第一話 帰ってきた幼馴染③

 メルカリア騎士部隊本部。ローレンスの所属するハイネル騎士団は今、なんとも言い難い剣呑な雰囲気に包まれていた。

 ハイネル騎士団に所属する十五名の精鋭騎士たち及び彼らに従属する百余名の傭兵隊が、シルキニス王国東部の国境近辺の警護から帰還したのは昨晩遅くの事だった。一夜を明かしてつい先ほど中央広場にて行われた凱旋はつつがなく終了し、たった今ローレンスたちはメルカリア軍本部へと帰還したのだった。


 騎士たちは皆大観衆の喝采に酔いしれ、またしても自身の栄華を誇示したと息まいている。

 王都におわす主、現国王シャルル三世直々に命を受け推参したエリート騎士兵団。貴族の身分を持ちつつ実力で王の信頼を勝ち得た本物の騎士、そんな彼らのプライドという物はメルボン山脈の標高よりも高いらしい。


(呆れた連中だ。凱旋を行って人々にちやほやされたって得られるものなど何もない)


 ローレンスはひっそりと毒づいた。メルカリア下級貴族の出身であるローレンスにとって、そんな腹の足しにもならない様な喝采は浴びるだけ時間の無駄だ。


(俺に必要なものはそんなものじゃない。俺が望むのは――)


 部屋の片隅でローレンスはにやりと笑った。そう、もうすぐだ。もうすぐで自分を馬鹿にしていた同僚たちを完膚なきまでに叩きのめせる。

 今自分たちがこんな待合室の様な狭い室内に集まっているのは、もう間もなく上官から下されるある指令の号令を待ち望んでいるからだ。そして、気さくに会話をしながらもその実睨みを効かせあうそのわけは――。

 運命の足跡がゆっくりと、ローレンスたちが待機する部屋に近づいて来た。コツコツという規則正しい靴音に、先ほどまで高説を垂れていた他の騎士たちにも緊張が走る。部屋に顔を見せたのは口ひげをはやした恰幅のいい男、彼こそがメルカリア隊の総隊長にしてハイネル団団長オットー=ハイネル。そこにいた騎士たちは立ち上がり一斉に敬礼の姿勢を取った。

 ハイネルはただ無言でゆっくりと部屋にいた騎士たちを見まわした。ハイネルの視線が通り過ぎる時、誰もが皆期待に目を輝かせそして瞬時に失望する。ローレンスは只、それを無言で見守っていた。


「ローレンス=マクミラン」


 ハイネルの視線がローレンスを捕らえた瞬間、そこにいたローレンス以外の全ての騎士が落胆と絶望、そして嫉妬の色を顔に映した。


「来なさい」


 ハイネルは短く告げ踵を返す。ローレンスは努めて顔に笑みなど浮かべぬよう、硬直したままの同僚たちの間をすり抜け部屋を出た。


 ハイネルについて廊下を歩いている最中、ハイネルがローレンスに問いかけた。


「随分冷静なのだな。並みいる精鋭たちの中からの大抜擢だぞ。もっと喜ぶかと思ったが、可愛くない奴だ」

「とんでもありません団長……いえ、御義父上おちちうえ。私は今でもあまりの嬉しさに飛びあがって喜びたくなる所を必死に抑えているのですよ」

「同僚を気遣ってか?お前がそんな仲間思いだとは思わなんだ」

「何をおっしゃいます。私は彼らの事を尊敬していますよ。下級貴族の出身である私には上流の所作に疎いですから。これからエレノーラと共に歩んでいく上で、彼らから学ぶことは大きい」

「……まあそういう事にしておいてやろう。エレノーラもお前に会いたがっていただろう?随分前から上の空で待ち焦がれていたようだったからな」

「ええ、息災でなによりです」

「まったく、あの頑なな娘を一体どのようにして口説き落としたのか。あいつがよければ好きにしろとは言ったが、まさかあいつが許しを与えると思わなんだ」


 先ほど凱旋でローレンスに花を贈った女性、彼女こそこのオットー=ハイネルの一人娘にして、ローレンスと婚姻を結んだ女性だ。遠征に出かける前に時間を縫っては逢瀬を重ね口説き落とし、遠征に向かってからも彼女への文は欠かすことが無かった。

 父親の言うとおり彼女は気位が高く強情な女性だ。落とすのには確かに骨がいったが、一度手に落ちれば後は簡単なものだった。


「彼女は私にとってかけがえのない御人です。彼女に愛されるというのは私にとって至高の喜びですよ」

「はは、その父親に向かってそんな事を堂々とのたまえるとは、お前もなかなかに大者だ」


 そう言っているハイネルの機嫌も決して悪くはない。直属の上官であり義理の父となるハイネルに対しても、ローレンスは決して愚行な態度を取ったことなどない。

 全ては計画通りだ。だが娘は簡単に騙せてもその父は上手くは運べない。ハイネルは、「ところで」と、低いトーンで話を切り返した。


「……凱旋の時にお前に話しかけてきたあの少女は何だったんだ?」


 ローレンスの表情筋がピクリと痙攣した。先ほど広場で声をかけられたあの少女。


 ――イスカ、あの忌々しい子供時代の記憶の中にいた少女。


 ローレンスにとってあの頃の記憶は封印せねばならないものだった。庶民の私塾に通っていたなど、この先ローレンスが高みに登る上で邪魔にしかならない。


「……向こうは私の事を御存じだったようですが、私には記憶にありません。大方私に勝手に横恋慕していた町娘でしょう」

「ならよいがな。婚儀を前に痴情の縺れなど起こしてくれるなよ。でなければ娘との縁談も考え直さねばならんからな」

「勿論誓ってそんな事は致しません。私はエレノーラを生涯愛すと神に誓いました。そして、今回の任も御使命として恙無くお受けする所存です」


 そう、ハイネルの娘エレノーラとの婚姻を結べた事も大きいが、ローレンスにとって出世の足がかりとして最も有力なのが今回の任務なのだ。団体による遠征の帰還直後、最初に発生する騎士への任務は大きな意味合いを持つ。ハイネルが騎士の中から、将来の息子となるローレンスを選抜する事はわかっていた。もしこの任で功績を収めることが出来ればローレンスの騎士団長昇格は確実だ。

 おそらく娘との婚姻も出世が目的である事など、ハイネルはとうに見抜いている。それでも選ばれるだけの実力と野心がローレンスには備わっているのだ。

 出世のためならどんなことでもしてみせる。必要とあらば愛さぬ者に生涯を捧げ、必要のないものを切り捨てる。だが、脳裏に焼きついたイスカの姿にチクリと心臓を痛めつけられるのもまた事実だった。


(……思い出すな、あれはもう過去の者だ)


 やがて、騎士団長室に到着したローレンスはすぐに真剣な顔つきになった。義理の父となるハイネルのこの威力はやはり抑えがたい。ローレンスは無意識に背筋を伸ばした。


「さて、出世をかけた待望の『任務』だ。こころして聞きたまえよ、ローレンス君。これが上手くいけばマクミラン騎士団の結成も近い」


 そうだ、今はあの少女にかまけている場合ではない。ローレンスは自信に満ちた表情を作り頷いた。



 ◆

 あなたどこからきたの?

 そんなところにうずくまっていないで、こっちにいらっしゃい。

 おばあちゃんがね、おいしいおかしをよういしてくれたの。

 いっしょにたべましょう?

 あなたの名まえはなあに?


 それはささやかであっても、イスカにとって運命の出会いだったと思っている。まだ小さな頃のローレンス。イスカの家の前の通りで小さくなっていたローレンスをイスカが私塾に招き入れ、イスカの家に居候させてあげていた。

 後になってローレンスは貴族の生まれである事がわかったが、それでもローレンスは変な顔一つせず、イスカや私塾の生徒たちと打ち解けていった。

 ローレンスには帰る場所が無かった。だからイスカの家の界隈にやってきたのだと言った。ローレンスの家の事はよく知らないが、それはきっとイスカが聞いたところで仕様の無い事だろう。


 今にして思えばきっかけはただの同情だったのかもしれない。けれど確実にローレンスとの友情は育まれ、イスカの中ではやがてそれは愛情へと変化していった。


 きっとイスカの方だけだった。


 ローレンスは本当は嫌だったのかもしれない。イスカと知り合った事も、私塾に迎え入れられた事も、ローレンスにとって障害でしかなかったのかもしれない。

 そう思うだけで震えが止まらない。

 泣きたくないのに、涙が止まらなかった。


 広場から逃げてきたイスカは、脇目もふらず自分の部屋へと逃げ込んだ。途中でイスカを引きとめようとするフェリシアやすれ違ったシャロンも見えたが、今はもう誰にも会いたくなかった。

 布団を頭からかぶり、息を殺して泣いていた。ただひたすら、ローレンスの冷たい視線と嘲りを思い出して、嗚咽を漏らすしかなかったのだ。


(今までの事は全部無駄だった。こんなことなら好きにならなければよかった――)


 その時、何かかがツンツンと布団をつつく気配がした。そっと布団の隙間から顔を出すと、夕日の差し込んだオレンジ色の部屋を背景に金色輝く美しい鳥が一羽、イスカを覗きこんでいた。


「ジンロ……、お前どこに行ってたの?」


 広場で別れてからジンロを探す余裕すらなかった。あの時いずこかへと飛び去ったジンロは、再びイスカの元へ舞い戻り、そしてその柔らかな羽でイスカの頬を撫でる。まるで涙を拭いているようだ。


「慰めてくれるの?肝心な時にいなくなったくせに……でも、ありがとう」


 布団から這い出たイスカは掌にジンロを乗せ、されるがままになってやった。とめどなく溢れてくる涙をジンロは優しく拭う。自分の羽が濡れるのも構わず何度も何度も。

 あれほど流れていた涙もいつしか止まり、後はただジンロの温もりが頬に残った。

 その温もりがイスカの凍った心を溶かしていく。さっきまでの悲しみや絶望が不思議な位無くなっていった。


「お前はいつもそうだね。私が悲しい時、いつもお前は隣にいてくれる」


 友達と喧嘩した時も、祖母が死んだ時も、塾を引き継いだ初めの頃授業が上手くいかずに泣いていた時も、いつも隣にいてくれるのはこの小さな金色だった。

 イスカはジンロを優しく抱きしめる。愛おしさが溢れる一方で、寂しさも積もっていく。


「お前が――」


 弱っていたイスカは、ただ純粋な気持ちで願った。


「――お前が人間だったらよかったのに」


 もしジンロが自分と同じ人間だったら、この子の喜びや悲しみも共有できるのに。一緒に笑って泣いて、沢山話して、そうしたらこの寂しさも無くなるかもしれないのに。

 かすれた声でもう一度呟くと、イスカはまた涙をこぼした。


 そうしているうちに、いつの間にかイスカは眠りに落ちていた。

 夢の中でジンロが何か答えてくれたような気がしたが、きっとそれは幻聴だろう。

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