第20話 密室の会談①

 会議室のテーブルを囲う面々を前に、立川春樹は実戦時よりも強い緊張を覚えた。同卓するのは首相を筆頭とする閣僚と、ごくわずかな一部の側近たちだ。

 こうした、日本政府と救星軍との公的な会合は、まだ数えるほどしか開かれていない。現場エージェントの一人に過ぎない春樹にすれば、場違いに思われる空間だ。

 幸いにして、彼同様にあの時現場で動いていた職員が呼ばれている上、救星軍を代表して話す立場の人間は他にいる。日本支部長や広報担当の部門長などだ。現場にいたものの発言を求められるとしても、すでに報告書がある程度形になって、机の上に置かれている。

(あまり緊張することもないか)と、気張る体をほぐすように、春樹は鼻から細く息を出した。


 参席者一同が揃うと、物静かな立ち上がりで会議が始まった。

 まずは、関係各所から上がってくる情報共有から。戦場となった久里浜、ネット含む各種メディアの反応、そして天文分析。今のところ、急な対応を要する事象は起こっていない。強いて言うなら、ネット上での祭りが落ち着く様子を見せないところか。


 こうして情報共有を進めていく中で、日本政府は早くも協力的な姿勢を見せているように春樹は感じた。

 今回の事象において、救星軍ですら把握していなかった、突発的な協力者の働きによるものは大きいが……敵性物体の撃退において、救星軍の仕込みが奏功したのも事実だ。次世代型装備ということで救星軍が研究し、自衛隊経由で横須賀駐留艦に配備していたレールガンや、対レーザー装備などがそれである。

 そういった、陰ながらの準備を推し進めるだけの実行力と組織力は、政府としても認めたように思われる。そして今後、人類の存続を図る上でも、互いの緊密な連携が必須と考えているのだろう。


 聞く側に回るばかりの春樹ではあるが、こうした会議の流れについて、組織の一員としては確かな手ごたえを感じていた。

 日本政府は、これでおそらくは、明確な協力者になる。直接攻撃を受けたという事情もあり、他国よりは話が早いだろうという目算はあったものの……この協力関係を公式に打ち出せれば、他国も追随しやすい流れを作り出せる。

 むしろ、各国との協調関係があって、救星軍としてはやっとスタートラインといったところか。解決すべき問題はいくらでもある。机に広げた書類に目を向け、春樹は顔を少し曇らせた。


 あのパイロット二人の素性は、まだ明かしていない。しかし、いつかは明るみになるだろう。隠し通そうとして露見すれば、非難にさらされるのは想像に難くない。それに……

 話題の切れ目で「少々よろしいか」と口を開いたのは、第95代目の内閣総理大臣、持田祥文よしふみだ。しわが少なく、若く見られがちな彼は、指で軽く眼鏡のポジションを整えながら言葉を続けた。


「救星軍として掴んでいる、次なる敵の動きは?」


 この問いに、救星軍の側で緊張が走った。これまでトップシークレット扱いだった情報だが、この場で共有すべきものではある。

 それでも口にするのがはばかられるのは、空を見上げて備え続けてきた彼ら自身も、この現実を信じたくないという思いがあるからだ。彼らが醸し出す重い雰囲気に、政府側の多くも固唾を飲んだ。

 そこで、救星軍を代表し、日本支部長が立ち上がった。がっちりした体躯で、やや丸みのある偉丈夫といった壮年男性だ。彼はまず、広報官に合図した。その合図で、政府側に新たな書類が回されていく。

 書類に描かれているのは、地球を端の方に置いた宇宙空間だ。地球と月の間の宙域には、ごく小さな半透明の雲が浮かんでいる。地球そのものと比べれば、大した大きさではない。

 しかし――これが地球上にやってきたらどうなるだろうか? 常人のスケール感では正確に把握できないそれを目にし、政府側は言葉もなく固まった。

 すると、支部長が重い声で、書類について口を開いた。


「ご覧いただいている物が、次なる敵性物体です。進行速度を勘案すると、およそ1か月弱で地球に到達する見込みです」

「場所は?」

「何とも言えません。動力を持たない天体と違い、それ自体が加減速しています」

「なるほど。観測だけでは予想できないわけだ。では、規模は?」


 首相の問いかけに、支部長は少し押し黙った。後からすればほんの少し開いた間でしかないが、言葉に詰まったという事実が、場の空気を一層重く張り詰めたものにした。


「敵は光学的にも電波的にも捉え辛く、把握できている分は氷山の一角と考えていただければ。それでも、敵群が全長キロメートル級の規模ではないかという憶測は立っております」


 この言葉に、室内はせきを切ったようにどよめいた。今回のクラゲは全長20mほど。それが1kmにも及ぼうかという群れを成しているかもしれないという。

 だが、むしろ……群れで来るというのは、希望的観測かもしれない。支部長は、より悪いケースについて言及した。


「この塊の観測において、構成物が離合集散する様子は確認できませんでした」

「……つまり、ひとかたまりの物体である可能性が無視できない、と」

「はい。単一個体か、もしくは群体の可能性もありますが……」

「いずれにせよ、天文レベルでの観測対象になり得る、全長をkm表記するような怪物が、地球に迫ってきているわけだ」


 このような話を聞かされてなお、首相はさほど物怖じした様子を見せないでいる。その有様に何か触発されたのか、支部長は平静を取り戻し、落ち着いた口調で「はい」と答えた。しかし、他は気が気じゃない様子である。


 無理もない話だ、と春樹は思った。むしろ、近づいてきているのが、レーザーだの電波妨害をする化け物で、まだマシだとも。

 これがもし、体当たりしかできない岩石であったなら……恐竜絶滅の原因と思われる隕石よりは小さいが、それでも激甚な天変地異が生じるだろう。そういった単なる災厄よりは、宙に浮きつつ攻撃の意志を見せる怪物の方が、まだやり合える余地が残されている――かもしれない。


 次の敵に対するデータが少ないのは確かだ。そして、現時点での不確かな情報を元に、いつまでも拘泥するわけにもいかない。

 それに、場の空気という物もある。いつまでも、この重さが尾を引くことを嫌ったのか、首相は何度か手を叩いた。


「先送りにするようだが、ここで悩んでも仕方ないだろう。まずはできるところから片付けようじゃないか。救星軍も、それでよろしいか?」

「はい」

「まぁ、私が持ちかけた話題なんだがね」


 苦笑いで首相が口にすると、場の多くが書類をめくり出した。現状で片づけなければならない問題は、明確なものが一つ。そこで声を上げたのは、救星軍の広報官だ。


「協力者アストライアーと、そのパイロットについての情報は、すでにお目に通していただいたかと思いますが」

「はい」


 書類をめくりながら首相が答えた。周囲の閣僚も当該のページを開こうとし、春樹もその流れに倣った。

 くだんの書類には、この会議に先立って聴取した、アストライアーの仕様が記されている。それと、ステラが認めた搭乗者として、真希と香織のちょっとした適性検査も。心理テスト、思想調査を組み合わせたような物で、救星軍職員の春樹としては、馴染みのあるものだ。

 場の一同が書類を開き終えたのを認めると、広報官はさらに少し間を持たせ、硬い口調で言った。


「例のパイロットの一人が、女子高生なのではないかという噂がSNS上で流れています」

「目撃者から漏れたということか?」

「おそらくは。軽い気持ちで身内に漏らしたところ……という流れでしょうか」


 もちろん、現場周囲にいた人物について、救星軍は形式的な聴取を行い、「協力費」と称して口止め料を渡している。事情への理解を求める説明も。

 しかし……それでもやはり、認識の差異というものはある。ふとした拍子に、軽い気持ちで口からこぼれたのだろう。

 こういった漏洩は、政府にとっても他人事ではない。強く統制して締め上げれば、情報の反発力はむしろ増す。事象の規模と不確実性を思えば、むしろこの程度で収まっているのが幸運とも言える。救星軍の不手際を責めることもできただろうが、政府は責任の追及よりもまず、事態への対処を志向した。


「野放しというわけにもいかないでしょう。話題があまりにもセンセーショナルですから、一度勢いづけば手の施しようがなくなります」

「情報の真偽がどうあれ、世間一般で大いに広まれば、その真偽を問う声が我々に向くことになるかと。そうなれば、政府の対応力や、救星軍の信を問われることとなりかねません」

「問われてから答えるよりは、答えられる分を先に公表すべきだろう。大衆相手にまで後手に回るようでは、組織機能への不信感を助長しかねない」


 こうして、メディア関係に明るい比較的若手の閣僚の意見もあり、この件については能動的に対処することとなった。


「問題は、どこまでを明かすかですね」


 救星軍広報官が指摘を入れると、会議は一度立ち止まった。そこで情報面に強い閣僚たちに割って入ったのは、文部科学大臣である。還暦近い柔和な女性大臣は、物静かな口調で言った。


「噂への対応ということであれば、高校生という身分を伏せるのは逆効果でしょう。世間的には、そこが焦点なのでしょうから。しかし、実名と学校名を明かせば、彼女の普段の生活に大きな迷惑となりかねません。世論はそこまでの情報は求めないかと思われますし、国として釘を差しておく意義もあります。落としどころとしては、それが妥当ではありませんか?」


 実際、会議の前に救星軍側で打ち合わせたところ、同様の結論に行きついた。パイロットは邦人女性が二人で、高校生と社会人。本人と関係者の生活を考慮し、具体性のある情報は出せない――そのように公表する、と。

 ただ、この場で話し合うべきは、公表すべき情報だけではない。むしろ、それが定まってようやく半分だ。話がまとまりつつある様子を見せるも、どこかぎこちなくなっていく雰囲気も同時に感じ取り、春樹は身構えた。

(さすがに、国政のトップともなると、一筋縄ではいかないか……)

 やがて、小さなざわめきが残る中、広報官が政府側に呼びかけた。


「では、公表内容につきまして、先程の議論をベースに草稿を作らせていただきます」

「了解しました。会見は早めの方が良いでしょう。報道関係とはこちらで調整します」

「……よろしくお願いします」


 この、広報官の返答に、春樹はわずかな間を感じた。この件について、早くも恩を作ってしまった――広報官はそのように考えたのだろう。それは春樹自身の感覚でもある。

 というのも、救星軍として、この件に関しさらに陳情すべき事項があるからだ。広報官は緊張した面持ちで、それを切り出した。


「つきましては、この情報開示に際し、政府見解もいただきたく思います」


 この言葉に、政府側はややざわついた。首相は顔も動かさずに静かに構えたままだが、閣僚の多くは書類をめくり出した。

 やがて、先の陳情に対し、閣僚から疑問が投げかけられる。


「アストライアーのバイロット契約期間は。地球時間で22日相当とあります。まだ切り替えの時期にないのでは?」

「はい」

「加えて……次の候補者の選定と訓練、及び人事権等は救星軍が担当するとありますが」

「はい」


 問いかけに短く応える広報官に閣僚たちは、救星軍の思惑に気づいているのか気づいていないのか、はたまた気づかないふりをしているのか、少し当惑する様子を見せた。

 すると、首相同様に落ち着いた様子の文科省大臣が口を開いた。


「あなた方を責めるつもりはありませんが、我々にも明かされない情報がある以上、我々がパイロット当人や管理体制を云々しても、そうした言及自体に妥当性は認められないのではありませんか?」

「……道理の問題としては、仰る通りです」

「……では、どういった意図で、そのように我々の所見をお求めになられるのですか?」


 すると、広報官が押し黙ったわずかな隙に、ねじ込むように首相が声を上げた。


「大臣、あなたも半分以上は気づいているのでは?」

「では、総理はどのように?」

「アストライアー運用においては、救星軍にその実権がある。その点だけを見れば、我々は部外者と言ってもいいが……現時点でのパイロットは、我が国の国民だ。無関係とは言い切れまいよ」


 それから彼は、書類の上を指で軽く叩いた後、より重い話題を変わらない口調で続けていった。


「そして……地球の命運をかけた機体に、あえて不適当な表現を用いるが、女子供が乗るわけだ。彼女ら自身が強い意志を持って乗ると決断したとしても、衆目は″乗せた″と捉えるだろう。それを政府がどう思うか……というより、政府がどう思っていると思わせたいか……」


 一度言葉を切った彼は、静まり返った室内を見渡してから、軽いため息とともに結びにかかった。


「あなた方の本意は、もう一歩先にあるのだろうね。つまるところ、うら若き女性を戦場に向かわせてしまうことについて、政府から肯定的な声明を発してほしいのではないかな?」


 見透かし、下に見るような嘲りはなく、かといって親切心がにじむ温かさもなく、彼は淡々とした口調で話しきった。彼が話を終え、春樹はテーブルの下で両手を固く握った。

 この首相は、決して煌々たる傑物ではない。むしろ、世間一般では当たり障りない、平時向けの政治家と見られている。

 だが、会議に先立って聞いた話では、歴代の総理の中でも珍しい異物であると聞き及んでいた。まさにその異質性の一端を垣間見たような心地である。

 そんな首相に言葉を向けられ、広報官は支部長に目で確認を求めた後、「仰る通りです」と言を認めた。


 だが、首相が異質性を発揮するのは、まさにこれからである。国政の頂点に立つ彼は、広報官の言葉からあまり間を置かずに、「あくまで私一個人での見解だが」と前置きすると、あっさりとした様子で続けた。


「地球を守る力が彼女ら二人の手にあることは、中々望ましいことではないかと思う」

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