第30話 期待の中のふたり②

 申し出た香織は、真顔で食い入るように見つめてくる真希の有り様に、(ちょっと出しゃばっちゃった感じかも……)とは思った。

 しかし、申し出を引っ込めるつもりはまったくない。むしろ、それを押し通そうという、強い気持ちがあった。

 一方の真希はキョトンとした顔から、少しうつむき加減になって、明らかに逡巡しゅんじゅんしている。そうした態度は、彼女が外ではあまり見せてこなかったものだ。体面や体裁――ではなく、場の空気を重んじて、内に抑え込んできたのだろう。香織はそのように考えた。だからこそ――


(私は、この子にはもっと甘えてもらいたい。この子の助けになりたい)


 内心で吹っ切れるものを覚えた香織は、にこやかな表情になり、なおも少し弱々しげな真希に柔らかな声を送った。


「私じゃ頼りないかな? 動き回るのじゃなければ、私でもって」

「でも……先生が動かすの、これが初めてでしょ。それなのに、こんな大役を押し付けるなんて」

「そんなこと言ったら、真希ちゃん以外動かせないじゃない」


 それから、香織は小さく鼻を鳴らし、困ったように微笑みながら言った。


「私でちょっと試してみて、それでうまく行けば大丈夫、そうでしょ? たまには、私に頼ってみない?」


 この提案に対し、返答には少し間があった。追い込むことはせず、神妙な顔つきでじっと待つ香織。うなだれて考え込む真希は、やがて小さな声で「うん」と答えた。

 この了承を受け、少し表情を柔らかくした香織は、次いでステラに問いかけた。


「操縦って、前の座席でしかできませんか?」

『基本的には。後部座席でできないこともないですが、とっさの反射などが混濁すると危険ですので』

「確かに、そうですね。じゃ、席を交代しましょう」


 香織が声をかけると、うつむいたままの真希は、小さくうなずいた。

 そして、座席を降りた二人は、コックピット内で同じ地平に立った。向かい合う格好になると、真希の顔が少し歪んでいく。恥じらい、申し訳無さ、悔しさ……そういった感情を抱いているのだろうと、香織は感じた。

 そんな真希は、両手で銃を差し出しつつ、小さな声で言った。


「ごめんなさい」

「謝られるようなことじゃないと思うけど……」

「でも……私がやるような流れだったから」

「どっちかがうまくいけば、それでいいでしょ? 私には期待されてなかったようだけど……」


 香織は、あえて不満げな口調で、言葉を結んだ。それが意外だったのか、伏し目がちだった真希は、呆けたような表情で目を合わせてきた。そんな彼女に、香織は優しく微笑みかけた。


「代わるっていっても、自信があるわけじゃないの。ポンコツだったらごめんなさい。でも、やれるだけやってみるから」

「……うん、お願いします」


 そして香織は、差し出された狙撃銃を受け取った。かなり抽象化したシルエットのそれは、簡素な見かけに反して、香織の手には重く感じられる。見た目以上に実際の重量があり、そして彼女にとっては、実際以上の重みがある。

 手にしたそれに視線を落とした後、香織は片手でそれを持ち直し、残る一方の手で真希の頭を軽く撫でた。(子ども扱いを嫌うかも……?)という懸念はあったが、嫌がる様子はない。顔を合わせて確認せずとも、空気感でそれとわかった。


 二人がそれぞれの座席につき直すと、香織はインカムで外に告げた。


「念のため、パイロットを二通り試します」

『わかりました。よろしくお願いします』


 香織としては、真希がダメだったというのではなく、自分の方がうまくできたという方向性に持って行きたかった。その方が、いずれにとっても受け入れやすいと考えてのことだ。

 しかし、結局は香織自身がうまく狙いをつけないことには、何も始まらない。メガネを外して胸元に引っ掛けた彼女は、一度大きく深呼吸をし、椅子に座りながら狙撃銃を構えた。

 ミリタリーに明るい彼女ではないが、それでも、狙撃銃の構え方として今のが不適当だというのはわかる。ただ、正しいやり方の細かな部分を知らず、半可通のようなこだわりも持たないことは、今の状況には有利に働いた。先入観に囚われずに動くことができる。

 スコープをのぞき込むと、視界を埋める怪物の存在感に、彼女は恐れを抱いた。しかし、目を背けて逃げようという気持ちは起きない。後部座席にいる真希は、何一つ口を開かない。彼女がどんな気持ちでいるのか、香織にとっては定かではないが、逃げれば裏切ってしまうとは思った――その方が、よほど恐ろしいとも。


 香織にとって、真希は命の恩人である。それと同時に、年下の子であり――自分は年上の大人である。それが当たり前のことではあるが、そうであらねばならないと、香織は思った。

 この空母に集まった大人たちは、いずれも信念や意志を持って事に臨んでいるに違いない。それぞれの知恵と技術、経験を総動員し、手を取り合ってここまでの道筋を作り上げた。その点において、彼らは十分に立派な存在だ。

 しかし、そんな彼らも、真希に対しては単なる大人でいられない。春樹も支部長も精華も、真希に対して親身であろうと努めているが、それでも彼らは組織人だ。真希に対し、託して信じるのが、結局の所は彼らの仕事であり、使命だ。

 そして、この場に真希の、たった一人の肉親はいない。今まで彼女を支えてきたであろう、あの祖父は。

――だからこそ、香織は真希にとって、普通の大人であろうと決心した。子どもが、何一つ負い目を負わずにもたれかかれるような、そんな当たり前の大人に。

 それが、つい最近まで教職にあった者として、命を救われた者として、そして運命をともにするパイロットとしての想いであった。


 現実を切り取った狭いスコープの中、青い照準は揺れ動いた。しかし、少しずつその動きが収まっていく腹が決まっていれば、後は体が言うことを聞くかどうか。そして、香織の体とアストライアーは、よく応えてくれた。

 いつしか、照準の浮動もごくわずかな範囲に収まり、香織は口を開いた。


「一度定めた狙いって、維持できたりしませんか? 私からの操縦を、一時的に無視するような形で」

『落ち着いた状態で合図をいただければ』

「わかりました」

『揺れ動いている状態で、私の方から切り取れればいいのですが……申し訳ありません』

「……ふふふ、私が謝られてばっかりというのも、珍しいですね」


 意識的に明るい調子で香織が言うと、少し間を開け、ステラは『黒い雨が降るような日ですので』と応じた。

 それに含み笑いを漏らした香織が後部座席を見ると、少し力ない感じではあるものの、真希が微笑んでいるところだった。気が早いと自覚しつつも、報われた感覚に顔がほころぶ香織が、彼女に口を開く。


「任せて良かったでしょう?」

「うん……こういうの得意だったりしない?」

「いえ、別に……でも、意外と適正があるのかも?」


 オモチャというには遊びのない狙撃銃を肩に掛け、香織は少しふんぞり返り気味になって笑った。そんな彼女に、真希もつられて笑顔になっていく。


「先生、カッコいいよ」


 その言葉に少し照れくさいものを覚えた香織は、ふと思い出したようにして、外に連絡を取り始めた。


「もしもし。今回の操縦ですが、私、町田が担当します」

『了解しました。動作確認は十分でしょうか?』

「そうですね。ステラさんはいかがですか?」


 香織が問いかけると、問いの答えはヘッドセットから聞こえた。『私も、これで問題ありません』と。無線通信にステラがそのまま割り込んだ格好だが、慣れない香織には微妙な違和感があった。


 ともあれ、これで一段落ではある。後はアストライアーとヴァジュラを電気的に接続し、本当に撃てるようにするだけだ。その準備のため、パイロットの二人は一度出ることとなった。

 白い光に包まれ、コックピットの外に出ると、黒い雨は相変わらずであった。そして、それを物ともせず、作業員たちが最終準備に取り掛かっていく。

 ただ、準備と言っても、作業的なものはほとんど終了している。支部長は二人に告げた。


「アストライアー以外との接続は、すでに終了しています。通電等の最終確認込みでも、あと十数分といったところです」

「かしこまりました」

「それまでは、中で待機していただければ」


 あと十数分で、その時が来る――改めてそのことを意識した香織は、手にした狙撃銃を力強く握りしめた。



 13時21分。ついにその時がやってきた。上司からの連絡を受けた春樹は、軽く咳払いしてからパイロットの二人に告げた。


「準備できました」

「わかりました」


 緊張した面持ちでうなずく香織。その横で真希も、静かにうなずいた。すると、春樹は表情を崩して困ったように苦笑いし、彼女らに話しかけた。


「世話役ながら、応援しかできず申し訳ないです」

「いえ、大丈夫です」

「控えがないわけではないので、どうしてもキツくなったら、その時はご遠慮無く言ってください」


――とは言われても、交代要員が本当にうまく動かせるかどうか、結局は本番一発勝負になる。ならば、控えに回す前に、現パイロットがやれるだけのことをやるべきである。腹をくくった香織に、不安はあっても迷いはなかった。

 それに、狙撃だけは真希よりもうまくできたということが、自信につながったというのもある。香織は春樹をまっすぐ見据え、言葉を返した。


「まずは、私で本当に大丈夫か、試してみたいと思います。それで無理なら、その時はよろしくお願いします」

「……わかりました」


 そうして言葉を交わした後、一行は正規兵の案内に従い、会議室を後にした。


 それから、傘を差して外に出た一行を待ち受けていたのは、作業員から正規兵に至るまで、この戦いに関わる大勢の整列であった。その中には、救星軍を代表する立場の支部長、藤森裕司と、救星軍を支える守屋家代表、精華の姿も。

 甲板を打つ雨音以外に音はなく、場はひっそりと静まり返っている。しかし、静けさを装いながらも、場の空気の熱量ははちきれんばかりに高まっている。すべての準備は整い、後は二人に引き金を託すばかりとなった中、支部長が歩み出て二人に一言。


「準備万端です。後は撃つだけとなりました」

「かしこまりました」


 実のところ、香織の胸中で不安に揺れ動く部分はある。覚悟を決めても、拭いきれていない部分だ。

 しかし、彼女はそういうのがあるのも当然として受け入れた。きっと、それぞれに声を上げたい何かはあって、だけど言ってもどうしようもないとわかっているから、押し殺している……とも。

 白い狙撃銃を片手に、香織は列の間を歩いていった。彼女に付き従うように真希も続く。こういったお見送りは、香織にとっては慣れないもので、どこか落ち着かない部分を感じつつも、そうした戸惑いを覚えられるだけの余裕はありがたく思った。


 声もなく見守る列の間を抜け、二人はアストライアーのもとに着いた。無言で手のひらを差し出され、二人もまた無言でその手に乗り、白い光に包まれていく。

 コックピットに入ると、香織は意識的に大きめなため息をついた。


「なんか、私のキャラじゃないって気がする……」

「い、今更ァ?」

「大丈夫、ちゃんとやるから」


 驚きを示した真希に、香織はやや余裕有りげな笑みを作って返した。今更という言葉はごもっとも。泣き言を言っても、救星軍はきっと受け入れるだろう。ただ、当事者的にはそうではない。

 自分の座席についた香織は、メガネを外して銃を構えた。予行演習の際に比べ、さらに重くなったように感じられる。

 とはいえ、手に余るほどではない。本番を前にした自身の有り様に、香織は小さな安堵を覚えた。


「ステラさん、準備は大丈夫ですか?」

『いつでも構いません』

「じゃあ……よろしくお願いしますね」


 まるで日常で交わす言葉のように、気負わない調子で声をかけた後、香織はスコープを覗き込んだ。

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