている様だったが、不意に鱗の男がひねり上げられた右腕を無理やり捻り直し拘束から逃れた。ボキッという鈍い音がしたが、鱗男は全く動じてはいない。


「全く、昨日といい今日といい、お前がこの街にいるせいで散々だ」

「だからとっとと出ていけっつってんだろーが」

「そうだな、……今日のところは引き上げるか。……街は出ないが」

「……ってめえ!」


 男が容赦なく蹴りを食らわそうとしたが、それよりも早く鱗の男が後ろに飛びのき、そして壁にぴたりと張り付いた。まるで蜥蜴のように俊敏な動きで壁をよじ登っていくとあっという間に見えなくなる。

 一体あの男は何だったのか、そして突然現れたこの人は―――?

 何か言おうとしてももう唇すら動かない。イスカの意識はゆっくりと鱗に浸食されていった。


 ◆

 どうしよう! 先生が死んじゃうよ!

 やだ! 先生しんじゃやだ!

 起きてよ先生!


 遠くで子供たちの声がする。みんなイスカを呼んでいる。早く、早く起きなければ。

 でもどうしてだろうか? さっきまで凍えそうだった体が、まるで布団に包まれたみたいに温かい。心地よくてずっと眠っていたくなる。


 大丈夫だ、まだ皮膚の表面を侵されただけだ。すぐに治る。


 ――これは誰の声だろう。聞き覚えのない男の人の声。

 でもなぜかすごく安心する。どうして――?


 すると、頬に温かくて柔らかな感触が降りてきた。

 その瞬間、固くなった鱗が一瞬で軟化しホロホロと剥がれ落ちていくような気がした。

 体も軽い、それにやっぱり温かい。


 トクトク


 心臓の音がする、ひどく心地いい。何かに守られているような安堵感、イスカは幼い頃おばあちゃんに抱きしめられて眠った時のことを思い出した。


 もう大丈夫だからな。


 また声がする。うん、もう大丈夫。

 イスカは何かに強く縋った。その何かもギュッとイスカを抱きしめてくれた。

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