第21話 密室の会談②

 首相の言葉に緊張が走り、室内が瞬時にして静まり返った。卓を挟むいずれの陣営も、この言を放言とみなしたように固まっている。

――まさか、一国の宰相ともあろう者が、邦人の少女を戦地に送ることを是とするとは。

 この緊迫からいち早く抜け出したのは、文部科学省大臣である。彼女は少し詰問するような鋭い口調で、総理に問いただした。


「理由を伺う前に確認したいのですが、こういった場で話される以上、『私個人の』と前置きしても、公式な言質と受け取られかねませんが……その点もお考えの内でしょうか?」

「もちろん。私見というのは、それぞれに立場と言い分はあるだろうが……といった意味だ。そのまま政府見解とするものではないが、総理としての発言だと捉えてもらいたい」

「政治的には自殺行為に思われますが」


 臆せず冷ややかに、身内の閣僚が釘を刺していく。政府側でにわかに静かな不協和音の気配がにじみ出るのを、救星軍側は固唾を飲んで見守った。

 すると、果敢な閣僚を逆にたしなめるように、首相は苦笑いで言った。


「救星軍がいなければ、すでに何人か政治的に即死していたとは思うがね。そこを助けてもらい、その上で協力体制を打ち出しておきながら、外面だけは大衆に寄ろうという。まさに面従腹背ではないか?」


 刺そうと打ち込んだ釘を刺し返される形になり、先の発言者は押し黙った。一方、このやり取りに対して聞き役に徹する春樹は、いずれの立場も正当性を持つように思った。

 年若い女性を戦場に差し出すことを肯定すれば、政権としては大きなイメージダウンになるだろう。それを避けたいというのは当然の話だ――というより、そういった判断を肯定する姿勢を権力側が見せることそれ自体、道義にもとる行為と見る向きもいるだろう。

 しかし、首相が言う事ももっともである。当面はあの二人をパイロットとせざるを得ないのだから、選択肢がない救星軍を擁護する意義はある。

 いずれの立場も理解しうる彼にとって、肯定的な意見を真っ先に口にしたのが首相という事実は、確かに心強くはある。しかし、なんともいえない微妙な感じがあるのも事実だった。

 会話が切れ、少しの間沈黙が流れた。そこで口を開いたのは、閣僚の中でも一番落ち着きを保っているように見える、文科省大臣だ。彼女は首相に問いかけた。


「先ほどの総理の発言は、救星軍の立場を考慮したばかりではなく、単にあの二人がパイロットであることそれ自体を、肯定的にお考えであるようにも受け取れましたが」

「ああ、そのつもりで発言した」

「……いささか、信じられないという思いはありますが、念のためにそのお考えを伺っても?」


 かなりためらいがちに大臣が言うと、首相は静かにテーブルを見つめ、やがて口を開いた。


「3つほどあるが……官邸の外に出せる言葉ではなくてね。あくまで、政府方針を打ち出す上での、各々の判断材料として、この場で収めてもらいたい」


 それは、「これから爆弾発言をする」という宣告のようにも受け取れた。付き合いが長いのか、文科省大臣は渋い口調でため息をついたが、他の閣僚の多くは緊張で表情を固くし身構えている。

 そうして空気が張り詰める中、首相は言った。


「子どもに大きな責任を負わせるのは……という意見もあるだろうが、私としては、年齢だけでそう責任能力が変わるとは思わない。甲子園で投手と観客席を見比べれば、それとわかるはずだ」

「それは特殊な事例では?」

「もちろん。そして、より特殊な事例が、まさに久里浜で生じたのではないか?」


 反論の声は上がらない。あらかじめ参席者はアストライアーの仕様に目を通している。その仕様を踏まえれば、真希が単なる子どもと片づけられる存在ではない――春樹と同様に、場の面々もそう認識しているようだ。

 それからも、首相の言葉は続く。


「仮に、大人の方が精神力で上回る部分があるとしても、子どもには子どもの強みがある」

「それは一体?」

「ただ子どもであるというだけで、大人が甘くしてくれるということだ。身に覚えがあるのではないかな?」


 首相は場の一同を見回した。身につまされる思いからか声が上がらない中、彼はさらに話を続けていく。


「仮にあの機体のパイロットが、実戦において何らかの失敗をしたとしよう。その場合、操縦者が子どもである方が、非難の声は減り、擁護の声が増すのではないかと思う。非難があるとしても、周囲の大人に向くのではないか。そして、たとえ大人の方が強い精神力を持つと仮定しても、取り巻く状況が与える心理的影響を加味すれば、大人が持ちえると仮定した優位は、絶対視できるものではないと思われるが」

「しかし……でしたら、パイロットを情報網から切り離せばよろしいのでは? 世間の無責任な物言いに、あえて晒す必要もないかと」

「それを決めるのは本人であるべきでは? それに、体を張った献身の反響と評価に触れられないというのは、あまりに空疎と思うが。それとも、届かせる反響を編集すべきと?」


 口を挟んだ閣僚は、淡々とした口調での返しに抗弁できなくなった。代わりに他から声が上がる。


「なるほど、精神面については、あの二人を推すのも良し悪しと言ったところかと。では、他の理由については?」

「ああ、心理テストを見る限りだが、二人とも政治に無関心ノンポリのようでね。それに片方が子どもというのがいい」

「仰る意味が……」

「まあ、たとえ話をすれば簡単なんだが……あなた方がアストライアーのパイロットだったとしよう。それでだ、平壌が今回みたいな襲撃に遭った時、東京と同じように守れるか?」


 その発言に、室内が一瞬で凍り付いた。その静寂を意に介さないように、首相は言葉を続けていく。


「攻撃を受けているのが、別の都市だったらどうだろう? 北京、モスクワ、ワシントン、香港、エルサレム……誰が乗っても、各都市を同じように守れるか?」

「……あれだけの力を持ちえたなら、そういう使命感は芽生えるものかと」

「ならば、もう少し踏み込んだ話をしよう。国際社会から白眼視される国があるだろう。経済関係で“制裁”を受けるような国だ。そういう国の都市が襲われた時……少しぐらい手を抜いて苦しませてやった方が、『世のためになるんじゃないか』と、思ったりしないか?」

「……総理は違うと?」

「私は、そういう面で制裁を加えようなどとは思わない。制裁というのも思い上がった言葉だと思うしね。だが、仮定などいくらでもできる。私が言いたいのは、世のためと称して犠牲を強いるような思想・理念を持つ者の手に、あの力を委ねるべきではないということだ」

「だからこそ……政治的信念のない者、それも子どもに力を委ねたいと」

「子どもであることを推奨するものではないが、何か強い思想を持つ大人よりはずっといいと思う。それと、最初のパイロットが日本人で良かったとも思うよ。私たち日本政府に降りかかる問題こそあれど……もし、キリスト教圏にアストライアーがやってきた場合、中東には派遣できないだろうからね。逆もまた真であると思うが」

「それは、悲観論に思われますが……いえ、想定して然るべきでしょうか」

「いずれにせよ、あの機体のパイロットは、操縦を通して政治や宗教思想の実現を図るべきではないし、そうしているという疑念を周囲に抱かせてもならないと思う。一度そういった方向で舵を切ったのなら、国際社会には深刻な断裂が刻まれ、後釜争いにおいて憂慮すべき自体も生じることだろう」


 何一つ遠慮を交えることなく、ただ淡々と話していく首相に、春樹は背筋が冷えるような思いであった。救星軍の内部事情を明かしたことはないが、現在進行中である代替パイロット選定方法の在り方について、その議論を見抜かれているようであり、釘を刺されているようでもある。

 そして彼は、会議に先立って、同僚の政治通から聞いた話を思い出した。なんでも、この首相は当たり障りのない政治家に見えるが、永田町では「どういうわけか政権を握った」とまで言われる世界市民主義者コスモポリタンだと。

 そんな首相は、あの二人を承認する最後の理由について口を開いた。


「電力会社からの報告だが……今回の一件による設備的な損害や異常は、ほぼないそうだ。通常の修繕費の範囲で収まるとね。一方、アストライアーの仕様によれば、思い描いたように動き、ある程度痛覚が伝わるとある」


 一度言葉を切った彼は、「つまりだ」と前置きし、軽く場を見渡してから言葉を続けた。


「あの高原嬢は、痛みを負うのを覚悟の上で立ち向かい、背後の発電所に被害が出ない立ち回りを彼女自身が思い描き、そしてそれを実践してみせたというわけだ」


 その言葉に、春樹は鳥肌が立つような思いだった。発電所内のカメラが捉えていた映像、近くの埠頭で野次馬たちが収めた映像、そして直に見た記憶――それらがありありと脳裏に映し出される。

 思い描いた動きを実現する機体に必要なのは、機体にできる動きの範囲を感じ取り、それを積み上げて勝利を思い描く力だ。誰にでも動かせる機体だとしても、その動きの質には当然差が出る。そして――


「アストライアーが、あまりに常軌を逸した存在だから、そのことに意識を取られているのだろうが……あの高原嬢も、十分に得難い人材だよ。託すには十分な資格と才能があるのではないかな」

「しかし、他の適任者を探す努力は、怠るべきでは……」

「それはもちろん。しかし、相手が子どもだからと非難を恐れて退け、それでいて代案は出さない。困難であろう後釜の選定について、丸投げせざるを得ないのをいいことに……」


 やや冷ややかな口調で口にした首相は、誰に向けたというわけでもなく、皮肉を言い放った。


「まぁ、たまには野党や大衆の気分を味わってみるのも、それはそれでといったところかね」



 真希と香織の二人……いや、ステラを含めて三人と言うべきか。ともあれ、その程度の少人数で使うにはあまりに広い部屋の中、真希と香織は身を縮めて時を待っていた。

 永田町へ来るなり、すぐにこの応接室へ案内され、心理テストなどを提出して早3時間。退屈させないようにとの心配りからか、テーブルの上には各種雑誌が取り揃えられている。

 すっかり借りてきた猫になっている真希は、恐縮のあまり会話する気も起きず、ただ雑誌で暇を潰すばかりであった。が、読んでもなかなか頭に入らない。


 そんな静かな部屋だったせいか、外から近づく足音を、彼女は当然のように知覚した。彼女があえて少し音を立てて雑誌をテーブルに伏せると、気づいた香織が顔を上げて顔が合う。

 そこで真希は、それまで静かにしてきた流れに思わず従い、誰かが近づくことをジェスチャーで示した。その意図は伝わったようで、香織の方も雑誌を置いて居住まいを正した。

(これで勘違いだったら……ま、笑えばいっか)と思う真希であったが、足音は確実に近づいてきている。近づく足音とともに、胸の奥からも大きな音が響いてくるように感じられる。

 この後どうなるのか、何か言われるのか、考え始めると気が気ではなかった。


 そして、ドアがノックされた。「今よろしいですか」と若い男性の声。この声は、二人をここまで連れて来た春樹のものだ。硬い表情で二人が目配せすると、香織が代表して「どうぞ」と答えた。

 すると、入ってきた人物の顔を見て、二人は絶句した。当然、一人は春樹で、取り立てて緊張させるような相手ではない。

 問題はもう一人の方だ。後に続いて部屋に入った人物は、真希がテレビで見たことのある人物で……いわゆる総理大臣である。

 首相の登場に固まっていた二人は、我に返るとほぼ同時に、跳ね上がるように直立した。そんな彼女たちの様子に、首相は苦笑いで応じた後、表情を柔らかくして軽く頭を下げた。


「今日はわざわざ、こんなところまでご足労いただく形になり、申し訳なく思います」

「いえ、こんなところだなんて」

「いやいや、私にとっては大変に息苦しい町でしてね、つい」


 だいぶ実感がこもっている、しみじみとした自嘲と皮肉の響きに、固まっていた二人は少し顔をほぐした。一方、首相の横に立つ春樹は、緊張に固くなりつつもシニカルな笑みを浮かべている。

 それから、首相は謝罪の言葉を続けた。


「聴取と挨拶のために呼び出し、その上、長時間拘束する形になってしまいました。こちらから出向くのが筋かとは思いますが、何分急ぎの案件が多く、ここを離れにくいものでして」

「いえ、その……ご高配痛み入ります」


 戸惑いながらも香織が言葉を返すと、陳謝で少し曇っていた首相の顔が、少し晴れた。ただ、それでも陰は残り、彼は神妙な顔で口を開いた。


「後に公式発表がありますが、日本国政府としては、救星軍に協力を惜しまない方向性を打ち出します。従って、あなた方お二人についても、救星軍経由で支援させていただくことになるかと」

「ありがとうございます」


 礼を言って頭を下げる香織に従い、真希も頭を下げつつ、受け応えする香織を頼もしく思った。少し当惑するところを見せても、それは無理もないだろう。相手が一国の首相なのだから。

 二人が顔を上げると、首相は難しい顔をしたままであった。やがて、彼もまた、眼前の人物に深々と頭を下げ、そして言った。


「久里浜の件は、誠にありがとうございました。お二方ともに、今後も世のために戦うご意向とのこと。何卒、よろしくお願いいたします」

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