第29話 期待の中のふたり①
準備段階においては、真希と香織に出番はなく、彼女らは会議室でただ時を待つばかりであった。
そして、午後1時過ぎ頃。支部長の言葉通りのタイミングで、あらかたの準備が整ったとの報が、会議室に舞い込んだ。状況打破のための大きなステップを前にして、室内に緊張が走る。
それから一行は甲板へと向かったが、外に出る通路に差し掛かると、床が黒い水のようなもので汚れていた。黒く汚れたレインコートや傘も散見され、予期せぬ光景に、真希は思わず息を呑んだ。
春樹が事情をうかがってみたところ、雨が降り出したようだ。
「煤交じりの雨が降ってきたようで。ただ、砲の射程の都合上、あまり距離を取るわけにもいかず」
「ここから離れられない、ということですね」
香織が言葉を継ぐと、春樹は傘を手渡しながら静かにうなずいた。
甲板へ上がると、白かったはずの巨砲が、黒い雨に打たれて薄汚れしている様が真希の目に飛び込んだ。甲板上もそこかしこが黒く染まっている。
頭上では、マクロフォージから伸びる黒い雲が押し寄せ、青い空との明暗をくっきりと分かれている。そうした暗雲の浸食がなんとも暗示的で、真希は胸の鼓動が高鳴るのを覚えた。
黒い雨の中での作業は、決して好ましいものではないだろう。それだけに、雨脚が本格化する前に準備が整ったのは、不幸中の幸いと言える。
準備ができたという全100m級の長大な砲台は、その中ほどに三角形に近い台座が置かれ、砲の持ち手側が甲板に接地する格好になっている。それだけ見れば、巨大なシーソーと言ったところだ。
実際の操作も、中心部の支点を活かして行うという。レインコート姿の支部長が部下を伴って現れると、彼は真希たちにその説明を始めた。
「アストライアーでも、本当に持ったり担いだりというのは厳しいでしょう。そこで、砲の後部を持ち上げるように動かしていただくことで、砲の角度を調整し、狙いをつけるようにいたしました」
『伏せて撃つということですね』
ステラの確認に、彼はうなずいた。それから、彼の合図を受け、部下から真希たちへ備品が手渡される。まずは、真希と香織のそれぞれに、インカム付きのヘッドセット。これは外部とのやり取りのためだ。
さらに、真希には白く長い狙撃銃のような物がを手渡された。「ような物」というのは、その物体があまりにもディテールを欠いているからだ。銃身、グリップ、トリガーにスコープといった構造は存在するものの、白一色の外見は凹凸が無くのっぺりしている。
手渡された物をまじまじと見つめ、真希は口を開いた。
「これは?」
「一種のコントローラーと申しますか。何もないよりは、こういったモノでもあった方が、いくらか狙いをつけやすいのではないかと。こんなのでも、内部にセンサーを仕込んでますから、照準合わせの手助けにはなるかと思います」
言われて真希は、そのコントローラーとやらを片手で持って回しながら観察した。引き金を引いても、何か飛び出すような感じではないが、中に何か入っているような重量感はある。
そうした重みを改めて認識すると、彼女は心の奥底で何かざわつく感じを覚えた。銃を握る手が震えそうになる。しかし……
(たぶん、緊張してるだけ。それに、あんまり心配させないようにしないと)
揺れるものを奥底に留めて表には出さず、彼女は努めて朗らかな口調で礼を言った。
「ありがとうございます」
「いえ、助けになれば幸いです」
それからいよいよ、実射の前の試運転に入る。砲の通電等、各種接続状況は確認済みで、後はアストライアー次第だ。きちんと狙いをつけられるか、セッティングに不備があれば、これから微調整を行うわけである。
そこでステラは、自機を甲板上に顕現させた。黒雲と青空のほぼ境界の下にあって、純白の装甲が黒い雨に
そして、大勢が無言で見守る中、真希と香織の二人は、差し出されたアストライアーの手のひらの上から内部へと乗り込んだ。コックピットで傘を閉じ、二人はそれぞれの座席へ。
すると、ステラが問いを発した。
『伏せて撃つということですが、このままではイスの角度的に厳しいでしょう』
「あ~、なるほどね。イスがうつぶせに寝ちゃう感じになっちゃうか」
手のひらで姿勢を再現して確かめつつ、口を開く真希。
「シートベルトで固定……するのも、少し厳しいかな」
『そう思われます。ですので、イスを丸ごと回転させます』
そう言ってステラは、その様を実践してみせた。真希が機体を動かしたつもりはなく、実際に動いている感覚もないのに、二人の座席だけが前後にゆったり傾いていく。
『私の姿勢に関わらず、お二人の座席角度を維持するようにします。私を動かす真希さんは、姿勢や角度の違いから特に違和感を覚えるかと思いますが、ご了承を』
「わかった」
「お願いします」
パイロット二人はすぐに了承した。その後、真希は「動かすよ」と一言声をかけ、機体を動かしていく。長大な砲を前に、ゆっくりひざまずき、ねそべり、狙撃銃で伏射する構えに。
そこで真希は、機体が腹ばいに伏せている感覚とともに、座席に座る自分自身を感じた。また、外界が透き通って見える球体モニターは、降りしきる黒い雨滴を捉えはしても、モニター表面が汚れる感じはない。そうした視界のあり方が、外界の事象から隔絶されたような感覚を与えてくる。しかし、機体から伝わる感覚は、生ぬるい雨滴の存在を教えてくれてもいて――
視覚と体感の奇妙なミスマッチぶりに、彼女はやや戸惑い、何度か深呼吸をした。
やがて落ち着いた彼女は、オモチャのような白い銃を、モニター越しの標的へと構えた。すると、声に出した覚えはなくとも意志が通じ合い、映し出される敵の姿が拡大されていく。スコープを覗き込むという動作とその意思表示に、アストライアーの視覚が連動するように。
すると、決して近づけない敵の、要塞のごとき威容が視界一杯に広がった。十分に離れてもなお、赤く煌々とした核の存在は明らかで、しかしそれが些末に感じられるほどに、敵は雄大だ。
真希は思わず息を呑んだ。アストライアーもヴァジュラも足元の空母も、そして彼女自身も、敵に比べれば取るに足らないように感じられる。手にした狙撃銃そのものも、それを携える自分自身も、どこか滑稽に思えてしまう。
そして同時に、彼女は久里浜の時とは違い、いつになく弱気になっている自分を認識した。それでもと、彼女は意識を切り替え、眼前に広がる敵の核に向け、彼女は銃を構え直した。
すると、彼女の動きをトレースするようにアストライアーの腕が動き、現実の砲台が微動する。そして、構えた銃の動きに追随し、モニター上に青い光点が移動し始めた。『これが私の照準です』とステラ。
しかし、狙うべき赤き核に、青い照準が定まらない。一瞬重なり合っても、すぐに外れて浮動してしまう。
動かないという動きを意識し、それを徹底するのは、考える以上に難しい。真希はそれを知っている。それに、アストライアーに動きを伝えるという意識を持つこともまた、普段とは違う意識の持ちようを要求し、事の難易度を上げてくる。彼女にはそういう実感が、確かにある。
そして、彼女は思った――そういう理屈は、言い訳に過ぎないと。
一度スコープから目を外すと、彼女は震えっぱなしの両手に気づいた。額から冷や汗が流れ落ちる。胸に手を当てるまでもなく、心臓が泣きわめいているのがわかる。
どうしようもないほどに情けなかった。
一度狙撃銃の構えを下ろし、彼女は肩を震わせながら、荒い呼吸を落ち着けようとした。その時……
「真希ちゃん」
「……なに?」
「私が代ろっか?」
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