第31話 一矢に捧ぐ

 管制室には、今回の作戦のため持ち込まれた各種モニターが、所狭しと並んでいる。

 今現在、注視の的となっているのは、まず望遠モニター。標的に可能な限り近づいているいくつかの艦艇から、リアルタイムで送られてくる映像だ。映し出すのは、ほぼ正中、両サイド、両斜め前方の5箇所。

 他に重要なのが、送電システムの監視モニター。今作戦では、空母のみならず、周辺の船舶からも電力を引き込んでいる。それら送電系とヴァジュラの稼働状況を、このモニターが一括して表示する。

 今の所、送電システム全体は正常に稼働している。引き金さえ引かれれば、ヴァジュラから超高エネルギーの光線が放たれることだろう。

 と、その時、管制室内に通信が入った。声の主は香織である。


『照準の固定が終わりました。後は撃つだけです』

「了解しました。少々お待ちを」


 支部長が応じると、管制室全体に今度は英語のアナウンスが入った。先のやり取りを全体で共有するためだ。非常時に備え、前もって実践しておくという意味合いもある。

 そして、意思疎通には問題がないことが確認できた。後は、本当に撃つだけである。

 そこで、支部長に対し春樹が手を上げた。


「カウントダウンをした方が、彼女らもやりやすいのではないかと。こちらとしても、発射タイミングがわかった方がいいでしょう」

「そうだな。頼む」


 提案があっさり通り、春樹は少し面食らった。すかさず通訳されたアナウンスが響き渡り、場の一同も彼のカウントダウンについては無言の肯定。多くにうなずかれる中、彼はインカムに話しかけた。


「こちらでカウントダウンしますので、それに合わせて撃っていただければ。大丈夫そうですか?」

『はい、いけます』


 ためらいを少しも感じさせない即答に、春樹は心強いものと、うっすらした罪悪感のようなものを覚えた。作戦を妨げるようなものではないが、それでも思うところというものはある。

 そうした感情を押し込め、彼はカウントダウンを始めた。


「3,2,1――」


 0の声と同時に、外から青く激しい閃光が飛び込んだ。管制室を取り巻くガラスが、きしんで悲鳴を上げる。

 ヴァジュラから放たれた青い極太の光る奔流は、一瞬で標的との距離を踏破した。望遠モニターから、その様が映し出される。青一色に染まるそれに対し、敏腕オペレーターが各種光学補正をかけていく。

 そして、日本語と英語が重なり合うように、目にした者は着弾を叫んだ。敵の攻撃が届かない間合いから、一方的に攻撃を仕掛けることができている。


 しかし――歓喜に湧く暇を、敵は与えはしなかった。横からの観測を映すモニターが、敵の反応を明らかにする。


「敵は光線での相殺を試みている模様!」


 鋭い声での指摘に続き、管制室中で舌打ちとFワードが放たれた。

 横視点でのモニターでは、ヴァジュラからの青い光線と、敵からの赤い光線が押し合う様子を映し出していた。衝突点では正視に耐えない閃光がほとばしり、壁の如きそれが、画面上で左に右にと揺れ動く。

 ヴァジュラからの光線は、敵に届かなくなった。しかし、無意味というわけでもない。出力自体は人類側に分があるようで、力が拮抗する点は、マクロフォージにほど近い。それに、激甚な衝突の余波が、少しずつではあるものの、敵の体を蒸発させている。


 こうした状況は、関係者の多くに力比べの意識を植え付けた。場の視線は自然と、送電系のモニターへ。

 しかし、各艦からの供給は、増やそうと思って増やせるものでもない――いや、すでに相当の無理をしている。発電以外は最低限の機能にまで切り詰め、その上で普段は決して踏み込まない最大出力で、発電系を稼働させている。

 艦艇からは、これ以上送り出せない。それどころか、これが長続きする保証もない。熱気を孕みつつも、どこか諦めを秘めた沈黙が漂い始める。


 だが、管制室内の一同が目を疑う事態が起きた。送電モニターに変化がある。各艦艇からの供給量はそのままに、しかしヴァジュラ全体へ流れ込む量は増加している。

 それが意味するところは、自明だった。血相を変えた春樹が、声を上げる。


「町田さん!」

『立川さん……実は、こちらでも、見えてるんです。ステラさんが、電波ジャックしてくれて……』


 途切れがちな声には荒い息遣いが挟まり、それが彼女らにかかる負荷を思わせた。

 出力は、少しずつ上がりつつある。エネルギーの衝突点を押し返し、敵本体への損壊も確認されている。

 だが、決定的なものではない。そして、「これ以上」の可能性に思い至ったその時、春樹は叫んだ。


「これ以上は無茶だ! 敵を倒す前に、あなたの方が」

『だったら、次善策は?』


 食い気味に被せた香織の言葉に、春樹は返答できなくなった。やり取りを伝える英語の翻訳も、力を失ったように細々とした声で、揺れ続ける窓ガラスの音が、息苦しい静寂の中で耳障りに響く。

 そして、苦しみに耐えながらも絞り出される香織の言葉が、沈黙を静かに切り裂いた。


『あの会議で、誰も……他の作戦なんて、失敗したらだなんて、言わなかった。私だって、そうだった。当たり前に、そういうこと……気づいてた、はずなのに……』


 彼女の言を遮るものはなく、か細い声ながらも染み入るように響いた。ヴァジュラに注がれる総電力は、なおも微増を続けていく。通常の振幅ではない。彼女らは文字通り、命を賭している。人類の敵に、ただ一矢を届かせるために。


 こうなる可能性自体、春樹はある程度予見していた。それを表に出さず、彼は心の奥底に押し込めていた。作戦の失敗ばかりでなく、パイロット二人の命の危険を。

 彼は二人の世話役だ。彼女らに便宜を図り、不自由しないように、動きやすいように立ち回るのが仕事だ。


――何のために?


 彼女らが決断を下すにあたり、彼は逃げ道を用意した。そのつもりだった。無理そうなら、控えに回せばいいと。しかし、二人はそうはしなかった。そして今、彼女らはその身を捧げて戦っている。

 震える拳を強く握りしめ、春樹は送電モニターを見つめた。ヴァジュラへ供給されている総電力は、定格を超えて安全マージンに踏み込み、レッドゾーンに近い。これ以上はない。

 そして、現状を維持できたとしても、勝利には至らないかもしれない。高エネルギー同士の激突による余波で、敵の上部は大きく崩壊する箇所も見え始めたが……

 事態はチキンレースの様相を呈してきた。他人の命で走るレースだ。職分、使命、人倫、理性……様々なものに引き裂かれ続ける春樹は、噛み締めた唇から血を流し始め、そして決断した。


「町田さん、高原さん……」

『……どうしました?』

「……そのまま、こらえてくれ。どうか……頼む」


『ええ、もちろん』


 この戦いには、あまりに多くのものがかかっている。もう引き返せなかった。

 そして、彼は自身のことを深く恥じた。彼自身、その身を以って戦う立場にあったなら、喜んで命を賭けるだろう。それだけの信念と覚悟を持って、今の仕事に就いている。同僚がそうした立場にあって命を張るような状態になったとしても、それをきちんと受け止められるだろう。

 だが、香織たちは身内ではない。一般人だ。巻き込まれる形で事に関わる彼女らに、組織人としては負い目を感じずにはいられない。そして、何より――彼女たちの生死について、春樹の方こそ、その覚悟ができていなかった。そのことを彼は、強く恥じた。


 超高エネルギーの押し合いに、ついに結末を迎えるときがやってきた。

 音を上げたのはヴァジュラだ。建造途中だったせいか、空輸による悪影響か、定格を超えた照射を続けた無理が祟ったのか……白い砲身全体から煙が上がり始め、オペレーターは強制冷却モードへの移行を告げた。

 すると、雄々しいまでの青い光は、一瞬にして去っていった。光度の変化に大勢の視覚が戸惑う中、春樹はインカムに叫んだ。


「町田さん、高原さん、無事か!?」


 すぐに返事はない。待つだけの沈黙が、実際の何倍にも感じられる。その苦痛に身を震わせる春樹だが、

何秒かしてから返事があった。


『私は……』

「無理して話さなくていい!」


 先に答えたのは真希だった。しかし、待っても香織からの返事がない。春樹の顔が青ざめ、汗が滴り落ちる。すると、代わりにステラが、無線に乗せて告げた。


『生命反応を検知、健在です』



 息も絶え絶えになりながら、真希は身をよじるように動き、後部座席から出た。しかし、足元がおぼつかず、コックピット内で腰をついてしまう。

 そんな彼女だったが、自身のことよりも、香織の方が心配でならなかった。ステラは『生きている』と言った。それを疑おうという気持ちはないが、それでも動く様子を見せない香織に、不安が掻き立てられる。

 やがて真希は座席にもたれかかりながらも身を起こし、香織のもとに近づいた。そして、彼女の首筋に手を当ててみると……確かに脈拍がある。耳を澄ましてみれば、浅い呼吸を繰り返しているのが聞こえた。

 ただ、香織は狙撃銃を握りっぱなしであった。さすがに構えは取れていないが、右手が固まったようにグリップを握りしめている。真希は、その右手をほどこうと試みた。しかし、気を失っているように思われる香織の、右手の握りがほどけない。戦いが終わっても、香織の細指は、銃を離そうとはしない。

 それだけのことがどうにも悲しくなって、たまらない感情が押しつぶしてくる。やがて真希は、香織の傍らに力なく膝をつき、一人でさめざめと泣き始めた。

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