第19話 戦いの翌日
圭一郎と入れ替わりでテントの外に出た香織は、慌ただしい周囲の様子に少し縮こまり、所在なさそうにテントの横手へ回った。多くを守った立役者の一人という自覚はあるが、真希を差し置いて堂々と振る舞うのは、どうにも恥ずかしいからだ。
そんな彼女は、少しでも状況を掴めればと、行き交う人々の動きを目で追った。彼女もまた、この状況に対する当事者ではあるが、全体像を把握できるほどの視点は持っていない。今後のことを思えば、そういう全体をつなぐ軸との関わりを持ちたくあった。
すると、喧騒の向こうから見覚えのある顔が、スーツ姿の男性に導かれて近づいてきた。香織を久里浜まで運んだ運転手だ。彼はやや照れ臭そうに「どうも」と言って、軽く頭を下げた。
それに香織が応じると、彼は懐から封筒を一つ取り出した。封はされている。しかし、香織にはその中身がなんとなく分かった。差し出されたものを受け取り、彼女は静かに尋ねた。
「念のため、中身をあらためても?」
「そりゃ、もちろん!」
朗らかに応じる運転手に、香織は微妙な笑みを浮かべた後、封筒の口を少しすぼめてみた。わずかに開いた口から覗くのは、彼女の予想通り、何枚かのお札であった。運賃にと手渡したものに違いない。
彼女が支払った――というより、押し付けた――時、まるで数えもしなかった。しかし彼女には、運転手が一円も手を付けてないように思えてならない。申し訳なさと戸惑いが押し寄せ、彼女は慌てた様子で封筒を返そうとした。
「お返しいただかなくても。無理をお願いしたのはこちらの方ですし……」
「いやいや! 受け取ったら受け取ったで、こっちが寝覚め悪いですよ!」
渡し返された封筒を避けるように、運転手は胸の前で小さく両手を振った。
しかし、手ぶりでは拒む一方、顔は人のよさそうな笑みを浮かべている。無理に押し込んでも、きっと受け取ってもらえないことを香織は悟った。とはいえ……
「このままでは、無賃乗車になってしまうので……」
「いや~、その件なんですが、ウチの会社や上の方々から色々あるみたいでして……」
そこで運転手は、彼を案内にしてきたスーツ姿の男性の方を向いた。
こういった服装の人物は、香織もこの場で何人か目にしている。よくよく見れば、関係各所を取り持つように動いているようだ。
そこで香織は、真希たちと会った日の夕方を思い出した。アストライアーのことを打ち明けるのに適した機関の話を――
しかし、心に忍び込んだ考え事を、彼女はとりあえず追い出した。まずは目の前の人物に集中しなければ。そのスーツ姿の男性に対し、視線を合わせに行くと、彼は緊張気味の顔をややほぐして言った。
「あなたをここまで運んでくださったということで、運転会社の方には、公的な予算から運賃や各種手当をお支払いすることになります」
「……というわけなんですよ」
そこまで言われると、香織も納得せざるを得ず、封筒の頭を閉じて手持ちのカバンにしまった。
運転手からの用件はそこまでらしく、スーツ姿の男性も、給金とやらについて詰める事項があるのかもしれない。二人は軽く頭を下げ、その場を去ろうとした。
すると香織は、彼らよりも深く頭を下げてから、運転手をまっすぐ見つめて言った。
「ありがとうこざいました」
真剣な顔での感謝の言葉に、二回りほど年上の運転手は表情を崩し、「お元気で」と静かな口調で返した。
そうして一人になった香織だが、あまり間を置くことなく別の客がやってきた。そちらも見覚えのある顔で、タクシーの次に乗り込んだ車の運転手だ。いや、運転手というより、現場一帯を駆けまわっていたようにも思われる。
ともあれ、状況をより高い視点から把握しているかもしれない人物と彼女は考え、無意識のうちに体が身構えた。
すると、やってきた青年は息を弾ませながら、小さく頭を下げてきた。
「いや、申し訳ありません。放置するような形になってしまいまして」
「いえ……」
この場に留まるようにお願いされ、その上でいくらか放置を食らったのは事実だが、相当忙しそうにしている人物を責めようという気は起きない。
ただ、この人物が何者であるか。香織の興味はそれに集中した。
「あなたはその……どういうお仕事の方ですか?」
「ああ、すみません。車の中でお渡しできればよかったんですが」
そう言うと青年は、ハンカチで手を拭いた後、名刺を香織に差し出した。視線を落として読み込む香織の目を追うように、青年が名乗る。
「救星軍日本支部所属、立川春樹と申します」
☆
翌日19日、夕方。食卓を囲む3人は、圭一郎が作った中華をつついていた。シュウマイを箸で切りながら、真希が口を開く。
「学校でも、例の件でもちきりだったけど……」
「バレなかった?」
「全然。テレビはどうだった?」
真希に問われ、香織はスープをかき混ぜながら、その日一日のことを振り返った。
今回の件を受け、なるべく真希と一緒に過ごした方がいいのではと考えた香織だったが、彼女の考えを他の者も支持した。圭一郎と、救星軍の立川春樹だ。
そうした経緯があり、空き部屋一つを借りて住み込む形になった彼女だが……勝手のわからない家では、どうにも動きづらい。
そこで彼女は、朝から夕方までテレビを見ていた。今日一日、番組表はあまり意味をなさず、ほとんど特別報道番組で一色だったが。
彼女が気を揉んでいたのは報道内容で、アストライアーに乗っていた二人の素性が割れるのではないかということだ。報道側としても重大事項には違いなかっただろうが……実際のところ、パイロットを追究しようという話以外にも、もっと大きなネタが投下されていた。
「テレビは、救星軍の話がほとんどだったかな……学校でもそんな感じだった?」
香織が問うと、真希は口元を手で押さえてうなずいた。
「昼休み直前に会見してたからね。教室のそこら中で会見映してたよ」
「そう……昼前までは、どんな感じだった?」
「謎の味方と敵の正体とか、そういうので盛り上がってた」
学校の反応は、報道の流れとも一致する。救星軍が表舞台に出て以降、話題はそちらに向いた形だ。情報源が出たことで、そちらにメディアの目が向いたのが大きいのだろう。SNS上においては、パイロットが誰だったのかを探ろうという動きが続いているが、会見後は明らかに下火になっている。
もっとも、救星軍から開示された情報は、香織にはかなり限定的に思われた。今のところ公開されたのは、国際的な天体観測機構が前身となったという彼らの成り立ち。数十年前から地球外の生物様物体群の接近を認識していたこと。そして、それらが万一地球にやって来た時のため、粛々と備えてきたという話ぐらいだ。
肝心なところでの具体性を欠く情報の出し方に、大勢が食いつく形になったのは間違いない。世間の注意は、アストライアーとそのパイロットでなく、救星軍に向いている。
そうした情報の流れについて、香織は思った。
(私たちのこと、気遣ってくれたのかな……表舞台に出るタイミングを、前々から見計らっていたようにも思えるけど)
不可解な事象に慌てふためく世間との対比を差し引いても、メディアに映る救星軍はずいぶんと落ち着いて見えていた。大衆に不安を掛けさせまいという思いもあるのだろう……それまで秘密裏に動いてきたところ、一気に露出して注目を釘付けにし、しかし情報は小出しにして主導権を握る。そうした救星軍の振る舞いは、従前からメディア対策を練っているようだった。
香織にとっての懸念は、頼みの綱になるであろう救星軍が、侵略者について本当はどこまで知っているかということだ。この点に関し、ステラが所見を述べた。
『おそらく、宇宙で探査機による接近は実施しているものかと』
「へぇ……どうして?」
『艦艇から水煙らしきものが散布されていましたので。あらかじめ用意があった、対光線用装備でしょう。先に探査機が何機か焼かれたことを受け、そういった装備を設けたのではないでしょうか』
その指摘に、真希と香織は料理を軽く頬張りながら、感心したようにうなずいた。すると、圭一郎が少し不穏な表情で口を挟む。
「敵が久里浜……いや、横須賀近辺に来ると、最初から知っていた可能性は?」
『その可能性は……直近になってようやく、東京湾周辺に降下すると判明したのではないでしょうか。同様の装備は、他の基地においても秘密裏に配備されていた可能性が高いかと』
「……なるほど」
納得がいったのか、それともまだ疑念が残るのか。圭一郎はポーカーフェイスで押し黙り、自作の炒飯をレンゲで混ぜた。
そこで真希は、口の中を茶で流し込んでから、あっけらかんとした口調で言った。
「直接聞いてみれば、わかるんじゃない?」
「……教えてもらえるかな?」
翌日は、真希の下校時に彼女を拾い、救星軍の案内で永田町へと向かう手はずになっている。
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