第12話 出撃

 現場までやって来たがいいが、これからの動きについて、真希は迷った。事情を知らない者から見れば、アストライアーもまた、不可解な物体だろう。出動した正規戦力を混乱させかねないし、先制攻撃を加えられるリスクも、決してゼロではない。

 かといって、いつまでも迷っていられる状況でもない。おそらく複数いるであろう大クラゲは、ゆったりと東京湾上空を北上しているように見える。このまま放っておけば、いずれは本土上空に到達するだろう――ミサイルを一発で焼き尽くすほどの光線を放つ化け物が。


 すると、高空より空気を切り裂くような轟音が響いた。ほとんど星が見えない宵闇を背景に、戦闘機が宙を舞っている。

 だが、それら戦闘機の挙動は、素人である真希の目から見ても手をこまねいているようだった。同様の認識を持った野次馬の一人が、呆然とした顔で口を開く。


「やっぱ、ミサイル効かねーってのはマジなのか……」

「じゃあ、機銃は……」

「んなもん、機体の方が撃墜されるだろ」


 つまり、航空戦力では打つ手なし。頼りは艦艇による対空砲火――というのが、ミリタリーおたくを含む、野次馬たちの総意だ。

 と、その時、前方左手側から空に向かって、光る何かが放たれた。「曳光弾だ!」と声が上がる。光放つ弾の列により、可視化された弾道は、標的である大クラグに届いているようだ。

 しかし、対空砲火に晒されても、クラゲがひるむ様子はない。依然として空に浮かぶ怪物は、透明な肉が射撃で揺れる程度。中に湛えた不気味な赤い光はそのままだ。


「効いてないのか?」

「衝撃を吸収されてるのかもな……」


 ミサイルは効かず、対空機関砲も有効打を与えているようには見えない。目にしたものに、埠頭を埋める面目から諦念と絶望がにじみ出してくる。


 すると――重厚な轟音が湾内の空気を揺らした。それとほぼ同時に、大勢が見つめる大クラゲの一体から、その身の一部が爆ぜて吹き飛んだ。暗い空に、光沢のある透明な何かが飛散する。

 場のミリオタたちは、それがより口径の大きい艦砲によるものだと察した。それが標的に的中したのだが、しかし、一行の目にはなおも敵が健在のようにも映る。いくらかダメージは負ったはずだが、宙に漂う不気味な赤い光点は5つ。変わりなく輝きを放つばかりか、むしろその光が強まっていくようにも見える。


 その有様に、不穏な空気を感じ取り、硬い表情で身構える一行。そして、彼らの憂慮を現実のものとするかのように、空から赤い怪光線が放たれた。遠方の海上へ、5つの赤い光条が襲い掛かる。

 しかし、一行の不安をよそに、光線で何かが破壊されたような音はない。代わりに、夜闇を割く赤い光線は、その進路を阻む存在を赤く照らし出した。洋上に不自然なほど濃密な白い霧が立ち込めている。

 それが偶然による物とは考えにくく、ミリオタの一人が指摘を入れた。


「アレでレーザーの威力を殺したんだ!」

「マジで? いや、実際そうなんだろうけど……」

「海自や米海軍にそんな装備あったっけ?」

「いや、知らんけど……あるもんはあるんだろ!?」


 それなりの事情通たちにとっても、この防御策の存在は想定外だったようだ。怪物の攻撃を食い止めている状況に、興奮と同じくらいの困惑を示している。

 そうして野次馬たちが浮足立つ中、またも艦砲射撃が行われた。だが、空に浮かぶ脅威の排除には至らない。先程同様、標的の一部が飛散する程度に留まる。


 それからしばし、艦砲とレーザーの撃ち合いとなった。最初は単なる好奇心で駆けつけてきたかもしれない野次馬たちも、必死に食い入るような表情で状況を見守った。

 しかし……一行の目に、対空砲はうまく狙いを定められないように映った。レーザーへの対抗策に濃霧を作っている上、電波の状況もあって、照準合わせが困難なのだろう。

 だが、手立てはこの艦砲しかないようだ。空中を旋回する戦闘機も、レーザーの餌食になるまいと遠巻きに旋回するのみ。


 やがて、状況が少し動いた――人類にとっては悪い方向に。湾の左手、厚く立ち込めた霞が少し晴れていったかと思うと、そちらから何かの爆発音が響いた。次いで霞に混ざって、黒い煤煙が吹き上がる。

 野次馬たちは、濃霧を抜けた光線が艦に着弾したのだと察した。

 だが、それ以上に深刻な変化がもう一つ。それまで大クラゲたちは、東京湾に並んでいるはずの艦隊と撃ち合っていたが、それらの一部が……


「……おい、近づいてきてないか?」


 誰かが抑えた口調で指摘すると、一瞬の間に恐怖が伝播していき、場を支配する。

 ほぼ一箇所に固まり、揺らいでいるように見えていた赤い光が、少しずつ沿岸へと接近しているようだ。光の数は3つ。敵意を感じさせる禍々しい赤い光が目となって、沿岸の生物を睥睨へいげいするようで、恐れに腰が抜ける野次馬も少なくない。


 そこで、真希は動き出した。周囲の青年たちから抜け出し、少し広いスペースへ。すぐにでも逃げようという者がほとんどいないのは幸いだった。場から離れられず、恐怖か好奇で釘付けになっている同行者を尻目に、彼女はステラに問いかけた。


『ステラ、今更だけど、あなたってどうやって出てくるの?』

『あなたが求め、私が認めるのならば、すぐにでも』


 その言葉を証明するように、ステラそのものである白いアクセサリーが、真希の手を離れて浮き上がる。この反応に、彼女は真剣な表情で息を呑み、そして伝えた。『お願い』


 真希の言葉を引き金に、顕現が始まった。核を中心として白い光線が四方八方へと放たれ、機体の輪郭が宙へと刻まれていく。

 そして、ものの数秒で、機体が完全に姿を現した。周囲に残るわずかな街灯に照らされ、純白の巨体が宵闇に浮かび上がる。それは、装飾こそ少ないが、気品とヒロイックさを感じさせる、全身鎧の騎士といった出で立ちだ。よほどこじらせたマニアでもなければ、善側の存在だと直感するであろう。

 それから、周囲の驚きをよそに、アストライアーは音もなく静かにひざまづいた。その手のひらを上に向け、真希の足元へと差し出してくる。触れればたぶん乗り込める――前の経験からそう直感した彼女は、迷いもなくその手に飛び乗った。触れるや否や、その全身が白い光に包まれる。


 次の瞬間、彼女は自身が操縦席にいることを認識した。コックピットの球体表面には、先ほどまで見ていた東京湾が、より高い高度から映し出されている。足元には野次馬たちも。

 こちらへ迫りくるクラゲたちは、まだ沿岸部へ攻撃を加えてはいない。しかし、チラつかせてくる赤い光が牙をむくのは時間の問題だろう。


 迫る脅威をにらみつけ、真希は機体を立ち上がらせた。どうやら、前回の戦闘の経験と記憶は、どことなく体が覚えているらしい。真希は一度目を閉じると、自分が機体の隅々まで行き渡るような感覚を覚えた。

 それから彼女は、周囲の地形を改めて見回した。まずは移動しなければ。すると、ステラの声がコックピット内に響いた。


『生体反応を可視化しましょうか?』

「とりあえず、やってみて」


 ステラの申し出が何を意味するものか、即座には判じかねた真希だが、すぐにその意図を理解することとなった。球体モニター上に、突如として小さな光点が出現。足元を見れば、ここまでご一緒してきた野次馬たちに、それぞれの光が重なっている。


『見えていた方が、動きやすいかと……』

「そうだね、ありがと!」


 快活に答えた真希は、良く見えるようになった彼らを蹴とばしたり踏みつけたりしないよう、滑らかに機体を動かし、一歩を踏み出した。

 初めての陸戦だが、違和感なく機体を動かせている。当たり前のようにできなければ、戦いにならないだろうが、彼女にとっては大きな自信となる一歩だ。機体の足音には奇妙なほど静かで、地に足つかない感覚も味わう彼女だが……それでも、動かせる事実には勇気づけられ、機体を動かしていく。


 まずは埠頭を引き返した彼女は、クラゲが近づきつつある火力発電所構内へ足を向けた。こちらもこちらで不法侵入には違いないだろうが、目こぼしを祈るほかない。緊張と不安に生唾を飲みながらも、彼女は発電所構内へ立ち入った。

 それから、広大な構内を海側へと進んでいく。道路幅が広いのは幸いで、建屋や倉庫などに触れてしまうような恐れはない。また、モニター上に、生体反応がほとんどない。所員は避難したのか、あるいは……


「建物の中の人は、見えない?」

『はい。あくまで、視線が通る範囲に限定されます』

「なるほどね」

『見えても……あなたの負荷になるだけかと』


 その気遣うような声音に、真希は少し黙った。機体の大きさには似つかわしくない、静かで軽やかでさえある足音だけが場を満たす。

 やがて、真希は苦笑いして言った。


「見えても見えなくても同じだよ。どうせ、自分で勝手に感じちゃうから」


 発電所構内の沿岸までは、まったく人出が検出されない。

 しかし、所員が全員退出したのではなく、おそらくはまだ相当数の人間が建物の中にいるのだろう。発電所内には明かりが散見される。逃げ遅れて建物の中に避難している所員がいるのかもしれないし、ここで何かあった時のため、持ち場を守っている所員もいるだろう。

 機体が検知した命の光であれ、建物自体に灯る光であれ、真希にはこの際同じことだった。しかし、力を持ってしまった彼女にとって、姿の見えない彼らは守るべき存在だが……まったく姿が見当たらないというのは、誤算でもあった。


「外に出てる人がいれば、どうにか一緒に乗ってもらうところだけど……」

『真希さん、今のところ疲労感などは?』

「特にないけど」


 実際、息が上がる感じもなく、機体を操作したことによる心拍の上昇などもない。動かすだけであれば問題はなさそうだ。

 だが……いざ戦闘となると、真希にとってもステラにとっても未知数であった。この先への懸念に、真希の表情が硬くなる。

 やがて、アストライアーは発電所構内の岸壁近くに立った。アングルのせいか、はたまた機体の感知能力によるものか、それまでよりも敵の様子がはっきりと映し出される。

 クラゲと思っていたその敵は、実際には足が一本だった。複数体が重なり合うように見えていたせいか、一体が足を複数持っているように見えていたのだろう。足の上には大きく広がった傘があり、クラゲではなくキノコのように見えないこともない。


 すると、空からにじり寄る赤い目が、沿岸近くの海面へと光線を下ろした。海面が焼かれて蒸気が立ち昇り、海面を赤い光が這い回る。

 獲物を探す生き物のような動きだ。海に刻まれる赤い蛇のような軌跡を目に、真希は口を開いた。


「ステラ、水の鞭だっけ? どうやって出すの?」

『イメージすれば出ます』


 大変にざっくりした説明だが、思い返せば初戦においても同様であった。この機体は真希の意のままに動く。ステラの言葉と、機体につながっている感覚を信じ、真希は強くイメージを持った。

 すると、純白の機体の全身に青いラインが走った。宙にかざした右手からは、水の激流がまっすぐほとばしる。次いでステラは『これを持つイメージを』と言った。


『手につながっている限り、あなたのイメージを通して形状を維持できるはずです』

「わかった、やってみる」


 軽く息を呑んで身構え、真希はその様を思い描いた。そのイメージにわずかに遅れ、機体を通して現実が動き出す。右手から放たれた水流は、途中で不自然に途切れて先端が宙に留まった。まるで時を止められたように。

 そうして半ば固形化したようにも映る、水流だったものを、機体は掴み取った。初戦において巨大な怪物を引き裂いた手が、今では水流を握りつぶすことなく掴み取っている。その握っている感触が自身の右手に伝わってくるのを、真希は感じ取った。

 そして、彼女は鞭を振るわせた。一度止まった水流が、宙で激しく波打つ。


 文字通り水の鞭を手にした真希だが、それを振るっても空の敵には届きそうもない。全長数十メートルの水流という立派な質量兵器ではあるが……場の要求を満たすものではない。


「どうにかして伸ばせない?」

『私から生成する分においては、これが限界です。一度海に浸していただけませんか?』

「海に?」

『現地の素材をうまく利用しますので』


 スデラの言葉に従い、真希は水の鞭を海中へと浸した。すると、海水を吸っているのか武器が伸長していくのを、彼女は右手の感触から察知した。

 鞭から機体へ、さらに真希へとバトンタッチでつながってくる感覚は、真希からすれば奇妙というほかない。一方、どうにかやれそうだという希望を抱かせる物でもある。

 それから、真希は水の鞭を海面から一気に引き上げた。今度の鞭は、先の物のさらに数倍の長さがある。総質量としては機体そのもの上回るかもしれない武器だが、その重量に機体が持っていかれる感じはない。

 そして真希は、機体を通して鞭の方にまで、自分の意志が反映されている感覚を覚え――同時に、世界が一瞬沈む感覚に襲われた。


『大丈夫ですか!?』


 一瞬遅れて、真希は右ひざから機体が崩れかけていたことを認識した。反射的に踏ん張って事なきを得たものの……強い疲労感がある。荒くなった息を落ち着け、真希はステラに声を返した。


「いきなりだと、キツいみたい。慣らしながらやってみる」

『はい』


 だが、突如として現れた巨大な水流の存在は、わずかな間の出現だったが、クラゲたちの注意を確実に惹きつけた。海面を這い回っていた赤く細いサーチライトが、機体表面に注がれる。それはもはや、殺害予告に等しい。遠からずといったところにあった脅威は、今や猶予のない眼前のものだ。

 機体表面から真希へと、わずかにではあるが熱感が伝わる。照準を合わされ――今、本命の熱線が来る。

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