第34話 決断
ひとまず、これ以上の話し合いは不可能だと、春樹は判断した。
しかし、組織としては、真希に決断をしてもらわなければならない。乗るか、それともパイロットの座から降りるか。代替を乗せるとしても、変更のためには彼女自身の言葉が必要だった。
そして、今回の会話において、彼女からそういった言葉が漏れることはなかった。それをこの場で促すことはしないが、さりとて限度というものはある。胸中に苦いものを感じながら、春樹は彼女に声をかけた。
「一度、外そうか?」
静かに泣き続ける真希だが、言葉には反応した。春樹にもそれとわかるよう、彼女は小さく首を振った。続く「一人でも大丈夫?」との問いに、またうなずく彼女。
すると、春樹は懐から無線機を取り出し、近くのテーブルの上に置いた。
「君には、パイロットを辞めるか、まだ戦うか決めてもらわないといけない。ただ……あと1時間ほどで決めてほしいと、上からは頼まれてる。考えが決まったら、無線で呼んでほしい」
絞り出すように告げていく春樹は、震えそうになる両手を力強く握りしめ、感情を抑え込む。そんな彼の言葉を、真希は聞いているようだった。春樹が話し終えて少しすると、彼女が小さくうなずいた。
そして去り際。ドアに手をかけた春樹は、振り向いて「ごめん」と声を掛けた。すると、さほど間をおかずして、真希は何度か首を横に振り――その一振り一振りがどうしようもなく切なく、春樹の胸裏をズタズタに引き裂いていった。
それでも平生を保って退室し、極力静かにドアを閉めた春樹は、壁に背を預けきったまま力なくへたり込んだ。
パイロット交代の言質さえ取れれば……というのであれば、事は簡単である。春樹の個人的な心情としても、実際にそうしたくはあった。
ただ、作戦成功を考えるのなら、そうもいかない事情がある。次の作戦は、エネルギーの撃ち合いではなく、白兵戦を仕掛けに行く形に近い。重視されるのは、アストライアーを駆動させるためのエネルギーでなく、落ちて迎撃されながらでもヴァジュラを守り切る、操縦センスだ。
そして、真希以外のパイロットが乗るとした場合、操縦についてはぶっつけ本番にならざるを得ない。いかに気力体力が充実した者をあてがおうと、余計な心理的負担が覆いかぶさることだろう。
そういった事情を踏まえるならば、ミズチで熱光線とやり合った経験もある真希こそが、適任ではある。しかし、無理強いしてまで乗せる意味はない。アストライアーは、操縦者の精神力によって稼働するからだ。
以上の諸々を組み合わせていくと、救星軍としてのベストケースが浮かび上がってくる。
――高原真希が奇跡的に立ち直って奮起し、再び操縦席に乗る。
その可能性を、春樹は「バカバカしい」として切り捨てられないでいた。救星軍の存在意義を思えば、やれるだけのことはやるべきであり……関係者に、できる限りの協力を求めるべきでもある。人類の存続以上に、優先することなど何もない。
春樹にとって、ある意味で幸いだったのは、上司を始めとする指揮系統上部の物わかりが良かったことだ。彼らは、説得を重ねてようやく取り戻した程度の気力では、今回の作戦ではものの役に立たないだろうと踏んでいる。真希が立ち直るという最良のケースは、彼女自身が自発的に……というのを前提としたものだ。
春樹にしてみれば、説得による心労を重ねずに済んだところである。
しかし、真希に向けた「一時間で結論を」という言葉は、春樹自身にとっても大きく響いた。その時を待つだけで、何かが擦り減って行くような感覚に襲われる。
真希の決断がいかなるものであれ、彼はそれを受け止め、上長に報告せねばならない。この職務自体は単なる伝達係に過ぎないが、真希と接するということの重みが、彼の心にのしかかる。
真希からの連絡を待つばかりの彼は、周囲の邪魔にならないようにと、空母内の空きスペースを見つけてそこに留まった。そして、どこか遠い目をしながら、行き交う関係者たちの動向を目で追った。
真希への応対だけに集中できるよう、彼は他の作業等から外されている。しかし、そういった気遣いは、彼の孤独感を助長してもいる。
アストライアーのパイロットという立場にある真希と香織は、当然のことながら、他には理解しがたい孤独を味わっていることだろう。
一方、彼女らを相手に向き合い、救世軍との懸け橋を務めなければならない春樹もまた、彼特有の孤独な立ち位置にある。この戦いの中における当事者でありながら、どこか隔絶された感覚さえ――
そんな奇妙な心持ちで待機する中、無線機に反応があった。とっさに時計を見た彼は、真希と別れてから30分程度しか経っていないことを確認した。
(まさか、もう決まったってわけでもないだろうけど……)
無線機をつなごうとする彼は、奇妙な胸騒ぎを覚えた。これは、不安だろうか。それとも――
期待、なのかもしれない。そんな感情が芽生えている自分自身に、救星軍の一員としては当然と思いつつも、一個人としてはどこか冷ややかな軽蔑を覚えた。
そんな彼は軽く息を吐き出し、無線をつないだ。
「もしもし?」
『立川さん? よければ、その……ちょっと、話し相手になってほしくて」
「ああ、そういうことなら」
彼は快諾した。話というのは、きっと決断を下すために必要なことなのだろう。もしかすると、彼の考えを求められる場面があるかもしれない。
そういった、重要な意思決定に関わる可能性を受け入れた上で、彼は応えた。
部屋に入ってみると、無線での受け応えから想定できたことではあるが、真希は落ち着いた様子だった。少し気弱な空気が見え隠れするように思われるが、それは致し方ないことだろう。
まず、春樹は適当なイスを寄せて、向かい合って座った。そして、彼女に穏やかな表情を向ける。
「それで、話っていうのは?」
「……えっと」
「ああ、ごめん。無理せず、落ち着いて話してくれればいいから。やっぱり言えないってなっても、それで構わないよ」
本心からそう言うと、真希は表情を柔らかくして「ありがとう」と言った。静かな声が、妙に響く。
そうしてすっかり部屋が静まり返って数秒後、真希はポツポツと話し始めた。
「話っていうのは、その、私の両親のことで……」
「ある程度は、圭一郎さんから聞いたよ。難民の医療支援をしていたと」
続きを話しづらそうにしている真希を見て、春樹は口を開いた。すると、彼女は切なそうな顔で「そっか」とこぼしてから、話を続けていく。
「私のお父さんとお母さん、立派なことはしてたんだと思う。だけど、私には受け入れられない部分もあって……『子ども残して死ぬのが、立派なことなの?』って。今でも、そういう気持ちは、ちょっとあるんだ」
そこで言葉を切った真希だが、春樹は相槌を打とうにも打てなかった。下手な言葉が地雷を踏みそうで――その“地雷”という比喩表現にすら、今の彼は不謹慎に思われた。
ただ、何か言わねばという気持ちもある。急に静まり返り、何を言うべきか
「なんていうか、聞かされても困るでしょ?」
「……実際、反応には困るね。何を言えばいいのかって」
「聞いてくれるだけでいいよ。立川さん、結構顔に出てるから、それで十分」
言われて春樹は、思わず室内を見渡し、見つけた鏡に顔を向けた。すると、横手で小さく笑う声が。そこで改めて、表情に出やすくなっている自分に気づき、彼は長く息を吐き出して平常心に戻していく。
「……で、話の続きだけど。両親がいなくなって、じいちゃんの家に引き取られて……学区は一つ分違ったけど、小学校はそのまま通わせてもらったんだ。じいちゃんが送り迎えしてくれて。周囲の大人の人たちも、色々と配慮してくれたと思う」
そこまでは、昔を懐かしむように話し、表情も穏やかなものであった。ただ、彼女が「でも……」と言葉を続けると、表情に曇りが差していく。
「私に気遣ってくれたのかもしれないけど、『子どもを残して逝くなんて』とか、耳にすることがあって……私だって、まぁ、そうは思うよ? でも、他の人に、二人のことを悪く言われるのは、すっごく嫌だった」
「……ご両親のことが好きだから?」
「うん。でもさ、気を遣ってくれたのかもしれないけど、二人のことを立派だとかナントカ言われるのも、なんか嫌で……」
「気休めとか慰めが嫌だった……というのとは、また違うかな」
「うまく言えないけど……二人のこと、良く知りもしないくせに、勝手に知った風なこと言われてるみたいでさ、それが嫌だった……と思う」
そこまでロにした真希は、一層寂しそうな顔になって黙りこくった。やがて、彼女はどこか悔しさをにじませるように、言葉を絞り出していく。
「私だって、そうだったんだ。二人のこと、理解できてなかったと思う。わかってあげられなかった」
「自分を責めるようなことじゃないと思うけどな……」
「私が勝手にそう思ってるだけだよ。家族のことだから」
そこで言葉を切り、真希は目を閉じて少しうつむいた。束の間の静寂に、春樹の胸で鼓動が高鳴る。ここからが核心ではないか、それを前にして、真希は考えをまとめているのではないか。そんな予感があった。
やがて、湖面のように落ち着いた顔を向け、真希は静かに話しだした。
「お父さんとお母さん、きっと、愛とか正義とか平和とか、そういうのを他人事にしておけなかったんだと思う。口だけで済ませたりしないで、見て見ぬ振りしないで、本当に誰かを助けに行ったんだって」
「……僕には、君もそういう人に見える」
「良くわかってんじゃん」
ニコっと笑った真希だが、目はそんなに笑っていない。強い意志の光を湛えたまま、彼女は言った。
「私は、お父さんとお母さんのこと、もっと理解したい。心の底から、認めてあげたいんだ。だから……私は、同じことをする。世の中のために戦って、私の中の二人を感じたい。私を通して、じいちゃんに二人を感じてほしい。その上で、私は誰も泣かさない。残されるのって、本当に寂しいからさ」
真希が何を言っているのか、自明だった。パイロットの座を退かないと、そう言っている。
そして、彼女が自暴自棄からそう言っているのではなく、確固たる物を以って言っていると春樹は感じた。たかたが30分ほど前には泣いていた、この女の子が。
しかし、急激な変化には思われるが、自然と受け入れられる部分もある。そのように感じてしまう理由を追っていくうちに、春樹は一つの答えにたどり着いた。
(何も、今日一日でたどりついたことじゃないんだ)
親を失って数年間、この明朗な少女は、人知れず考え続けてきたのだろう。人生、生死、世界、正義、その他諸々のことを。哲学のようなものではなく、自らの血肉に近いものとして。
そして、数年越しで考え続けてきた問いに対し、今日のこの場で、一つの解答に至ったのだ。
ただ、必要なのは、あくまで明言である。パイロットとして乗るかどうか、彼は問いただした。
「次の作戦でも乗りますって言っているように聞こえたけど……そういう解釈でいいかな?」
「うん」
「本気で言ってる……みたいだね」
「うん」
問いを重ねても、揺らぎそうになる様子はない。溢れんばかりの覇気というわけではないが、強い芯の存在を感じられる。
これをそのまま受け入れてしまいそうになる気持ちはあったが、それでも彼は踏みとどまり、聞きづらい問いを重ねた。半ば、答えがわかりきっているものではあったが。
「次の作戦は、パイロットが死ぬかもしれない……いや、違うな。もしかすると、死なないかもしれないってレベルの作戦なんだ。それでも、君はやるってのか?」
「……そのつもりだよ。たぶん、一番死ななさそうなのが私なんでしょ」
図星だった。救星軍としての考えを見抜かれている。それを認めるのに恥を感じつつ、春樹は正直であることを選んだ。
「救星軍としては、そう考えてる」
「だろうと思った」
やや軽い口調で口にする彼女だが、少し震えのようなものがあることを、春樹は認めた。あって然るべきものだ。恐怖を感じた上で、なお、この子は立ち向かう気概を備えている。
そして……アストライアーの操縦に関し、唯一の実績を持つ者がこうまで言っている。となれば、組織としてはもう、何も言うべきことはなかった。
そこで、春樹は別の者に発言を促すことにした。
「ステラさんからは、何か?」
『私は……』
言い淀む様子を見せるステラ。すると、真希が口を挟んだ。
「ステラ」
『……はい』
「あなたの使命の中に、パイロットの保護が含まれてなくても、私が死ぬのはイヤでしょ? 正直に答えること」
『……はい』
「それで十分だよ。ちなみに……他にも隠し事があったりする?」
今回の問いかけに対し、返答にはかなりの時間を要した。そうした返答が、ステラの人となりを思わせるようで……自然と目があった真希と春樹は、苦笑いした。そして――
『……まだ、隠し事はあります』
「だろ~と思った。ま、その方が張り合いが出るよ。聞き出すまで、私たちは生き残るからね」
『……はい』
ステラとしても、真希の再起は受け入れられることのようだ。それを確認したところで、春樹は口を開いた。
「高原さんに操縦してもらうとして、同乗者のアテは? 無ければ、僕が立候補するつもりだし、上もその考えだけど」
「立川さんが?」
「ま、世話役だしね」
もちろん、そう言う彼自身、死の可能性は考慮している。ただ、同乗者に対して資質が問われないのであれば、引き下がる理由はなかった。
この申し出に対し、真希は少し申し訳無さそうに笑った。
「実は、私が乗るのに、ちょっと条件つけようと思ってて」
「まぁ、大抵のことは通るな……」
「それで、立川さんに同乗してもらうってのが一つ」
それから、真希は少しにこやかになって「ありがと」と言った。春樹としては、礼を言われるようなことではない、むしろ当然のことではあるのだが……面と向かって礼を言われ、何も感じないほど乾いてはいない。何かが顔に出そうになる前に、彼は口を開いた。
「それで、他にも条件がありそうだけど」
「うん。大抵のことは通るんだって?」
「まぁ、限度はあるだろうけど……」
「例えば?」
「……外で泳ぎたいとか、今すぐうな重食べたいとか、そういうのは厳しいかな」
すると、真希は「なにそれ~」と言って笑い出した。自らの願望を口にしていた春樹としては、笑われて少し恥ずかしくはある。
ただ、真希の方からは中々、条件とやらが提示されない。戦意を見せたときの静かな気迫が引っ込み、彼女はためらいがちに口を開いた。
「ちょっと、通らないっぽいお願いで……言うのも恥ずかしいかな」
「へぇ」
「ダメならいいんだけど……」
「勿体つけるね……」
中々踏ん切りがつかないでいる真希に対し、春樹は明るい笑顔を向けて先を促した。すると……
「配信ってやつ、やってみたい」
「配信って言うと、ユーチューバーみたいな?」
「うん」
「今日のこの戦い、私や周りのみなさんのこと、世界中に配信したい。知ってもらいたいんだ」
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