第14話 私が防衛線②

 標的に向き直ったその機体から、ミサイルが一射。それは当然のように赤い光線でさばかれたが、後続はまだある。夜闇を切り裂く翼端の光が、より大きな赤い光へと迫る。

 機銃を放ちつつ進む戦闘機は、光線に捕まるまいと上下動を小刻みに繰り返した。制御を失うまで、可能な限り詰め寄ろう――そんな覚悟と執念を感じさせる決死の操縦だ。


 そして、ついに機体が赤い魔手に捕まった。主翼の一つが根元から溶断される。

 だが、少なくともパイロットにとっては、もう十分だったのだろう。片翼を失いはしたが、十分に近づけた間合いを詰め切るのに不自由はない。その戦闘機は今や一本の矢と化し、クラゲの一体に衝突した。たちまち激しい爆風が生じ、湾内の空を明るく照らす。


 この間も、2体のクラゲの相手をしていた真希は、背後の発電所を守りつつ、この特攻を見守る以上のことができずにいた。心臓を締め付けられ、体内では血が荒れ狂う。胸に去来する熱い激情と、凍えるような予感に引き裂かれそうになりながら、彼女は意識を強く持った。

 そんな彼女だったが、モニター上に生命反応の光を認めた瞬間、不意に力が抜けかける感覚に陥った。


『衝突直前で離脱したようです。このままでは湾内に着水することになると思われますが……』


 しかし、ステラが声を発しても、真希からの返答はない。依然として続く光線をさばきつつ、腕で額を拭う彼女は、ただ心の中で言葉を返した。


『良かった……』


 だが、現実はあまり甘くはない。第3波をしのぎ切り、残るクラゲは2体。それらは少しアストライアーから離れていく。

 この離脱それ自体は、これまでにも見られた仕切り直しだろう。しかし……空に浮かぶ赤い光の一つは、あの勇敢なパイロットの生体反応へと近づいていくようでもあった。


「ちょっと、ウソでしょ……ふざけんな、このぉ……」


 息も絶え絶えに言葉を吐き出し、真希は前方をにらみつけた。付近の残存敵は2体。位置関係から、1体はアストライアーを、もう1体は例のパイロットを狙うように思われる。

――いや、パラシュートで風任せの標的など、熱光線の前には易い的でしかない。もののついでに撃ち殺し、すぐさま狙いを切り替えてアストライアーを狙う事だろう。

 幸い、敵のエネルギーチャージには、まだ猶予がある。しかし、どうするべきか。真希は「ステラ」と、迷いに揺れる声を発した。すると、ステラは逃げの姿勢を見せることなく、すぐに言葉を返した。


『私自身はともかく、あなたの負担が心配です。あのパイロットは死ぬ覚悟でその役を全うしました。それを見捨てる結果になろうとも、あなたを責めることは……』

「……そっか」


 どこか熱のある擁護に、真希は強い気遣いを覚えた。そして……それを無下にするような申し訳なさに、彼女は力なく微笑み、ただ短い言葉を返した。

 そうこうしている間にも、決断の時が迫っている。息を整え、真希は水の鞭を用意しつつ、ステラに問いかけた。


「さっきの話……多少の攻撃には耐えられるってこと?」

『はい。ですが、あなたに伝わる苦痛が……』

「私が我慢できる分には、あまり問題にならない?」


『はい』


 ほんのわずかに間をもたせた返答は、ステラの逡巡しゅんじゅんを思わせる。それに対してうまく言語化できない、胸をチクリと刺すような物を覚えつつ、真希は動き出した。

 まず彼女は、鞭を海面につけて長大化させていった。だが、単に伸ばそうとすれば、鞭の方に意識を持っていかれて操縦がままならない。海水の中で実体を得ていく鞭の感覚に意識を潜らせ、真希はその限界を探った。

 そして、できる限りの長さの鞭を取り出し、宙で振って感触を確かめてみた。やはり、敵に直接届くような長さではない。水塊をぶつけようにも、結局は一時しのぎにしかならない。水塊をちぎって飛ばして……その繰り返しの隙をつかれ、あのパイロットが撃たれる可能性は高い。


 そこで真希は鞭を振り、手にした根本あたりから先端へ向け、裂けさせるイメージをした。振った勢いに乗って水流の断裂が広がり、折り畳みが展開されていくように全長が伸びていく。

 こうして一本の細く長い鞭になると、射程は先のほぼ倍になったように見える。まだ敵には届かないが、あともう少しだ。真希は再び鞭を振り、今度は中ほどから先端へ向けて裂いた。振った勢いに合わせ、またも折り畳みが開かれ、一本の鞭に。


 どうにか敵へ至る手を得た彼女は、鞭を振って敵に巻き付かせた。巻き付かせた水流同士が触れ合えば、それらを融合させてほどけないようにしていく。

 だが、巻き付かせた水の覆いの向こうから、煌々と赤い光が漏れ出る。この程度の包囲であれば、熱光線は造作もなく突き破ることだろう。真希はそのことを肌感覚として承知している。

 さらに言えば、残る1体は野放しである。それでも、状況に向き合う真希の目に、諦めはない。強い意志の光を持って挑む彼女を、ステラは無言でただ見守る。


 そして、光線が放たれるその瞬間がやってきた。一際ひときわ強まる赤い輝きを認めたその時、真希は鞭を力任せに振り抜いた。捕らわれた敵が、大きくバランスを崩していく。

 すると、放たれた赤い光線の一本は、誰もいない夜空へ向いた。あてどもなく赤い軌跡が空をさまよう。

 しかし、光線はもう一本ある。依然としてアストライアーと対峙するクラゲのものだ。その光線に対しては……真希は左腕を伸ばして、それを受け止めた。

(左でも水を出せるかも)と、なんとなくの直観でやってみたところ、左の手のひらからも一応は水が出た。だが、気休め程度のものであり、真希自身もともと期待もしていなかった。右手側と、力の取り合いになるだろうという直感もあった。

 それでも左腕をかざしたのは、”それ自体”で受け止めるためだ。直前に戦闘機の翼を溶断される光景を目にしていたことで、真希は(どこか焼き切られると、まともにバランスを取れなくなるかも……)と考えていた。

 そこで、鞭の操作に役立たない左腕である。これを単なる円筒と見れば、直線的に穿つだけの攻撃では、完全破壊に相当時間がかかる。貫通しかけのところで少し腕を動かせば、また穴の開け直しだ。背後を守る上で、これほど頼れる防壁はそうそうない。

 必要なのは、痛みを想像しつつ自ら腕を差し出して見せる、その覚悟だけだった。


 これまで水の壁で阻んでいた光線が、初めて継続的に、アストライアーの身を焦がしてくる。その痛苦は、真希の左腕にも伝わった。体の内側から生じる熱感と痛みが、左手の付け根から肘へと攻め上ってくる。耐えがたいほどの激痛ではないが、それでも心拍が跳ね上がるだけのものはある。

 そのような痛みに晒されながらも、彼女の意識はむしろ、水で捕らえたクラゲの方に向いた。夜空を乱切りにする赤い光線が、時折あの生体反応に傾きかけ、彼女はそのたびに力強く鞭を振った。

 左手では熱光線を受け止め、右手では冷たい水を操っている。その感覚は彼女の腕に伝わってくる。それなのに、彼女は右手に熱い物を握っている感覚があった。

 使命感、責任感が、彼女の五感を鋭く研ぎ澄ませていく。疲労は重なり続ける一方だが、人命をその手に握っているという意識が、これ以上ないほどに意識を澄明にしていく。

 状況に集中すればするほど、左を襲う熱と痛覚も存在感を増す。そして、鮮明さを増す彼女の知覚は、例のパイロットの安否もまざまざと感じさせた。彼が死ねば、彼女にもそれとわかる。明瞭な知覚は、彼女の選択の影響、結果を浮き彫りにしていく。一歩誤れば……それでも、彼女は逃げなかった。

 そうして、暴れ狂うクラゲの手綱を握り続け、状況に少しずつ変化が現れた。生体反応の離脱速度が、少しずつ増している。その理由について、ステラが口にした。


『周辺で高熱の蒸気が大量発生したことで、局所的に気流ができたのかもしれません』

「……あ~、えっと、追いやられてる、みたいな」

『はい』


 途切れ途切れに言った真希に、ステラは短く言葉を返し、そして言った。


『あなたのおかげですよ』


 その言葉に表情を少し緩める真希だが、まだ油断のならない状況だ。少しずつ離れつつあるとはいえ、光線の射程内には違いない。

 そこで彼女は、左の光線に気を取られそうになりつつも、用心深く右の鞭を操った。放たれる光線を空に向けて暴れさせ、機を見て鞭を激しく振り下ろす。その動きに、掴まれたクラゲも海へと真っ逆さまになり、やがて水柱を上げて海中に没した。

 これで撃滅できたわけではない。海中には怪しい光が健在だ。だが、熱光線が海中から出るには至らない。ところどころ海面が盛り上がって、水柱が立つのみである。


 そうした抵抗も見えなくなり、左腕で受け止めていた光線も、ようやく終わりが来た。仮想的な痛みが一気に去り、苦痛の余韻が痺れとなって残る。

 この、一山しのいだ安堵で、真希は強い虚脱感を覚えた。意識が黒に染まりかけ、彼女の状況を反映するように、アストライアーが片膝をつく。


『真希さん!』

「だ、大丈夫……」


 答えた真希は、かすむ目をこすって空を見上げた。彼女が受け持つ2体とは別に、まだクラゲがもう1体いたはずだが、そちらはいつの間にか姿を消していた。おそらくは、対空砲火で撃退できたのだろう。

 あとは2体だ。持ちこたえられれば、きっと倒してくれる――そう信じる真希だが、彼女自身がいつまで持ちこたえられることか。海に沈めたクラゲの浮上は遅く、目下の敵は1体。攻撃後、少し離れていく動きを見せたそれは、いずれエネルギーのチャージを開始することだろう。

 すると、ステラが真希に声をかけた。


『ここまでの戦い、お見事です』

「そ、そう? 荒っぽく使って、ほんとゴメンね……」

『いえ、私のことはお気になさらず』

「……あの人は、大丈夫かな?」

『おそらくは……風に捕まって流されているようです』

「そっか……良かった。これで、私もステラも、正義の味方だって、みんな認めてくれるよ」


 冗談交じりに笑顔を作って言う真希に合わせ、ステラは含み笑いの声を漏らした。しかし……


『それだけですか?』

「えっ?」

『痛く苦しい思いをしてまで、あなたが必死になった理由です』


 真希は即答できなかった。そこへ、どこか切願するような声で、『あなたのことを、もっと知りたくて……』と続く。

 その声に真希は、激しく脈打つ胸元で拳を握り、コックピットの外を見つめた。星が見えない暗い夜空に、一人の勇敢な人物が、小さな光を今も放っている。


「あの人さ……死ぬ覚悟は、普通にあったと思うよ」

『はい』

「でも……死ぬ覚悟ができてるからって、死なせていいわけじゃない。助けられるものなら、助けたいよ……」


 真希は胸の奥から絞るように、思いを静かに口にした。続く浅い息遣いがコックピットを満たす。

 その外では、敵の赤い輝きが増していくところだった。先の発言への照れ隠し気味に、真希が苦笑いで愚痴を漏らす。


「まったく、さぁ……少しぐらい、休ませてよね……」


 だがその時、コックピット内に今までにない音が、かすかに響いた。何かの悲鳴を思わせるその音に、身を強張こわばらせる真希だが――近づく音の正体は、自動車のものだった。

 危険の真っ只中へ、誰かが爆走してくる。

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