第一話 帰ってきた幼馴染②

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 シルキニス王国はおよそ八百年前に正教会の庇護を受け公国から転向した古き王国だ。途中跡目争いやクーデターによって幾度か王家が変わったが、周囲を山海に囲まれたシルキニスの国土は安定し外敵からの侵入も少なく、ここ数十年は対外戦争の無い平和な時代が続いていた。現国王の元では比較的寛容な政策がとられ、各都市の自治はその領主に委ねるという緩い連合体のような形態がとられている。


 しかしながらこの副都メルカリアではかつての王朝時代に首都として使用されていた歴史もあり王の権力も大変強い。中でも目を引くのは都市の中心部に位置する王立の軍事施設。ここは全国に点在する騎士団の拠点であり、王都にある総本山と肩を並べるほどの規模を誇る。

 名のある騎士たちが多数在籍しているメルカリア騎士旅団。その中でも優良な騎士と一般民衆から徴収された傭兵で構成されたハイネル騎士団が、二年前国境付近をめぐる遠征に出かけたことは市民の間でも記憶に新しい。団長のオットー=ハイネルを筆頭に、並みいる騎士たちの中から選ばれた者がその遠征に参加した。その注目度は高く、多くの者が彼らの帰還を今か今かと待ちわびていたのだ。


 子供たちを見送った後、イスカは一目散に隊舎のある中央広場へと足を運んだ。広場はいつも以上に人で溢れかえっている。どうやら遠征部隊は昨晩遅くに帰還したため、今日改めて凱旋を行うらしい。


 人の波を押し入りながら、イスカは出来るだけ騎士たちの見える場所まで移動した。途中肩に乗っていたジンロが波に揉まれて消えてしまった時は焦ったが、翼を持つジンロは空を飛んで上空に避難し事なきを得た。


「もう、無理してついてこなくてもいいのよ?ジンロ」


 ジンロはイスカが外に出かける時はいつもこうしてイスカの肩に止まっているものの、時々イスカの前から忽然と姿を消してしまう事がある。最初の頃は焦ったが、その後すぐにジンロはイスカの元へ戻ってくるので、今はイスカも自由に飛び回らせていた。それでも本音を言うとジンロが急にどこかに飛び去ってしまわないか心配なのだ。


「騎士たち見えないね。まだ中にいるのかな?」


 広場はざわついてはいるものの、肝心の主賓たちの姿が見当たらない。噴水の縁によじ登りジンロと共に広場を見まわしていると、聞きなれた声がイスカの名を呼んだ。


「イスカ、あんた来てたんだ!」

「――フェリシア! 久しぶり」


 イスカと同じ年ごろの少女が人ごみを縫ってこちらに駆けてきた。クルクルとした癖っ毛に鮮やかな赤のフレアワンピースを纏った華やかな女性。少し化粧もしているためか、地味な色のワンピースに化粧っけの無いイスカよりもずっと大人びて見えた。イスカはフェリシアを迎えると手を叩いて再会を喜ぶ。


「半年ぶりかしら、あんたがこんな中心街まで足を運ぶなんて珍しいじゃない? やっぱり凱旋見に来たの?」

「ええ、いつもは塾で忙しいけど今日はどうしてもね。フェリシアはどう? 仕事上手くいってる?」

「それなんだけどね、仕事はもうやめる事にしたの。私結婚するのよ」


 突然の友人の結婚報告にイスカは目を丸くして驚いた。まだあどけないフェリシアが少し大人びた笑顔を向ける。


「そうなの⁉ いつ?」

「今年の秋かしら、まだ少し先ね。イスカはどうなの?」


 なんだかこの流れ、さっきも子供たちとやった気がする。イスカは頬を引きつらせて、先刻子供たちに告げたことと全く同じことを言うと案の定笑われた。


「あんたこのまま仕事続けてベテラン教師になってそうね。いや、それもいいのかもしれないわよ」

「う、うん。……いや、わかってるんだけどね」

「そんなイスカでも諦められない人か。今日はそのために来たんでしょ?」


 イスカはぎくりと肩を震わせた。


「ローレンスかぁ、懐かしいな。私は塾を卒業してから会ってないけど、きっと立派な騎士になってるんだろうなぁ」

「そうだね、ローレンスは私たちと違って身分もあるし、塾でも成績良かったから」


 ローレンスとはイスカがまだ祖母の私塾の生徒として勉強していた頃からの幼馴染だ。貴族の身でありながら、庶民の祖母の私塾に通ってイスカと共に学んでいた同門。

 ローレンスは昔から自分の事を多く語らず、淡々と物事をこなしていた。そんなローレンスがかつて一度だけイスカに教えてくれた事。


『僕は大きくなったら騎士になるんだ。それで王都に行って王様専属の近衛騎士になる』


 そしてその宣言通りメルカリア騎士部隊に入隊して、あれよあれよという間に特優選抜のハイネル騎士団に入団し遠征へ向かったのだ。

 有言実行とはまさにこのことだ。一方のイスカと言えば私塾を卒業してそのまま滑り込むように祖母の手伝いをして教師になった。生徒から教師の立場に変わっても、結局イスカを取り巻く環境は何一つ変わる事は無い。相変わらず子供たちの面倒を見ながら日々を送っている。


「私はローレンスと違って狭い世界しか見てこなかったから、だからこそローレンスの行動力と決断力には惹かれるものがあったのよね」

「それでずっと好きなんだ。長い片思いねぇ」

「……! もう、茶化さないでよ……」


 イスカがへそを曲げるとフェリシアもごめんごめん、と笑いながら謝った。


 イスカは私塾にいた頃からローレンスに想いを寄せていた。大人になって身分の差や住む世界の相違に思い悩む事もあるが、やはり気持ちは変わらない。二年前遠征に行くと知らされた時は胸が痛んだ。いつ帰ってくるのかわからない、身の危険があるかもしれない遠征。また会えるとイスカは信じて待っていたが、それでも二年という歳月が経ってイスカも不安に思う事がある。ローレンスは自分のことを忘れてしまってはいないだろうか、もし会えたとしてもその後ローレンスとどうなりたいのか、そう考えだすと少し気が重くなる。


 ふいに右頬がチクリと痛んだ。何かと思えば、肩に止まっていたジンロがまるで木の実にそうするかのようにイスカの頬を啄ばんでいたのだった。心なしか少し怒っている様にも感じる。


「ふふ、ジンロったらやきもち妬いてるよ。イスカと一番一緒にいるのはジンロなのにね」

「もう、何言ってるのよフェリシア。そんなわけないでしょ」


 苦笑いしながらイスカは少し優しくジンロの翼を撫でてやった。ジンロは敏い。イスカが落ち込んでいる時は側にいて慰めてくれる。今のもきっとイスカの事を心配してくれているのだ。


「ありがとう、ジンロ」


 頬を擦り寄せて告げると、ジンロも嬉しそうに鳴いた。


「……ホント仲がいいのねあなたたち」

「まあ、そうね。この子はおばあちゃんの形見だし。それが無くてもずっと一緒にいてくれた家族だから」


 祖母の死もジンロがいたからこそ乗り越えられた。イスカにとってジンロは何者にも代えがたいかけがえのない存在。子供たちやフェリシアたち、そしてローレンス。イスカには大切だと思える者たちはたくさんいるが、ジンロ以上に本音を曝け出せる者はいないのかもしれない。


 その時、広場の遠方で喝さいが起こった。騎乗してやってくる騎士たちの雄姿が燦然と飛び込んでくる。


「来たよイスカ! わかる?」

「ううん、人が多くて……」


 とりたてて小柄でもないイスカだがこれだけの人込みでは騎士たちの姿を垣間見ることすら難しい。首をひねって必死に覗きこんでいると、花束を持った令嬢たちが騎士たちに花を贈るのが見え、その花を受け取った騎士の一人に見覚えのある面影を見つけた。


(いた! ローレンス!)


 もうすっかりあどけなさは消えていたものの、垂れ目の無表情なあの面立ちは紛う事なく幼馴染の物だ。

 だが、人ごみを掻き分けようにも波は梃子でも動かない。まごついている間にも、ローレンスは馬を進め広場を通り過ぎようとしている。


(ダメ、このままじゃいつまた会えるかわからない……!)


 貴族のローレンスと一般庶民のイスカとでは越えられない隔たりがある。同門だったというだけでそれ以上の繋がりは無い。もし今日の機会を逃せば、次にいつ出会えるか、そんな事はわからない。


(私とローレンスじゃ釣り合わないのはわかってるけど、それでも―――)


 諦めたくない、せめておかえりと、無事でよかったと。それだけでも伝えたい。

 イスカは息を吸い込んだ。どうか彼に届いて欲しい。気づいて欲しい。そんな思いを込めて精一杯叫ぶ。


「ローレンス‼」


 その声はイスカの予想をはるかに超えて、広場全体に響き渡った。イスカがどんなに彼の名を呼ぼうともその叫びは群衆の渦にかき消されるかと思ったのに、まるで拡声器を当てた様な、――いやそれ以上に大きな響きで空気を震わせたのだ。

 ローレンス含む騎士たちが一斉にこちらを振り向いた。ローレンスだけではない、あれだけ騒いでいた広場にいた群衆たち、花を渡していた令嬢も物見遊山に来た商店の店主も若者も子供も老人も、示し合わせたかのようにイスカの方を振り返った。

 これに仰天したのはイスカ自身だった。そんなに大きな声を出したつもりはなかったのに、突然そこにいた全員の視線を浴びイスカは硬直した。

 状況が理解できぬまま固まったイスカを解き放ったのは、耳元で響く羽音。何か重い楔から解き放たれたかのように空を高く舞い上がったジンロははるか遠くを出鱈目に旋回する。イスカはそれを追う事が出来ず、やがてジンロの姿は見えなくなってしまった。


 広場がシンと静まりかえる中、イスカの目の前が突如開けた。人々が地割れを起こした地層の様に両側に避け一つの道を作る。その道の向こうから馬に乗ったローレンスがゆっくりとこちらに近づいて来た。

 馬を降りたローレンスと対峙する。整髪剤で整えた髪に均整の取れた顔、間近で見るとやはり心臓が高鳴る。だが、それ以上に物を見るような冷ややかな視線がイスカを不安にさせた。


「えっと……、ローレンス。あの、久しぶり、元気に――」

「……誰だ?」


 ローレンスが冷たく言い放った。刹那、イスカは頭から冷や水をかけられたかの如く血の気が引いた。忘れられた?いや、いくら二年たったとはいえそんな簡単に忘れるなんて。


「誰って……。ローレンス……、覚えてないの?イスカだよ……、私塾の――」

「イスカ?……ああ」


 それは「心底どうでもいい」といった口調だった。今度こそイスカの顔が青ざめた。イスカの胸中にあった想い出の中のローレンスの偶像がガラガラと音を立てて壊れ始める。

 広場にいる大勢の観客の視線が突き刺さる。――痛い。


(あれ? 私、どうして、……どうして私こんな所にいるんだっけ?)


 そうして突如絶望の淵に立たされたイスカの前に更なる追い打ちがやってきた。ローレンスの元に先ほど彼に花を贈った令嬢が近づいてきてぴったりと寄り添ったのである。


「ローレンス様、この娘は一体何なんですの?」


 明らかに育ちのいい貴族の令嬢はイスカをねめつけた。イスカの身なり、身分の低さを判別すると、ふっと鼻で笑う。それに対し、ローレンスはもう一度イスカを一瞥しそして、


「……知らぬ娘だ。私には何の関係も無いよ、エレノーラ。さあ、もう戻ろう」


 ローレンスはエレノーラと呼ばれたその令嬢の腰を引き寄せ優しく微笑んだ。それがとどめの一撃となった。

 イスカは一目散に駆けだした。どこでもいい、ここではないどこかへ。早く消えてしまいたい。

 大観衆に見られる中、イスカはただひたすらに走り続けた。

 二年間大事にし続けてきた片思いは、今日この瞬間呆気なく砕け散ったのだ。

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