第11話 Xデー③
真希が乗り込んだ当初は、日常の帰宅風景といった車内も、駅を一つ進むごとに変化が生じていった。といっても、どこか浮足立つ様子の乗客が、まばらに増えていったという程度の変化でしかなかったが……気を張るだけの理由がある彼女は、そうした細かな変化も見逃さなかった。
傍目に見れば、そういった客は、何らかのイベントに向かう落ち着かない様子の乗客というようにも映る。だが真希には、電車の外の現実が動き出しているように思えてならない。
そこで彼女はスマホを操り、何が話題になっているかを調べ始めた。それらしいものがトレンドに入っている様子はなく、代わりに状況に関わりありそうな単語で探りを入れていく。東京湾、伊豆大島、天体、UFOなどなど……
そして、「これだ」という情報に行き着いた。房総半島と伊豆大島の中間あたりの空に、何やら奇妙な物体が発見され――今しがた、海上保安庁や航空自衛隊が動き出したと。
目にした情報は最新のものだ。真偽が怪しい部分はあるが、ステラの言を思えば敵の存在と接近は確か。出動の事実も、真希にはすんなり受け入れられるものだった。
スマホを操る指にかすかな震えを認め、彼女は一度顔を上げた。そして、車内の様子を何食わぬ顔でうかがう。情報が出たタイミングを考えれば、ソワソワした様子の客は、もっと早くにこの一連の騒ぎに目をつけ動き出していたのだろう。
そして、もともと乗り込んでいた帰宅客たちも、車外の状況を少しずつ知っていったようだ。目的地に近づくにつれ、ざわめきが増していく。こうした元々の乗客は、自身の端末で情報を得たのだろう。それに加え、新たにやってきた乗客たちの興奮ぶりが、車内を一層騒々しくさせる。
やがて、目ざとく行動の早い野次馬らしき客は、特定の車両を中心に集まり出した。状況が見えるかもしれない先頭車両か、終点の久里浜駅で降りるのにちょうどよい車両である。
こうした乗客の動きに、真希は不安を抱いた。
(このまま見物客が増えていったら、人混みで身動き取れなくなるんじゃ……)
ただ、幸いにして、この電車に乗っているのは動き出しの早い先発組だ。仮に現地が込み合うとしても、それは真希たちの到着からいくらか経ってのことだろう。
実際、野次馬らしき者が乗り込んできているものの、降りていく客数を相殺するほどのものではない。そこまで込み合う様子のない車内は、客が減ってもなお、緊迫感のあるどよめきに満ちていたが。
また、人混み以外に別の懸念もある。この事態をJRがどう対処するか。もしかすると、何らかの理由によって途中下車を強制されるかもしれない。もしそうなれば、彼女にとってはこの状況を見送るちょうどいい口実になる――が、そういった考えが彼女の脳裏に浮かぶことは、ついになかった。
代わりに彼女は、待ち受ける試練に高鳴る心臓の鼓動を感じながら、胸元でステラをギュッと握った。
『あ』
『どうしました?』
『いや、今まで断りもなく握っちゃってたけど……痛かったり、不快だったりしてない? ゴメンね』
『いえ、特には。むしろ……』
『何?』
『落ち着く……とはまた違いますが、私には好ましい感覚があります。どうぞ、お気に召すままに』
言われて真希は、握る力と表情を緩めた。不思議と、胸の鼓動も少しずつ落ち着きを取り戻していく。
依然として、ステラにもアストライアーにも得体のしれない部分はあるが、それでも真希の元には力がある。その認識が、彼女を当事者にした。人知れず使命感を帯びた彼女は、ステラを優しく握って祈りを込める。電車が終点まで行くように、事態があまり深刻なことにならないように、と。
その祈りが通じたのか、電車は終点まで彼女を運んだ。野次馬に混ざって飛び出すことに、何とも言えない感情を味わいながら、彼女は足早に駅構内を駆けていく。
何も、彼ら同行者の存在は、単に邪魔というものでもない。初めて久里浜を訪れる彼女にとって、自信を持って駆けていくように見える彼らは、ちょうどいい先導と言える。
ただ、状況は進行しているようだ。駅構内の様子からも見て取れた。野次馬の一団を追いつつ、真希は周囲に視線を巡らしていく。
ここで降りる客よりも、乗ろうという客の方が圧倒的に多い。全体としてそこまでの混乱を見せてはいないが、そこかしこで駅員と客がやり取りする姿も。いずれの側にも、抜き差しならない緊迫感が見て取れ、それが真希の表情を硬くした。
とはいえ、駅の中はまだマシだったのかもしれない。一度外に出てみると、道路は見たこともないほどの大渋滞で、車がすし詰めになっている。
今回の戦いは、前のと全く違う。同乗者すら夢うつつに終わったあの初戦と違い、今回の敵は、すでに現実の脅威だ――認識と覚悟を改め、真希は野次馬たちの背を追っていく。混迷極める街の中、彼らはどこか頼もしくさえある。そんな印象を抱いている自分に気づいて、彼女はフッと表情を崩した。
それから、ステラに問いかけた。
『ちょっといい? 例の侵略者ってのが、どうもミサイルをレーザーで撃ち落としたらしいんだけど……そもそも、ミサイルとかレーザーってわかる?』
真希にとって、アストライアーはロボットのようであり、そうとも言い切れない微妙な代物だった。科学技術に対する理解は人並みの彼女だが、アストライアーが科学技術の延長線上にあるという認識はない。むしろ魔法の大鎧だとか、巨人兵みたいな、ファンタジー寄りのイメージである。
そして、真希自身、ミサイルやレーザーについての知識は一般人相当のものでしかないが、ステラの方は本当に全く知らないのでは……そう考えての問いだったが、杞憂だった。
『ミサイルは誘導弾、レーザーは光線ですね』
『あ、そういうのは知ってるんだ。それで……ミサイルを撃ち落とすようなレーザーをあなたが受けることになるかもしれないけど、それは平気なの?』
『どれだけの出力か、正確なところまではわかりませんが……耐えられるものとは思います』
『大丈夫かな……』
操縦者にも痛覚がある程度は伝わる都合上、真希にとっても関係のある話ではある。しかし、彼女にとっての不安は、自身に伝わる痛みよりも、機体が損傷で動けなくなることにあった。武道の覚えがある彼女は、どこかを傷めるのはそれだけで大きな不利になると、身を以て知っている。
すると、ステラが防御に関して提案した。
『レーザーに対し、水の鞭を使って下さい。レーザー進行上に水があれば、威力は減退するはずです』
『……私より詳しいじゃん』
提案を受けて、真希は先程の自分の発言を少し恥ずかしく思った。決して相手を低く見たわけではないのだが。
そういった感情はさておき、事前に得たアドバイスとしては重要である。敵はまだ洋上にいるらしいが、久里浜沿岸部には火力発電所がある。
――事の次第によっては、それを守りながらの戦いになるかもしれない。
しかし、状況はどのように動いているのだろうか。東の沿岸へと向かう中、空を見上げても、それらしいものは見えない。夕日がすでに去って暗くなる一方の空が見えるばかりだ。
やがて、一行は交差点に差し掛かった。信号の色とは無関係に、車が十字に並んで立ち往生している。
未曽有の事態に真希は息を呑んだ。
車が流れていない以上、律儀に信号を守る意味も薄い――そう考える向きがいてもおかしくはないが、意外にも野次馬たちは赤信号で停止した。一度立ち止まって、状況を確認したいという考えもあったのだろう。一行は、まるで示し合わせたようにスマホを取り出した。しかし……
「くっそ、つながんねー」
「おいおい、マジかよ?」
苛立ちと困惑、不安入り混じる声がしきりに放たれる中、真希も自身のスマホを取り出した。圏外だ。これではまともに連絡も取れない。
しかし、こんな中でも仕事を果たす機械もある。一行の前にある信号機が青になった。このGOサインに戸惑いを見せつつも、数拍置いて一行は再び東へと駆けだした。ここまで来て引き返すわけにも……そういった意識が、真希以外にもあったのだろう。
そうして東へ進み続け……息切れしてペースダウンする者が続出する中、彼らを尻目に真希はさらに東へ駆けていった。
この道中、警察の検問や非常線に引っかかることはなかった。おそらく、警察もまた互いの連絡を取るのに困っているのだろう。道路状況からパトカーや白バイを動かすことも難しい。
真希と野次馬たちにとっては好都合な状況ではあった。動き出しが早かったこともあって、より現場に近いところへ行けるかも――
やがて一行は、火力発電所近くの埠頭へと到着した。ここまで走り詰めだったが、東の空には見慣れない奇妙なものがちらつき、現地住民らしき集団が埠頭先端に詰めかけている。疲れを押して思わず駆け出す野次馬を追い、真希も先を急いだ。
そして……彼女たちは、空の向こうに話題の怪異の姿を認めた。夜空になりかけている東の空、東京湾の出口側には、巨大なクラゲらしき怪物が浮かんでいる。夜闇に溶け込む透明な体は揺らいで見え、その中で警戒色のような赤い光が輝いている。ややブレて見えるその赤い光は、単一の光点ではなく、複数あるようにも映る。
唖然として声も出ない野次馬たち。中には腰を抜かしてしまう者も。そんな中、今度の敵と相対した真希は、空をまっすぐ見据えて拳を握った。
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