第9話 Xデー①

 4月18日。ホームルームが終わり、イスに座りながら伸びをする真希の内に、ステラの声が響いた。


『真希さん』

『どうかしたの?』


 問いかけた後、真希は自身の心の声に、どこか緊張感のようなものがあることを認識した。教室内でステラが話しかけてくることは初めてのことで、人間社会のTPOをわきまえていると思われる“彼女“にしては、本当に珍しい。

 果たして、真希が感じた緊張は、この先を正しく予感したものであった。ステラが重たい言葉を告げる。


『敵の接近を感知しました』

『ホ、ホントに?』


 思わずうろたえそうになる心をどうにか落ち着け、真希は窓の外に顔を向けた。誰にも変に思われないように。そして、ステラの言葉が続いていく。


『おそらく、あと数時間……日没頃にで、都市圏へと到達するでしょう』

『その敵って、どんな感じ? わかる?』

『前回よりはずっと小さい物が、小規模な群れを成しています。やり合って後れを取ることはないと思われます。ですが……』

『街が巻き込まれるかも……ってこと?』


 一戦終えただけの真希にとって、前回と今回のどちらがより危険なのか、想像もつかない。前回の様子を見るに、ステラにとっても同様だろう。ぞれぞれの侵略者に対する詳細な情報までは、有していないように思われる。

 先行きの不透明さを思い、真希の胸中に緊張感が募ってくる。それから彼女は、『場所は?』と問いかけた。答えは『ここから東の沿岸部です』というものだ。

 そこで真希は、脳裏に地図を思い浮かべた。おそらく、侵略者は横須賀市に来る。そちら側へはあまり行ったことがない彼女だが、大体の場所はわかる。今から電車で行けば、日没には余裕で間に合うだろう。


 そこで、彼女は立ち上がった。級友には、単に急いでいる風を装い、普段と変わりない口調で言葉を交わしていく。漠然とした、「もしかしたら」のイメージを抱きながら。

 しかし、そうした負の予感が胸の奥底から這い回るも、真希はそれらを自転車のペダルごと力強く踏みつけていった。まずは最寄り駅へ。電車は一回乗り換え、それで横須賀市へ。

 駅へと向かう間、ステラからの声はなかった。次に彼女が語り掛けてきたのは、電車に乗ってからのことだ。少し息を荒げながらも座席に着いた真希に、ステラは問いかけた。


『少々よろしいでしょうか』

『何?』

『いえ……あなたが戦意を見せてくださるのは、私としてはとても心強いのですが……何があなたを、そうまでさせているのですか?』

『えっ?』

『逃げようとは思わないのですか? そういった心の動きを、全く感じられませんでしたが……』


 言われて初めて、真希はその選択肢の存在を知った。

(別に逃げてもいい――いや、良くはないだろうけど、ステラはそれを責めてこない?)

 そのように考えた真希だったが、小さく鼻で笑って、その選択を否定した。


『私か、町田先生にしか、あなたを動かせないんでしょ?』

『よほどのことがなければ』

『引っかかる言い方するね……まぁ、それはともかく、どちらかがやらなきゃいけないことなんでしょ? だったら』

『しかし……』


 ステラは食い下がった。だが、その後の言葉が、すぐには続かない。その代わりに、真希の胸中にはさざ波のようなノイズが響いてきた。言葉になりかけている様々な思考の波が離合集散していくような感覚は、ステラが考えをまとめ、言葉を探していく過程を思わせる。

 そして、その感覚は、ステラが真希のことを本当に気にかけている証のようでもある。胸の内に響く波の重なりに温かさをも覚え、真希はステラ自身というべき白いアクセサリーを優しく握った。

 ややあって、心地よくすら感じられたホワイトノイズの波が去っていく。


『まとまった?』

『はい。あなたに行動を強いているのは、先ほど言及があったように、あなたが置かれた立場でしょう。ですが、私はあなたが自身の状況を受け入れ、前向きに立ち向かおうとしているように思われます。そうした気持ちがどこから来るのか、私は知りたいと思いました』

『それって、結構重要なことだったりする?』

『いえ、必須というわけではありませんが……単に、私が知りたく思っただけです。結局のところ、私は操縦者の気持ちで動く機体ですから。私に注がれる″燃料″が一体何であるのか、それを知りたいのです』

『……お米の産地と銘柄が気になるみたいな感じ?』

『あなた方の感覚で言えば、それに近いものかと……』


 すると、真希は暮れなずむ窓の外を眺めながら、含み笑いを漏らした。感傷的な話題になりそうだったが、話題を米になぞらえた途端、身構えていた自分自身が少しおかしく思えたからだ。

 それから、彼女は特に代わりない空の様子を遠目に見やりつつ、言葉を探していった。


『……小学校の卒アルでさ、将来の夢に……なんて書いたと思う?』

『それはつまり……数年前のあなたが思い描いた将来の夢、ということですね?』

『うん』


 すると、ステラは少し考え込んだ。またも思考の流れらしきさざ波が、真希の胸中を満たす。そして――


『格闘家ですか?』

『まっさか~』


 思いも寄らない答えに苦笑いした真希だが、少しして、ステラの回答自体は無理もないものだとも思った。今のところ、真希のそういう側面が、ステラにとっては印象深いものだろうからだ。

 それに、格闘家という回答を笑った真希だが、正解も正解で少し大概である。過去の自分とあまり変わっていない今の自分に、彼女は困ったような笑みを浮かべてため息をつき、言った。


『私さ、正義の味方になりたかったんだ……今でもなりたいと思ってる』


 茜色の空を眺めながら、真希は伝えた。一方でステラは何を思ったのか。真希の胸中を埋めるさざ波は静かで、沈黙を電車の駆動音だけが埋めていく。



 まず鎌倉駅に着いた真希は、早足に乗り換えへ向かった。道中さりげなく周囲を見回してみるが、この辺りでは妙な動きが見受けられず、危機が迫っているという感じはない。

 こうしてただ一人、自分だけが切羽詰まって急き立てられている感覚に、真希は孤独を感じる一方で、妙な使命感も同時に認識した。

 しかし、先を急ぐ彼女は路線図を見て、はたと立ち止まった。


『ねえ、今回の侵略者ってのは、東の方に出るんだよね?』

『はい』

『千葉とかじゃない?』


 とはいえ、聞いている真希自身、ステラに日本地理の知識を求める妥当性については、疑問に思わないでもなかったが……幸い、彼女の想像を超えて、ステラは優秀だった。


『地図と照合しましたが、おそらく……東京湾の沖合に出現するものと思われます。また、千葉よりはこちら寄りといった感じです。彼我の距離が縮まれば、より正確に動きをつかめるはずですが……』

『とりあえず、県内で東へ、海岸沿いに行けばいい?』

『はい』


 となると、行き先は決まった。鎌倉から久里浜まで。明日も学校へ行かなければならない身としては、結構な大冒険である。しかし……行って何もなければ、それはそれで笑い話で済むだろう。行かないよりはずっといい。

 こうして覚悟を決めた真希は、運命の電車に足を踏み入れた。


 やはり、この車内においても目立った変化はない。乗ったことがない路線ではあるが、いつもどおりの風景なのだろうと思わせる雰囲気だ。帰宅途中の客が圧倒的に多い。

 そんな中にあって一人、他には明かせない秘密と使命を抱える真希の目には、少しずつ沈んでいく夕日が後戻りできないカウントダウンのように映る。


――これから、敵が近づいてきて何かが起こる。街の様子を見た上で振り返ってみれば、とても信じられない話だ。

 しかし、身銭を切ってまで迷いなく、ここまで彼女はやってきた。その事実と自身の選択を振り返り、彼女はステラを信頼していることを改めて感じた。


『どうかしましたか?』

『えっ?』

『いえ……考え事をしていらっしゃる様子でしたので』


――いきなり、心の中に話しかけてくるのを別にすれば、であるが。

 ただ、この時の真希は、ステラの問いかけに微妙な違和感を覚えた。ほんの少ししてから、それが言語化できる具体的な疑問へと変わった。心を読めるはずのステラが『どうかしました』と聞いてくるのは、おかしい。そのことに気づいた真希は、さっそく問いただした。


『思ってること、そのまま伝わるんじゃなかったの?』

『基本はそうですが……通じ合えるまでのハードルを引き上げました』


 この表現を、真希はわかりやすいたとえだとは思った。が、言葉の響きが持つ、なんとも言えない物寂しさや切なさには苦笑いした。


『ま、私の方がダダ漏れだったもんね』

『はい。こちらの方が、真希さんには都合がいいかと思われます』


 そう伝えてくるステラに対し、真希は色々と思った。

(私としては、やっぱり声出す方がやりやすいかな……)

(このやり方でも、慣れるまではやりづらいかも)

(でも、ステラ的には、私にかなり歩み寄ってくれたってことだよね)

 そうやって考えはしたものの、相手からの返答は帰って来ない。黙って読んでいるということもないだろう。本当に聞こえていないのだと真希は感じた。


『それで……話を戻しますが、どうかされましたか?』

『ちょっと考え事をね。何考えてたか忘れちゃったけど』

『……もしかして、私のせいでしょうか?』


 話しかけてくるこの心の声に、真希は心配や申し訳なさの念を、うっすらと感じた。言葉を伝え合うためのハードルは引き上げられたものの、感情はなんとなくで通じ合えるのかもしれない。そんなことを思いながら、真希は言葉を返した。


『大したことじゃないよ。気を遣ってくれてありがとね。時間の方は、まだ大丈夫?』

『双方の接近速度を考えれば……まだ、あるにはありますが、そう長くもありません。心の準備を』


 淡々とした勧告に息を呑んだ真希は、少し間を開けてから『うん』と返した。

 それから、周囲の様子をうかがいつつ、彼女はスマホで連絡を取り始めた。連絡といっても、双方向の物ではなく、一方的に伝える感じではあるが。ステラから伝えてもらった通りの情報と、駅周辺や車内等の現況について、簡潔な言葉で文をしたためていく。


 この文を、彼女はまず祖父へと送信した。通話ではなくメールを選んだのは、すぐにつかまるかどうか確実ではなかったから――ではあるが、別の理由もある。こういう状況で、肉親と声を交わすことに、相当な勇気が必要だからだ。

 いや、もしかすると、そちらの方が大きな理由かもしれない。不思議と、戦いに行く覚悟と勇気は整っているように思えるのに、危機を前にして祖父と向き合うだけのことができないでいる。

 そんな自分に、真希はやや自嘲気味な笑みを浮かべた。それから、祖父に対する申し訳なさに、スマホを見つめる顔が曇っていく。

 祖父へとメールを送るこの間、ステラからの干渉は一切なかった。車内の少しにぎやか会話をBGMに、真希は一人で思い悩み……やがて大きなため息をついて、気分を切り替えた。


 続いては香織に対する連絡だ。祖父に対するものと、文面にさほど差はない。

 だが、避けては通れない重要事項が一つある。現状において、香織もアストライアーの操縦者の一人であるということだ。

 しかし――真希か香織のいずれかが乗ってさえいれば、同乗者は別の誰かでもよい――そうしたルールを、真希はしっかり覚えていた。

 そこで、彼女は香織をどうするべきか考え込み……結論を下した。最終的には相手の判断の委ねる形になるだろうが、真希はこの件について言及することから逃げず、自分の意志を言葉にした。諸々の連絡事項の末尾、少しスペースを開けて――


「先生は危ないから逃げて」と。


『よろしいのですか?』

『……絶対に来てくれるって確信できないなら、アテにできないでしょ。それに……私に何かあったらって考えると、先生を温存する意味はあるんじゃない?』


 真希の言葉に、ステラは絶句した。言葉は帰って来ず、代わりに揺れ動く思念の波を、真希は感じ取った。彼女なりに考えた上での決断であり、発言だったが……彼女の献身を借りるステラにとっては、思いがけない痛打となったのかもしれない。

 すると、真希は気を取り直すように言葉を掛けた。


『前よりも敵は小物って話だし、大丈夫だと思うけどね。ま……現場にいる勇敢な誰かに頼んで、一緒に戦ってもらうよ』

『わかりました』

『あと、念のために聞くけど、一人でも動かせないことはないよね?』

『動かせはしますが、不利になります。推奨はしません』

『そっか』


 言葉を交わした後、真希の心の中は妙に静かになった。言葉にならない何かが渦巻く感じはあるが、たまらずに表に出てくるほどのものではない。

 とりあえず、車内でできることはやった。そう思って気分転換にと、彼女はカバンの中を漁った。しかし――普通の高校生の視点としては――ロクなものがなく、あるのは教科書とノートぐらいだ。せめて読み物になる資料集でもあれば、事情は違っただろうが……

 しかし、カバンの中にある少し厚手の本に触れ、彼女は一つひらめいた。周辺の地図でも、今のうちに見ておこう、と。

 そこで彼女は、スマホで地図を広げた。目的地の久里浜駅から、海岸へ向かって東へ東へ。指を滑らせ――ある物を目にして、真希の顔が青ざめた。


『ウソでしょ』

『どうかしましたか?』


『発電所がある』

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