第8話 それぞれの隠し事
小高い丘の上にある海浜公園。緑豊かなその公園の一角で、一団の男女が朝から太極拳に勤しんでいる。平均年齢は還暦前後の集団だが、いずれもまだまだ元気十分といったところ。講師役に合わせ、楽しそうにゆったりと体を動かしていく。
この集団の講師を務めるのは、町内会でも武芸百般と評判の、高原圭一郎氏である。彼の自己認識としては、とても百般などと言うほどではないのだが……まぁ、町内会では面白おかしくそのように盛られている。
しかし彼は、もともと太極拳に覚えがなかった。ただ、幼馴染の町内会長の思い付きで太極拳教室が企画され、「それっぽいのでいいから」ということで、それらしいものを覚えた上で今に至っている。
そんな太極拳教室は、講師役に言わせれば “ラジオ体操に毛が生えた程度”の物ではあるが、参加者には好評である。
また、こうした場はコミュニケーションにも活かされている。和やかで楽しそうな雰囲気に惹かれるのか、公園にいた若者が混ざるということもしばしばだ。
こうして楽しまれていることについて、半ば流れで講師を引き受ける形となった圭一郎も、(まぁ、いいか……)と満更ではなかった。
それに、昨日は頭を悩ませる出来事が起きたばかりである。半当事者ぐらいの立ち位置にある彼は、孫や香織、それに地球全体の今後について、気を揉む思いであった。香織については、スマホの修理や自身の生活のこともあり、今朝家を出ていったところだが……連絡を取れるようになるまでは、どうにも心配である。
そんな状況にある彼にとって、太極拳教室はいつも以上の癒しの場となっている。
さて、ちょくちょく若者が誘い込まれるこの教室に、今日も一人それらしいのが紛れ込んでいた。スラックスにワイシャツ、ネクタイとベスト。運動するには少し不向きな恰好ではある。年の程は20代そこそこといったところ。人が良さそうな顔をしている以外、これと言った特徴のない青年である。
教室の一連のプログラムが終わると、場の主役はさっそく新顔の方へと移った。老いてもなお元気な年配たちが、興味津々といった感じで彼に寄っていく。
「見ない顔だねえ、兄ちゃん。出勤途中かい?」
「いえ、大学生です。これをどうぞ」
朗らかに笑いつつ、渦中の人物はベストから名刺を取り出し、格式張らない軽い感じで配り始めた。どうやら、彼はこの場の全員に配るつもりらしく、なんとなくの場の流れで名刺が順繰りに手渡されていく。
そうして圭一郎の手にまで名刺が渡ると、彼はそれに目を落とした。立川春樹、赤坂学園大学新聞部とある。
「へえ~、いいとこの学生さんかい」
「恐縮です。ですが、大学よりも部活の方に注目してもらいたいな~、と」
後ろ髪をかきながら春樹は、はにかんだ笑顔で言った。
「新聞部……この辺で何か事件でも? わざわざ東京から?」
「実はですね、この辺りの海に、何か……たとえば隕石でも落ちたんじゃないかと」
それを耳にし、驚きそうになる自分を、圭一郎は精神力で抑え込んだ。やや心拍が高まるのを覚えつつ、青年の話に耳を傾ける。
「アマチュア天文家の中では、少し話題になってまして。というか、学内の天文部連中なんですが。隣の県だし、ちょっと情報でも集めてきてよと」
「人がいいんだねえ、気を付けないと」
「いや、もらうもんはもらってますよ?」
そう言って春樹は、金のジェスチャーをしてニコッと笑った。場はすっかり彼のペースで、年が離れた面々とも、すっかり打ち解けた雰囲気だ。
しかし、そんな彼が少し表情を引き締めると、場の空気もピリッとしたものに。彼は本題に話を戻した。
「落ちたのは昨日の明け方あたりらしいんです。あくまで、天文観測からの推測なんですが。そこで、目撃者がいらっしゃればと、まずは近隣の町内会長さんに当たってみたんです」
「でも、私はその話、知らなくってね。冗談のつもりで、この集まりのことを紹介してみたんだけど……」
春樹の言を継いで町内会長が口にすると、場の面々がそれぞれ互いに視線を合わせ始めた。
そして圭一郎は……何食わぬ顔を維持した。情報を持っていないこともないが、その重要性は理解しているつもりである。軽はずみに明かせるものではないし、彼自身まだまだ状況に対する理解が乏しいという自覚もある。自分たちは、教える側ではなく、むしろ知るべき側だとも。
そんな彼は、結局、目の前の青年に情報を漏らすことはなかった。打ち明けられる情報に対し、新たに得られる情報は、さほど重要ではないだろうと判断してのことだ。
そのため、近所の友人に「Kちゃんは、何か知らんか?」と問われても、彼は素知らぬ顔で「いや」と答えるばかりであった。
ただ、あの件に関して動き出している者がいるという事実は、先行きを明るくするものでもある。新聞部の若者の出現を受け、圭一郎はとりあえず古巣に当たってみようかと考えた。
☆
同日11時頃。海沿いの街並みを巡り、情報収集に奔走する春樹の元に、一つの着信があった。上司からの物である。彼は周囲に軽く視線を巡らせた後、通話を始めた。
『話せる状態か?』
「ちょっと人混みが……通話に支障はないです」
『そうか。首尾は?』
「本当に、誰も知らないって感じですね」
『町ぐるみで隠しているという様子は?』
「そういう違和感はありません。もしかすると、目撃者がごく少数で、口が堅くて表に出てこないってのはあるかもしれませんが……」
『わかった。そのまま継続してくれ』
「了解です」
答えた後、春樹は街往く人々に視線を向けた。やはり、最近何かが起こったというような、浮足立つ感じがない。誤観測の疑いは捨てきれない。それでも彼は、実際に何かあったのだろうとは考えた。
――そして、この後も。彼は空に目を向けた。まばらな雲が流れる青い空は、何の変哲もない清々しいものだ。しかし、それを眺める青年の顔は、少し曇っている。
「そちらで、何か動きは見られましたか?」
『昨日今日では変わらんな』
「……では、やはり当初の想定通り?」
『ああ』
通話先の向こうの人物は、重いため息の後に言葉を付け足した
『Xデーは4日後だ』
☆
同日夕刻。自転車をこぐ真希の胸の内に、ステラの声が響いた。
『少しよろしいですか?』
『ちょっと待って』
口を動かさない会話に少し慣れてきた彼女は、驚きもせずに一度自転車を降りた。地に足をつけて転がしていく。
『どーぞ』
『色々とお伝えすることがありまして。念のため、あなたには早い内にと』
その言葉に重みのようなものを感じ取り、真希は身構えた。ハンドルを握る力が無意識のうちに強まる。
その話というのは、アストライアーの仕様に関する物だった。
『私は基本的に、前部座席に座る、主たる操縦者の意志で動きます。ですが、実際に動かすには、もう一人いる方が好ましいです』
『何か役割があるの?』
『私は乗り手の意志と精神力を増幅させ、それを原動力に稼働しています。そのため、単独で動かすとなると、その分負荷が増します」
それを聞いて、(酔ってる町田先生から、無断で力を吸ったの?)と思った真希だったが、思ったことを口には出さないでおいた。どうせ、ステラがいなければ、二人とも海の藻屑になっていたのだから。
ただ、口には出さないでおいても、考えはステラに伝わった。
『あの時、隠す形になってしまい、申し訳ありません』
そう言われて、真希は考えたことが筒抜けになっているということを実感した。
『困ったな~、変なこと考えられないじゃん』
『しかし、
胸の内に響くこの声は、手放しの感想なのだろう。少し照れくさくなって頬を赤らめた真希は、照れ隠し気味に次を促した。
『操縦者の話は分かったけど、他に何かあるの?』
『はい。繰り返しますが、私に指示を出すのはメインの操縦者。また、私を動かす力自体は、お二人からいただくことになります。ここまではよろしいでしょうか』
『うん』
『この、操縦に関わらない方を、便宜上同乗者と呼称しますが……主たる操縦者の承認があれば、同乗者を誰でも迎え入れることは可能です』
『……つまり、一定期間は操縦者を変えられないっていうのの、例外になるって感じ?』
『はい。保安上と運用の利便性を考慮した妥協点として、そうした仕様が定まっています』
そこで真希は考えた。
(つまり――今のところ、私か町田先生のどちらかが乗ってれば動く?)
『その通りです』
『……考えてることが全部筒抜けってさ、すんごくやりづらいんだけど』
『そうですか?』
『あなたは……きっと、余計なこと考えないから、気にならないんじゃないかな? 私としては、結構大変っていうか』
『……申し訳ありません』
この心に響く声に、どこかしょぼくれた感じを覚えた真希は、(悪いことしたかな)と思って顔を曇らせた。今度の心の動きに対し、ステラは何か遠慮したのか、言葉を返してこない。そうした反応もまた、どこか寂しいものがある。
それから、静かに歩を進めていった真希は、ハッと閃いて『いいこと考えた!』と伝えた。
『一度、この状態を切ってもらえる?』
『はい』
『気兼ねせずに声出せる場所へ連れて行くから、寂しがらないね』
『……ふふっ』
すると、真希は(ステラも笑うんだ)と思い――それに対する反応は、特にはなかった。
その後、彼女が向かったのは、駅前のカラオケである。基本料金で一人入店。実質的な利用者は二人と言えなくもないが……まぁ、そういう“客“を想定してはいないだろう。彼女の中ではちょっとした引っかかりになっても、罪悪感にまでは至らない。
そうして個室に入った彼女は、適当にBGMのリクエストを飛ばし、電源を切ったマイクを口元に寄せた。万一、ドアの外から店員に見られても、変に思われないようにと考えてのことである。
「もういいよ」
『申し訳ありません』
「いいって」
と言いつつ、(自腹切っちゃったけど……)と思った真希ではあったが、返ってくる謝罪はない。声によってのみ通じ合える状況である。
こうして普通に話せる状況を得た真希は、ステラに話の続きを求めた。
「どこまで話したっけ?」
『主たる操縦者が正規の方であれば、同乗者は誰でも構わないというところです』
「おっけ、思い出した。それで、1つ聞いていい?」
『どうぞ』
「……次に戦うのがいつごろになりそうかとか、本当にわからない?」
『申し訳ありませんが、私に広域の探知能力はありません。接敵の……そうですね、数時間前にわかれば上出来といったところでしょうか」
「それで間に合うの?」
『現地の戦力と連携を取ることを前提に設計されていますので』
そうは言われても……といった感じではある。地球を取り巻く外敵の存在を、何らかの機関が認識しているとして、そういう機関であれば協力者たり得るだろう。
しかし、ただの女子高生に過ぎない真希には、そういう機関に心当たりなどはなかった。
「学校でさ、そういうのに詳しそうな男子に、それとなく聞いてみたけど」
『芳しくはなかったようですね』
「外に情報が漏れるような機関じゃなさそう。せいぜい、それっぽい噂が独り歩きする程度で。私たちが頼れる感じじゃないかな~」
『そうですか』
しかし、そういった機関が仮に存在するのであれば、いくら隠れていても表に出ざるを得ない状況はというものはある。つまるところ、侵略者の存在が明るみになる時であり……早朝の海などではなく、もっと大勢に目撃される時――
もっと言えば、民衆が危険にさらされる時だ。
『その時、どうにか接触するしかないでしょう』
「……そうだね」
その時を思い浮かべ、マイクを握る真希の手が震えた。適当に入れたヒットチャートが、能天気な音色で部屋を満たす。それにほんの少しイラッとして、彼女は音量を絞ってからウーロン茶をあおった。
そうして一服した彼女に、ステラが話しかけた。
『あなたが倒した例の侵略者ですが、青い珠を残したのを覚えていますか?』
「あったね、回収したやつでしょ?」
『はい。実は、ああいった敵の核を捉え、解析して自分の力とすることができます』
「へえ~、何か使えるようになったの?」
『とりあえず、水の鞭を』
「ムチ?」
言われて真希は、それを早速イメージした。なるほど、敵の能力の内、水流を操るのと触手を合わせてそうなったのだろう。しかし……
「私、鞭なんて使えないよ?」
『使えないのですか?』
「あのね……」
意外そうに返してくるステラの声に、真希は呆れたような口調で返した。今時、鞭を使う機会があるのは、よほど特殊な職業だろう。
ただし、そういった覚えがなくとも、ある程度は自由に使える武器のようではある。
『鞭とは言いましたが、そのように動かせる水流程度の認識で大丈夫です。結局は操縦者のイメージで動きますので』
そこで真希は、ホースの先をつまんで水を飛ばす光景をイメージした。(アレをもうちょっと大げさで凶暴にした感じかな)と。
新武装についての話が終わると、ステラは『以上です』と言って締めくくった。
「終わり?」
『現状で話せる分は」
「つまり、多少は隠し事があるってこと?」
『はい』
臆面する様子すらなく即座に言葉を返され、真希は思わず苦笑いを浮かべた。
「こっちから質問があるけど、いい?」
『答えられることであれば』
「今日の話、どうして私に教えてくれたの?」
『あなたが一番、次の戦いに関わる可能性が高いからです』
端的な回答は、真希自身も自覚するところではあった。そう容易に操縦者を変更できないという性質上、真希か香織のいずれかが、当面はその任を負わねばならないだろう。
そして、次に事が起きれば――(あの先生よりは私が)と、真希は考えていた。
「もう1ついい?」
『どうぞ』
「あなたって、誰にでも動かせるんだよね? なんていうか、特殊な技能や訓練が必要ってわけじゃなくって」
『はい。ですが、操縦者の思念が反映される仕様上、発揮されるパフォーマンスは操縦者に左右されます』
「……正直な話さ、私ってどうなの? あなた的に満足できる操縦者?」
真希が真剣な表情で視線を落とすと、彼女は曲の切れ目に差し掛かっていることに気づいた。なんとなく演奏をストップさせ、ステラの声に耳を傾ける。
すると、ステラは『比較対象がいませんので、正確なことは言えませんが……』と前置きした。
『あの侵略者に対し誰の操縦でも、最終的には撃滅できたとは思います。ですが、露見を最小限に留められたのは、あなたのセンスによるものかと』
「お世辞とかじゃない?」
『はい』
「そっか……」
つぶやくように言った真希は、天井の隅へと顔を向け、軽くため息をついた。
「それだけ聞きたくって。次も私の番かもしれないしさ」
『……巻き込んだようで、申し訳ありません。ですが、あなたに操縦していただけるなら、私は安心です』
「も~、いいって。何度も言われると恥ずかしいから~」
そう言って困ったように笑った真希は、演奏を再開させた。意識せずに入れた曲は、街中で耳にすることも多い、一番しか知らない曲だ。
「チョットだけ歌っていい?」
『どうぞ。勉強します』
「そんな御大層なものでもないけどね……」
力なく笑ってマイクを握った彼女は、ステラの「勉強する」という言に対し、(ステラの中がカラオケボックスになったら)と、ふと思ってしまい……マイクが拾った軽い含み笑いが部屋に響いた。
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