第33話 決死の作戦案

 ヴァジュラによる攻撃失敗から40分ほど後。現地時刻午前9時の日本では、首相官邸に閣僚を始めとする政府重役が集まっていた。30分後に控える、テレビ会話による首脳会談に先立ち、日本政府としての方針を定めるためだ。

 本案件に対し、論ずるべき事項はすでにはっきりしている。つまるところ……「核兵器使用の是非が、最大の争点です」と、防衛相が緊張した面持ちで言った。


 平素であれば、日本政府は核エネルギーの軍事利用に対し、一貫して否定的な態度を取ってきた。

 そもそも、平和的な利用法に対しても、冷ややかな目を向ける国民が少なくない。定期的に訪れるといっていい震災の歴史の中、″あわや″という局面もあったことも踏まえれば、そうした態度も無理からぬことではあるが。政府には、そうした民意を反映してきた歴史がある。

 しかしながら、今回のケースは、過去にあった議論の前提や想定を大きく逸脱している。そんな中で、外聞こそ平凡だが、中身はそれほどでもない持田首相がどのような考えであるか……彼の真の人となりを知る閣僚たちは、緊張した面持ちで押し黙った。

 すると、静寂を破るように、首相は声を発した。


「私の一存で決まるものではないが、時間は貴重なのでね。まず、核使用に賛成の者がいれば、手を挙げてほしい」


 しかし、手は一本も上がらない。首相その人も、テーブルの上に両手を置いたままだ。それぞれに秘めた考えは別々であろうが、核の使用に否定的という一点においては、すでに満場一致のように思われる。

 ただ、そこで文部科学大臣が、落ち着き払った様子で口を挟んだ。


「核使用を認めないのが当然といった空気感の中、反論のために手を挙げるのは、相当の気力が必要なのではありませんか?」

「圧力をかけようというつもりはなかったのだが。それに、場の雰囲気に圧される者が、重要なポストにあるとは考えたくないがね」


 この程度の切り返しに、間を置くような首相ではない。こうした反応は予想済みだったのか、大臣の反応も淡白なもので、彼女は冷静さを保っている。

 このやり取りを経ても、手を挙げる者は出てこない。すると、場に視線を巡らせた官房長官が口を開いた。


「結論は一致したと見ていいでしょう。では、その内容について、政府見解をまとめていくべきかと」

「とはいえ……」


 口を挟んだ首相に対し、場の視線が突き刺さる。「何を言うのだろうか」といった不安と緊張が、じわりとにじむ数々の目に、彼は苦笑しつつも言葉を続けた。


「核については、既存の思想や論調を踏襲する者が多いだろう。日和見主義者もいるかもしれない。だが、そういった姿勢について、とやかく言う状況でもない。この状況だからこその、新たに言及すべき点に絞って、議論を進めよう」

「総理にはそういった、この状況ゆえの考えがお有りで?」


 そこで少しの間、首相は口を閉ざした。他の参席者は、彼の反応を待って静けさを保っている。そうして緊張が張り詰めて数秒後、彼は静かな口調で言った。


「仮に核の使用を国際社会が容認した場合……おそらく、アメリカが撃つことになるだろう。自国領への核使用は問題だろうが、他国にやらせる方が、よほど大問題だからな」

「そうですね。妥当性が高い想定だと思われます」


 同意を示した防衛相と同様、他の参席者も異論はないらしく、ここまでの話に特段の反応はない。話の要点は、ここからだ。


「問題は、宇宙に控える脅威が、まだまだあるということだ。詳細まで把握しきれないが、今回のマクロフォージ級のものが、まだ存在する可能性は十分にある。それらが降下し、また核使用を議論する段階になったら、どうすべきか? 敵が落ちてきたのが、核武装を持たない国であったら?」

「まずは、この事態の解決を優先すべきと思われますが……そうした懸念を、杞憂で片付けるべきでもないでしょうね」

「私は、そう考えている。それに、今後の敵への懸念ばかりでなく、他に憂慮すべき事項もある……世界一の軍事大国が、被爆国になるということだ。それがどのような変化をもたらすのか、正確な予想は誰にもできないだろう」


 その後、沈鬱な空気で静まり返る中、首相は「何か考えがあれば」と発言を促した。そこで声を発したのは、白髪の目立つ外相だ。彼は軽い咳払いの後、硬い面持ちで言った。


「核を巡る米国民の有り方は、激変することと思われます。自国領に核を受けたことで、核兵器への忌避感を強める者もいれば、『世界のために、我々が犠牲を献じたのだから』と、次なる使用を肯定的に考える者もいるでしょう。いずれの立場も、理屈としては十分に妥当性があるかと」

「私もそう思う。そこで勘案すべきは、核を巡っての国民の有り様に、深刻な亀裂が生じるのではないかということだ。地球外の脅威にさらされている状況下、国として合理的な意思決定を妨げられる恐れすらある」


 そこで言葉を結んだ首相は、すっかり暗くなった座を見渡し「そうと決まったわけでもないが」と、お気持ち程度に付け足した。


 こうした議論について、閣僚たちは表立って反対意見を挙げることはなかった。ただ、いかなる理由によって核使用を否定するとしても、その代案は必要となる。

 そして、この会議室には、救星軍から第2作戦の草案が届いていた。核を用いないという政府方針を打ち出すのであれば、救星軍からの案を受け入れるか、あるいはまた別の案を示さねばといったところであるが……

 その、第2作戦案というのが、また物議を醸す内容であった。「総理は」と、閣僚から声が上がる。


「救星軍からの案を、受け入れるお考えで?」

「私はね。状況には干渉できないのだから、もはや認めて託すしかないだろう」

「しかし! このような案を承認したと見られれば……」


 声高な反論も、首相の冷徹な視線の前に、尻すぼみになっていく。そして、首相は落ち着いた態度を保って言った。


「人命と引き換えの勝利であろうと、私はこの作戦を支持する。たとえ、邦人の少女が犠牲になる可能性があろうとも。それだけの覚悟は、とうの昔に持っていたはずではないのか?」



 作戦失敗から1時間後。ハワイでの現地時刻14時20分。

 医務室のベッドに横たわる香織は、未だに目を覚ます気配がない。もっとも、脈拍等は安定しており、命に関わるような状況ではない。

 その傍らに控える真希は、体調こそ落ち着いてきているものの、冴えない表情だ。香織への心配を隠しきれないでいる彼女は、ベッドに目を向けるのも辛いようで、うなだれたまま目を伏せている。

 そんな彼女に対し、春樹は声を掛けねばならない立場にある。彼は、一度天井を見上げて黙考した後、意を決して口を開いた。


「高原さん、ちょっといいかな」

「……なに?」


 声を掛ける前、彼は拒絶感あらわに対応されるのではないかと、内心恐れていた。彼女らが自ら決めたことではあるとはいえ、それに甘えて背まで押したことを、実は恨まれているのではないかと。

 しかし、彼の予想に反し、顔を向けてきた真希には、強い感情の現れがなかった。声に張りはないものの、棘のような感じもない。自身の感情を抑え込んでいるのだとしても、それはそれで大したものである。そんな年下の少女の有り様に、彼は感謝にも似た感心を覚え、言った。


「ちょっと話があるんだ。ここじゃ何だから、場所を変えたいんだけど……構わないかな」


 すぐに返答はなかった。香織のもとから離れることに抵抗があるのだろう。

 その時、真希は静かに眠るばかりの香織に目を向けた。やがて、彼女は目元を袖で拭い、小さな声ではあるが「うん」と答えた。


 医務室を離れ、春樹が連れて行ったのは、応接室である。国防の要になる航空母艦だけに、軍や政府の要人を招き入れる機会が相応にあるのだろう。贅の限りを……とまではいかないものの、空母内では隔絶されたような雰囲気の部屋にはなっている。

 そんな特別な部屋に、春樹と真希、そしてステラが入室した。見張りの兵は、応接室の外に控えている。救星軍としては、気兼ねなく会話できる状況である。

 ただ、これから話さなければならない内容は、「気兼ねせず」などという生易しい次元のものではない。真希をイスに座らせた春樹は、こじんまりと縮こまるように見える少女を前に、つい吐き出しそうになるため息をぐっとこらえた。

 彼女に伝えなければならない話は、大別して2つ。次の作戦についてと、アストライアーの設計思想について。話の順番を考えれば、前者から話すのが妥当である。

 そこで、春樹は腹を括り、口を開いた。


「次の作戦について、大雑把な案がとりあえず出た。君が承諾するかどうかはともかく、一応は伝えるよ」

「……うん」


 目の前の少女の、少し上目遣いで弱々しい雰囲気に、春樹は頭をかきむしりそうになる衝動を覚えつつも、その案について話していった。

 作戦案と言っても、話は単純である。敵の上方にある黒雲で隔てれば、光線での迎撃が来ないことは判明している。そこで、今回は上方から攻撃を行う。先の攻撃により、敵の上部構造が崩落し、核がむき出しに近い状態になっているのを活かす意味もある。

 その攻撃方法というのも、至ってシンプルだ。ヴァジュラを解体して小型化し、アストライアーに括り付けて携行させる。後は、黒雲の高度おおよそ3000m近くまで軍用ヘリでアストライアーを運び、敵の核めがけて降下――つまり、飛び込ませる。

 もちろん、ある程度落下した時点で黒煙を抜ければ、敵からの迎撃がやってくる。そこを、アストライアーの体そのものと水流でどうにか防ぎ、至近距離になったところで、短距離化したヴァジュラを核に浴びせる――


 作戦について話す間、どうにか冷静さを保つ努力を重ねた春樹だったが、どうにかなりそうだった。パイロットの安全を一切考慮しない、馬鹿げた作戦である。

 しかしながら……既存の兵器が軒並み通用しない中、早期に実現できる策としては一番現実味があるのも確かだ。これが無理なら、後は核に頼るぐらいしか道はないだろう。


 そのような作戦に対し、真希は最後までずっと静かに口を閉ざしていた。話し終えてもなお、目立った反応を示さない。

 すると、春樹は努めて落ち着いた声で、彼女に話しかけた。


「君も町田さんも、十分頑張った。こんな作戦、君がやる必要はないんだ。パイロットを交代するって、それだけ言えば、後は別の誰かがやる」

「でも……私がやらなかったばっかりに、別の誰かが……死んじゃうんじゃ」

「そんなこと、君が考えることじゃ……」


 しかし、春樹は言葉が続かなくなった。久里浜での戦いで、真希が命の危険を覚えていたかは定かではないが、少なくとも彼女は、その身を張って一人の命を救っている。

 そして、そういう彼女だからこそ、こんなところにいるのだろう。「自分がやらなかったときのことを考えるな」というのが、まず無理がある。


 さらに悪いことに、話はこれで終わりではない。まだ、ステラからの話がある。真希に伝えるべきかどうか、相当に迷ったものの、逃げるわけにもいかないだろうとお互いに決めたことだ。

『真希さん』と声をかけると、彼女は無言でステラに視線を向けた。それに感じ入るものがあったのか、ステラからの反応は遅く、話の続きには多少の時間を要した。


『私、アストライアーは、機体の損傷を自己修復することが可能です』

「それは知ってる」

『……また、この中核部分単体であれば、ある程度の距離を空間跳躍することも可能です』

「……それは初耳」


 ただ、そうは言いつつも、真希にはさほど驚いた様子がない。憔悴だけが原因ではないのだろう。春樹自身、会議の場で耳にしたときは驚いたものの、自然と受け入れられる部分もあった。人知を超えた存在のようだし、そういうのもアリなのか……と。

 そして、話はここからである。『私は』と声を発したステラは、かなり逡巡しゅんじゅんする様子を見せた後、どうにか言葉をつないでいった。


『私は、修復機能と空間跳躍により、いつまでも侵略者共と戦い続けられます。あの者共を根絶するのが、私の使命です。その使命の中に、パイロットの保護は』

「含まれないんでしょ」


 真希が口にした言葉が耳に入り、それを頭が理解するまで、春樹にはいくらかの時間が必要だった。ステラも、完全に凍りついたように沈黙した。そんな二名に、真希は言葉を続けていく。


「どんだけ私たちが苦しくても……ステラは止めなかったからね。ブレーカーみたいなものがないのかなって、うっすら思ってた。それでも、私は……香織先生は、受け入れて戦ったんだ」

『私は……』

「怒ってないよ。言いづらかったでしょ。本当のこと言ってくれて、ありがとね」


 真希は、前々から本当にそういうつもりでいたのだろう。ステラに向けた、どこか悲壮感のある微笑みを目にして、春樹は胸中を引き裂かれるような思いだった。ステラに心があるとすれば――いや、類似するものはきっとあるだろうが、その胸中はいかばかりか。

 しばしの間、誰も声を発することができず、室内は完全に静まり返った。しかし、うなだれた真希は、不意に小さな笑い声を出し始めた。


「……ふっ、ふふ、今更になってやっと、死ぬのが怖くなってきちゃった……」


 その声が引き金になって、春樹は勢いよく動いた。真希の前に膝を落とし、彼女の両肩に手を。そして、顔をまっすぐ見据えながら、彼は言った。


「もう、頑張らなくていいんだ。ここで引き下がっても、誰も笑いやしない。いや、笑わせやしない。だから……」


 だが、真希から返る言葉はない。少しの間見つめ合う形になったが、やがて彼女は、春樹が予想もしなかった言葉を口にした。


「やっと、わかった気がする……」


 その中身を聞くべきかどうか、春樹は一瞬迷った。プライベートに立ち入った話になるだろうという、確固たる予感があった。しかし……ここで逃げるなら、何が世話役か。そうした義務感と責任感を胸に、彼は尋ねた。


「わかったって、何を?」


「……お父さんと、お母さんのこと」


 それだけ言うと、真希は静かに涙を流し、声を抑えて泣き始めた。

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