第16話 仕切り直し

 しばしの間、運転手は無言でタクシーを走らせた。しかし、東に近づくにつれて、道路の混み具合が増していく。東から逃げようという勢いが、時とともに増しているのだろう。それは情報の拡散が進んでいるだけでなく、事態が進行していることを思わせた。

 だが、混雑していくその原因は、単に逃げる者の増加だけによるものではない。異変に気付いた運転手が、「何だこりゃ」と、呆気に取られながらつぶやくように言った。彼の視線を追い、香織はそれに気づいて絶句した。

 カーナビの表示が、道路を逸れて建物の上になっている。しかも、進行方向と無関係に、現在地が小刻みに振動しているではないか。何らかの異常が起きているのは間違いない。


 そして、東に近づくにつれて混雑度を増す道路状況と、このカーナビの異常動作が、香織の中で結びついた。とっさにスマホを取り出した彼女は、通信状態が極めて不安定なことを認識した。さっきまで有用な情報源だった各種SNSへつなごうにも、今ではタイムアウトエラーが連発されるばかり。

 運転手もまた、無線が通じなくなっていることに気づいて、低く呻くような声を上げた。それを受けて、香織は改めて彼に陳謝した。


「ご無理を言って……」

「いや、ここまで来たら、ご一緒させていただきますよ。後学のためというか、話のタネになるでしょうしね」


 軽い口調でそう言う運転手だが、その笑みは少し無理した感じがある。前方を見据える真剣な眼差しに、こめかみから伝う一筋の汗。それでも口にした彼の心配りに、香織はただ「ありがとうございます」と頭を垂れた。


 こういった状況下での悪い予感という物は、往々にしてよく当たる。さらに東へ近づくほどに、カーナビの混乱具合も増していった。見ればむしろ事故率が増すだろうが、怖いもの見たさに見ずにはいられない魔性がある。

 この先を思うと気が気ではない香織だが、運転手はというと、いくらか落ち着きを取り戻したのか、あるいは吹っ切れたのか。用をなさなくなったカーナビを、「これはこれで面白い」と評した。

 そうした彼の態度に救われる部分がある香織だが、前方の夜闇を見上げるその顔は暗い。電波がかき乱され、互いに通じ合えなくなった中、彼女はただ真希とステラのことが心配でならなかった。他にできることがない自身の無力をもどかしく思いながら、彼女は必死に無事を祈り続けた。


 タクシーが横須賀市内へ入ると、混迷の様相はいや増した。慌てふためく歩行者の数が目に見えて増え、交差点ではクラクションが猛り狂う。

 そして、久里浜駅周辺で、ついにタクシーは検問に捕まった。警察及び関係者らしき面々が、非常線を形成している。

 しかし、東への往来を阻む彼らの顔にも、抑えきれない狼狽ろうばいが見て取れる。そうした様子が、検問近くの一般人の不安を一層に掻き立て、周囲一帯は騒然となっている。

 とりあえず、これ以上東に行くことは叶わない。運転手は申し訳なさか、はたまた残念さに顔を歪め、「これ以上は……」と口を開いた。

 その時、香織は窓の外の空に、暗闇を走る赤い閃光を認めた。居ても立ってもいられず降車し、行く手を阻む警官の前へ。恐怖に駆られたのではなく、むしろ強い意志を感じさせる香織の様相に、警官は思わずたじろいだ。だが、彼はすぐに毅然とした態度を取り戻して言った。


「ここから先は」

「この先で、白いロボットみたいなものが戦っているのではありませんか?」


 かなり食い気味に、しかし周囲の喧騒に紛れる程度の声音で、香織は言った。その言に、直接応対する警官のみならず、周囲の警官も戸惑う様子を見せる。

 一方、警官とはまた違うであろうスーツ姿の関係者たちは、香織の言に驚きつつも興味を示した。その中でも少し年配の男性が、周囲に目を向けて様子をうかがってから、香織に近づき小声で尋ねた。


「何かご存じで?」

「あの、信じられないかもしれませんが……沿岸でそういうロボットが戦っているなら、おそらく私の知り合いが乗っています」

「風体は?」

「女子高生です」


 傍から聞けば馬鹿げた話である。女子高生がロボットに乗って戦っているなどと。この会話がかろうじて聞こえた警官たちは、目を白黒させている。そして彼らは、同僚ではないスーツ姿の男性の挙動をうかがった。

 視線を受けていた彼は、メモを取り出し素早くめくって頭をかいた。それから彼が胸元から出したのは、なんともいかつい無線機だ。まともに無線が使えない中、それでも機能するらしく、彼は通話先に、「駅まで来てくれ」と告げた。

 その後、彼は香織に向き直って言葉を掛けた。


「仮にあなたの言う通りだったとして、あなたが現地まで行こうとする理由は?」

「それは……」


 言いかけて香織はとどまり、思考を巡らせた。目の前の男性は、現場についての情報を有しているように思われる。一方で自身はアストライアーの情報をいくらか持っている。であれば、真希の力になるためには、お互いの情報を持ち寄って事に臨む必要がある。

 信じてもらえる情報かどうか、話がこじれないかどうか、口にすべき事項を吟味し、香織は言った。


「あの機体は二人乗りで、最大限の機能を発揮すると聞きました。あの中に乗ると言いますか……人が取り込まれていく目撃証言はありましたか?」

「……知り得る限り、一人ですな。では、そのロボットというのは、不完全な状態で稼働していると?」

「そう、思われます」


 すると、男性はまたも無線機を取り出し、部下らしき相手から情報を吸い上げ始めた。確認しているのは、もう一人乗ったかどうかである。短いやり取りを繰り返し、手短に確認作業を進めていく。

 それから彼は、眉間にしわを寄せ、香織の方をじっと見つめた。不安に心揺れ動く香織だが、目には強い意志の光がある。それを認めたのか、男性はやや表情を柔らかくして口にした。


「現場は、大崩れこそしていませんが、苦戦を強いられている様子です。そこへあなたが加勢することで、事態が好転する……そう考えても?」

「あの子が、今も一人で戦っているのなら……私が力になります」

「しかし……同乗するのは、他の誰でもよろしいのでは?」


 問われた香織は口ごもった。実のところ、彼女か真希さえ乗っていればアストライアーは動くということを、彼女はステラから聞かされてはいない。もしかすると、他の誰かを同乗者としても、緊急避難的に機能はするのかもしれない――そう彼女は考えた。

 しかし、確信を持てない憶測を頼りに人の手を借りる選択を、彼女は拒んだ。それでも許されるとしたら、現場から誰かを徴用するという、手っ取り早い策だけだ。

「現場はどこです?」と尋ねる香織だが、おおよその見当はついている。硬い表情の彼女に返る言葉は端的で、「火力発電所です」との返答に、彼女は表情を第らせつつも重ねて尋ねた。


「私以外でも力になれるのなら、所員の方からどなたか……とは思うのですが」

「なるほど。しかし……なかなか難しいですな。大方の所員は避難済みで、最低限の人員で非常時に備えていると聞きます。連絡や状況説明、それに説得の時間を考えると……」


 そう彼が口にしたところで、駅前に激しいスキール音が響き渡った。やってきた白いセダンが後部座席のドアを開き、中からは運転手の「お待たせいたしました!」との声。

 駅から現場まで、車では数分程度。所員への連絡と、広大な所内を走らせる手間を考えれば、時間的には甲乙つけがたい。

――そして、ここには覚悟が決まった人間が一人いる。

 現場への足がやってきたことで、あり得た選択肢は狭まり、一つに定まった。現場を預かる男性はただ一言、「おねがいします」と口にして、香織に頭を下げた。

 その声に、決然とした表情でうなずき、香織は車の後部座席に身を滑らせた。そして彼女が手早くシートベルトを締めると、待ちかねたように車が動き出す。


 一見すると普通の公用車といったところだったが、中に入ってみると特殊車両といった趣がある。一般車と大きく違うのは助手席で、計器やツマミらしきものがいくつも並ぶ機器が接続されている。

 そちらに座っている男性は、各種の機器を操りながら、インカムで連絡を取り合っている。その様を見るに、通信用の基材を詰め込んでいるのであろう。

 その通信手のやり取りがひと段落したところで、ハンドルを握る青年が声を発した。


「状況説明をします」

「はい」

「敵は、空に浮かぶ巨大なクラゲらしき物体です。今のところ確認されている攻撃は、熱光線と思しきもの。ここまではネットでも目にしたかもしれません」

「はい」

「では、推移を。東京湾上空に侵入した敵は、総勢5体。うち3体については、すでに撃破済みです。しかし……」


 一度そこで言葉を切った彼は、やや低いトーンで言葉を続けた。


「半分は倒せましたが、一体あたりにかけた時間を考えれば、依然として危険な状況です。あなたが言う例の機体は、火力発電所の沿岸部で盾になり、ずっと持ちこたえてくれていますが……」

「……厳しい状況ですか?」

「はい。傍目の観測でしかありませんが、動きが鈍っているように見受けられます。いつまでも続けられるようには……」


 そこで青年は口を閉ざし、香織も口をつぐんで両手を握った。誰もいない道路を疾走する車のエンジン音は静かで、その静寂を埋めるように、通信手は連絡を再開した。

 そして、時折堂々と信号を無視しつつ、車は現場が見える位置に。夜闇を切り裂く赤い閃光。それに照らされる純白の機体。発電所を背に雄々しく立つその勇姿を見て、香織の中に初陣の体験がフラッシュバックする。意識や常識というフィルターを通さず、ただ無意識下に刻まれた感覚が呼び起こされる。

――間違いなく、あの機体に乗っていた。その実感が芽生え、彼女は食い入るように戦場をうかがった。


 幸いにして、発電所のゲートは完全に開いていた。所員向けの徴用は無理でも、ここだけは事前に話がついていたのだろう。一切の遠慮も見せずに、無関係の車両が所内へ飛び込んでいく。この場の手続きと言えば、窓を開けた青年の「通ります!」という叫び一つであった。

 そうして所内に入り込んだ車は、広大な敷地内を駆け抜けていった。間取りの広さが幸いし、運転の妨げになるものは何もない。強いて言えば、クラゲ共の光線ぐらいか。

 しかし、一体多の状況が続く中、あの機体が流れ弾を許したという報はない。時にはその身を撃たせることも辞さず、あの機体は発電所を守り続けてきた。

 それでも、万一を踏まえれば、安易に近寄れる状況ではない。操縦者の集中を削ぐ懸念もあるだろう。至近まで近づくのは、光線が途切れてからだ。

 しかし、機体が赤い光線に撃たれ続ける様を見守るのは、心苦しいものがあった。真希とステラを知る香織はもちろんのこと、前の座席に座る二人の青年も、沈痛な顔で状況を見守っている。

 無生物であろう純白の機体は、見守る者の目には明らかに疲弊しているように映った。それでもなお、攻撃を阻み続けるその姿に、ハンドルを握る手が震える。


 そして、攻撃が途切れるや否や、車は急発進した。

 この後の具体的な流れについて、実のところ香織はその考えがない。ただ、あの機体に触れれば中に入り込める――そういった確信めいたものがあるだけだ。

 それに、ここまで得た情報を踏まえれば、あのコックピットには真希だけが乗っていて、もう一人必要とされている公算が大きい。

 ならばもう、迷うことなど何もなかった。


 敵の攻撃の合間とはいえ、戦闘中ということには変わりない。そんな中、勇敢なドライバーは機体すぐ後方まで車を滑らせ、その場でUターンしつつ急停止した。

 そのタイミングで香織が車外に躍り出ると、赤み差す傷だらけのアストライアーは、滑らかな動きで腰を落としつつ、手のひらを香織の足元に差し出した。この場に彼女が来るのを待っていたように。一仕事を終えた車が発進する音を背後に聞きつつ、彼女はこみ上げる何かを胸に、手のひらに飛び乗った。

 すると、彼女の全身が、白い光と不思議な浮遊感に包まれていく。


 次の瞬間、香織は身に覚えのある空間の中にいることに気づいた。外が透き通って見える球体空間、その座席に座っていて、下方の前部座席には髪を束ねた少女。

 そして、香織は左腕に伝わる、鈍い痛みを覚えた。そして同時に思い至る。

(きっと真希さんは、もっと苦しい目に遭っていたんだ……)と。

 傷む左手をギュッと握る香織。そして、彼女が搭乗してから数拍置き、肩で息をしていた真希が声を発した。


「……香織先生」

「どうしました?」

「来てくれて、ありがと」


 その言葉に、香織は自身の選択が間違っていなかった確信を、ようやく得ることができた。それまでに感じたことのない感情が、腹の底から胸を通り、熱になって昇ってくる。

 しかし、「先生」と呼んでもらえた自分は助っ人なんだから――頼りになってもらえる自分になろうと、香織は急に熱くなった目元を袖で拭い、照れ隠し気味に、生徒をたしなめるような口調で言った。


「まだ終わってないでしょう? そういうのは、全部終わってから。ね?」

「……へ~、また言ってほしいんだ~?」


 口の減らない真希の切り返しだが、香織はどこか頼もしさを覚えた。真希は明らかに疲弊しているが、言い返せる程度に意識は明晰だ。もしかすると、香織が来たことで持ち直したのかもしれないが……

 ともあれ、状況が好転したことは、ステラも認めるところだった。


『香織さんのおかげで、これまで以上の出力を出せます。1対1の撃ち合いであれば、押し込まれる心配はないでしょう』

「敵は2体いるけどね」

『それでも、出力は十分かと。結果を左右するのは真希さんの技量ですが、そちらも問題ないでしょう』

「簡単に言ってくれちゃって……」

『あなたの技量については、何の心配もしてませんので』


 それはおだてているのが激励なのか、あるいはステラの本心か。乗ったばかりの香織ではあったが、きっと正直な所見なのだろうと感じた。

 一方、全幅の信頼を寄せる言葉を受け、真希は少し息を荒くしつつも、どこか嬉しそうに声を弾ませた。


「鞭の扱いがうまい女子高生ってのも、ショージキどうかと思うけどね!」

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