第23話 高原家

 4月22日。菓子折りを片手に下げた春樹は、ある家の前で立ち止まって緊張に固唾を飲んだ。その家というのは、高原家である。

 この家を前にして春樹は、先に訪問した町田家のことを思い出した。香織に似て、温和でおっとりした雰囲気の町田家一同は、事前に香織本人から説得されていたこともあって、拍子抜けするほどスムーズに話が進んだ。

 それでも、香織の今後を案じ、不安は隠しきれない様子でいたが。

 一方、こちらの高原家は……真希の祖父、圭一郎との間に、ちょっとした因縁がないこともない。そこからくるちょっとした負い目の他にも、どことなく嫌な予感に、春樹は身構えた。思えば、久里浜での一件で真希の元に駆け付けた肉親は、圭一郎一人だった。


――では、両親は?


 胸中に暗い予想が雲となって広がる。それを振り切って、春樹はインターホンを慣らした。

(ご両親については、聞けばわかることだ……いや、きっと、聞かなきゃいけないことだろう)

 すると、あまり間を置かずに返答があった。


『高原です。どちら様でしようか?』

「救星軍日本支部所属、立川春樹と申します」

『ああ……確か、新聞部の……どうぞお入りください』


 圭一郎の言葉に、春樹は一抹の気まずさを覚えた。やはり、身分を伏せての接触を、先方は覚えている、と。しかし、インターホン越しの声音に、敵対的な響きはなかった。

 気を取り直して戸を開けると、玄関口にはポロシャツ姿の圭一郎が立っていた。春樹の予想に反し、表情は少し柔らかでさえあり、初見での雰囲気は友好的だ。

 とはいえ、空気に流されることなく春樹は気を引き締めて向き直り、腰から曲げて一礼をした。


「お邪魔いたします」

「どうぞ」


 春樹が通されたのは、縁側横の和室だった。座布団がすでに二つ敷かれてあり、圭一郎が先に正座すると、春樹もそれに倣った。


「崩していただいても」

「いえ、仕事で慣れてますもので」

「営業や聴取……といったところでしょうか」


 圭一郎がそう言うと、春樹はここがタイミングだと感じ、相手をまっすぐ見据えて謝罪に入った。


「海浜公園でお会いした際、身分を偽っておりました。その件につきまして、誠に申し訳なく存じます」

「……とはいえ、救星軍としての立場を明かすわけにもいかなかったでしょう。それに、ある程度情報を持っていながら素知らぬ顔で応じた私にも、似たような非はあります」


 実際、お互いに事情はあった。お互いさまではある。しかし、直に会って理解を得られたことに、春樹は少しばかり許されたような心地を覚えた。

 その後、圭一郎は用意してあった茶を淹れた。「お構いなく」と言う機を逸し、茶をいただくことに。

 すると、外からやや強い風が流れ込こみ、その時初めて、春樹の注意は庭に向いた。庭には洗濯物が干してあるが、タオルや手拭いの類が異様に多い。立ち入った質問になるかもとは思いつつ、春樹は尋ねた。


「あの洗濯物は、一体?」

「実は、道場をやっておりまして。といっても、子ども向けのものや護身術の教室で、そこまで本格的なものでもありませんが」

「なるほど……ご職業も、そういった武道関係の?」

「いえ、警官でした。もっとも、職業柄、武道とは無関係でもありませんが。今のは、退官後の趣味ですね」

「お孫さんも、ご趣味を手伝われている感じでしょうか」

「そうですね。ご婦人方相手ならば、あの子の方がより抵抗感ないようで。中々助けられてますよ」


 そう言って圭一郎は、ややアンニュイな表情を浮かべ、茶をすすった。

 話の流れが切り替わりつつある。そういう空気を認め、春樹は居住まいをそれとなく正した。それがスイッチになったかのように、圭一郎は顔を引き締めて、問いを放った。


「あの子と町田さんは、精密検査を受けていると聞きましたが」

「はい。不調の訴えや兆候はありませんでしたので、あくまで念のためのものです。」

「なるほど……では、今後について、お伺いしても?」


 当然の質問である。春樹は硬く目をつむった後、まっすぐ視線を返して「はい」と答えた。


「アストライアー運用にあたり、我々の拠点に詰めていただくのが望ましいと。そこで、拠点の準備が整い次第、そちらに住んでいただければと」

「その拠点というのは、着工中ですか?」

「はい。あと1か月弱で落成の見込みですが……」


 その時、口にした春樹の顔にわずかな曇りが差すのを、圭一郎は見逃さなかったようだ。歯切れの悪い言葉に、彼は疑問を差し挟む。


「何か懸念でも?」

「……内密の話になりますが、大規模な敵の襲来が予測されております。迎撃のため、そちらに注力することになるかと」

「あの子らも、その戦いに?」


 問いかけてくる声は淡々としたものだが、春樹の心への響きようはそうではない。いかようにも感じてしまう心の揺れをどうにか抑え込み、春樹は短く、「おそらくは……」と返した。返答の後、彼は神妙な顔でじっと、相手の反応を待った。

 すると、圭一郎の顔に、どこか切なそうな苦笑いを浮かぶ。彼は一度外を見やってから、こぼすように言った。


「あの子の判断に任せます。何か心に決めたものがあるなら、私はそれを支持すると。よろしければ、そうお伝えください」

「……わかりました」


 放任主義とは違う。しかし、全幅の信頼という感じでもない。この祖父と孫の間には、どこかもの悲しい一面が見え隠れする。その原因の一端であろうものに、春樹はアタリがついていた。

――そして、それが大変に聞きづらい話題であることも。

 悩ましい問題ではあるが、真希の世話役であるという職業倫理が背を押してもいる。そして何より、傷つきながらも戦い続けたアストライアーを見た時の想いが、彼をためらいの先へ一歩進ませた。


「一つ、お伺いしたいことが」

「何でしょうか」

「真希さんのご両親は?」


 すると、圭一郎は茶を一気に飲み干し、無言で湯呑の底をじっと見つめた。その間が、春樹には、思い描いた暗い予想を肯定するように思えてならない。

 そして、静かに語り出す敬一郎の言葉が、暗鬱なイメージに輪郭を与えていく。


「あの子の両親は、NGOに参加しておりまして……紛争における、難民向けの医療と支援を行うものです。それで……あの子が8歳の時、息子夫婦は武装勢力の襲撃に巻き込まれました」


 返す言葉もなく、春樹はただ口を閉ざすしかなかった。

 だが一方で、耳にした言葉が信じられないという思いは、意外なほどにない。むしろ、腑に落ちるという感覚さえあった。あの夜目にした、常軌を逸する光景と、世話役として接した普通の少女が、今一つに結びついていく。

 あの時、真希が何を考えていたのか、何を想っていたのか……春樹には知りようがない。圭一郎にしてもそうかもしれない。ただ、思い巡らして案じることしかできない。

――いや、そうせずにはいられない。

 不意に心をかき混ぜられた感覚に陥り、春樹は目頭が熱くなっている自分に気づいた。内ポケットからハンカチを取り出し、軽く拭う。


「申し訳ありません……」

「いえ……ありがとうございます」


 この感謝にも、何か思わせるものはあったが、春樹はこらえて再度向き直った。そして、圭一郎は言葉を続けていく。


「息子夫婦は、何度か紛争地帯に行きました。決して、甘い考えはなかったでしょう。向かう度、二人は後事のための用意をしていましたから。しかし、二人にそれだけの信念があろうと……あの時、止めていればよかったと思わずにはいられません」

「では、真希さんのことも……」


 そう口にした舂樹だが、彼の予想に反し、圭一郎は悲しそうな顔で首を横に振った。


「あの子にはあの子なりの想いがあるのでしょう。肉親を失うということを、身を以って知りながら、なおも立ち向かうだけの何かがある。それが親への忠孝か、それとも反抗心かは知りませんが……あの子の親を止めてやれなかった私が、今更あの子を止めてしまうわけには……」


 そして、圭一郎は口を閉ざした。

 外では風が吹きすさび、いくつも並ぶ洗濯物が、風にあおられて音を立てている。陽光溢れる庭から、縁側を超えて光が差し、向かう合う二人の間で光と影が揺れ動く。

 ややあって、家一郎は深く頭を下げ、静かに言った。


「孫を、どうか助けてやってください」


「誠心誠意、務めさせていただきます」

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