第3話 初陣②
機体に迫る攻撃のような何かは、視認性に乏しい。しかし、かすかな違和感からそれを認識した真希は、持ち前の反応速度で腕を動かした。彼女に応え、機体がその何かを掴み取る。
この一連の動きには、機体も感嘆の声を上げた。
『お見事!』
「なに、コレ……触手?」
『そう思われます』
「……もしかして、本当にあまり知らない敵?」
『お恥ずかしながら……』
返ってくる声のしょぼくれた響きに、真希は同情と困惑から、なんとも言えない表情を浮かべた。
ただ、敵についてあまり把握していない声ではあるが、多少のアドバイスはする。声は『では、少し力を入れてみてください』と言った。
それに促されるままに、真希は掴んだ触手を力強く握りしめるイメージをすると……球体モニターの向こうの現実で、それが起きた。触手が圧潰し、何かが漏れ出て海に混ざっていく。
こうして触手の一つを握り潰されたことで、今度は敵の全体が反応を起こした。引き寄せる水流が一度弱まる。
『痛がっているようですね。一度後退しましょう』
「わかったけど……何か武器とかない?』
『武器ですか』
「海だし……なんだろ?
『銛』
「なんかこう、魚を刺すやつ」
『よくご存知ですね』
真希の家族に漁業関係者はいない。彼女が銛という物を知っているのは、小学校の国語で出てきた記憶があるからだ。(たしか、クエとかいう魚の話だっけ……)と彼女は思い出した。
それはさておき、この機体に銛はない。というより――
『申し訳ありませんが……武器はこれだけです』
これだけ、と言われても、真希には何も見えなかった。いや、先程から見えている物が一つある。触手を掴み、握り潰したそれが。
「素手でやれって?」
『それだけの性能はあります』
言われた真希は、言い返せなくなった。実際、先程の触手に対し、きちんと対応してみせたばかりである。機体を操る彼女も、それに応えた機体も。
それに……覚えた武道がそのまま役立つ状況とも思えないが、かといって、いきなり手渡された武器を操りきれるとも考えられない。であれば、普段の自分に近い徒手の方が、馴染みを持って動かせる。そのように考えた真希だが……
「でも、リーチは心配だな~」
『間合いですか』
「剣道三倍段とか言ってさ……」
と口で言いつつも、真希の目は敵の挙動を押さえにかかっていた。前方の海中に揺らぎが二箇所。しかし、到達までのタイムラグはある。
そこで、真希は体を動かすイメージを、無意識的に働かせた。やや弱まった水流に乗って体勢を整え、先にくる触手に半身で構える。
それから、一本目の触手を掴み取ると、彼女は少しだけ追撃に猶予をもたせた。二本目が接近したところで、捕らえていた方を握りしめて破壊。
念のための構えを取っていた真希ではあったが、敵は期待通りの挙動を示している。痛みが伝播したのか、二本目は怯んだようだ。その、やや気後れしたような動きを捕らえるのに、労は必要なかった。すかさず掴んでそれも圧潰。敵は少しおとなしくなり、水流も少し弱まった。
『もしかして、以前にもこういうことが?』
「ないって!」
とはいえ、落ち着きのある立ち回りではある。動きの詳細はさておき、戦いの心構えについて、真希自身は心当たりが無いわけではない。
「相手の動きをよく見て戦うようにはしてるかな……戦いっていうか、試合だけど」
『試合は、戦いとは違うのですか?』
「……ま、そういうのは、また今度ね」
とはいえ、その”今度”があるのかどうかも、わかったものではないが。
さて、触手を3本始末した真希だが、機体の声は懸念を口にした。
『探りを入れているのかも知れませんね』
「様子見?」
『全体からすれば、些細な出費でしょう』
実のところ、敵の全容について、正確なところはまだつかめていない。だが、この機体よりは確実に大きいのだろうという認識は、真希も持っている。
それに、触手が探りの一手に過ぎないということは、彼女も同様の考えだ。なにしろ――本気で引き寄せられたら、相手には
そして、その本気の引き寄せがやってきた。その場に留まろうとする念も虚しく、敵の方へとジリジリ引き寄せられていく。
「やっぱ来た!」
『呑まれた場合にどうなるかは不明です。可能な限り避けてください』
「言われなくってもそうするけど!」
問題は、どうやって呑まれないようにするか。水流に
ならば、せめて水流の先、あの黒い口だけは避けるというのは? 外側へ動こうという意識を持って、真希は機体を推進させた。
すると、引き寄せられる力と、機体が進もうとする方向が合成され、どうにか口の中央から外れるような進路を取っていく。これなら、まっすぐ呑まれることはない。
しかし……触手はそれを許さない。水流を外れようとするその動きを
その時、機体の声が叫んだ。
『失礼します! あなたの体も固定します!』
「えっ!?」
『固定すれば、回っても戦えるでしょう?』
その意図を、真希は即座に感じ取った。視線は外の状況に注がれ、自身の体はシートベルトによる保護を感知し、一方で外の皮膚感覚が色々なものをワープして彼女の知覚へ。そんな知覚の嵐の中にあって、彼女の意志は必要な動きを命じていった。
水流を活かし、彼女は機体をその場で上下に半回転させた。束ねた髪が頭上に垂れ下がり、席に固定された二人から、水が滴り落ちる。こうして上下反転させたことで、迫りくる触手に手早く相対することができた。
そして、こちらを掴まれること無く相手を掴み――
『こちらから引き寄せましょう。いえ、引き寄せると言いますか……』
「手繰っていく感じかな」
提言は真希もイメージしていた。掴んだ触手をロープよろしく、機体が手繰って敵本体の方へ。
その道中、当然のことながら、触手が妨害しようと機体に何度も迫った。しかし、手繰っていく触手を少し強く握ってやれば、敵は怯んで動きが鈍る。
それに、今や真希は、機体の足も使って姿勢の制御を行っていた。あたかも、自分自身が水中で泳ぎ、あるいは水中で遊ぶように。
『以前にも、こういうことが?』
「……まぁ、水泳は大好きだよ、うん」
そう答える彼女の頭に、水滴が垂れた。水中での体勢を幾度も変え続けているおかげで、天井と床、側面が何度も入れ替わっている。それぞれが床だった時の名残が、水滴になって垂れてくる。
しかし、そんなことも気にならないほど、真希の集中力は高まりきっていた。
そして、触手を手繰り寄せていったその末、機体は敵の本体へと取り付いた。定期的に痛みを与え、水流での吸い込みを制御したのが奏功したようである。
しかし、敵の体は、真希の想像を超えて巨大であった。今操っている機体の正確なサイズはわからないが、相当な物ではあるだろう。敵はそれを更に上回る。この機体を人間とした場合、敵は長距離バスといったところの比だろうか。
また、近づいたことで、その形状もおおよそはつかめてきた。口は巨大で円形に歯が並び、口から少し胴体へ寄ったところから、いくつもの触手が伸びている。そして、胴から尾までが長い。適切なサイズであれば、深海魚とイソギンチャクの合の子といったところか。
水流の影響をほぼ受けない、敵の胴体部分へ取り付いた真希たちであるが、敵の触手にはほど近い。外敵を排除しようと、触手たちが襲いかかる。
無論、そのへんの触手一つを掴み取り、軽く握ってやればおとなしくなるわけだが……埒が明かないのは確かである。手をつないだまま連れ回すわけにもいくまい。そこで声は提案した。
『結んでやってはいかがですか?』
「捕まえた奴どうしで?」
『はい』
「できるかなぁ……」
これまで従順に応えてくれた機体ではあるが、そこまでの精密さがあるかどうかというと……まだ、試してはいない。試しに真希は、腕を前に持ってきて、念じてみた。
そして、(ああ、いけるかも)と彼女は思った。人のスケールを遥かに超える巨体だが、不自由なくジャンケンできる程度の器用さがある。
となれば、あとは実践だ。現状では床代わりになっている敵の巨体をつま先でつつき、動きを促してやる。すると、それに反応するように、四方八方から触手が迫った。
そこで真希は、すでに握っている命綱を引き寄せるように強く握り、腰は落として機体を地面へと沈ませた。動きの鈍った触手が機体の上部をかすめていく。
今度は力強く立ち上がり、上の触手を掴み取って力を込める。すると、背面から迫ってきた触手の勢いが弱まっていく。それを確認し、触手二本を持ったままその場で背面宙返り。ひねられる激痛に地面が揺れ動くが、機体は接地していない。
そして、先程背面から迫っていた触手は、宙返りした機体のちょうど下に。それを踏みつけるように着地。横から伸びてくる触手たちは、踏まれる触手の痛みで怯んだ。
それからは余裕のある流れであった。握っては怯ませることで、捕虜がみるみる増えていく。それらの脱走を許さないよう、手に余る分を一箇所に集め、真希は踏みつけた。
ようやく、触手を結ぶ番である。この段になると、真希の疑念は払拭されていた。ここまで動けるなら、できないわけがない。手に意識を集中すると、海中で指を動かすという水の抵抗感すらも、ダイレクトに伝わってくるようであった。
――それと、得体の知れない怪物の、触手の触感も。
「なんか、キモチワルイ……」
『感覚切りましょうか』
「いや、ちゃんとやる……」
そうして、握った二つの触手を、時には力づくでおとなしくさせつつ、真希は結びつけていく。しかし、その間、足元で何やらうごめく感触に、真希はゲンナリした。
「なんか動いてんだけど……」
『……触手だけではないですね』
「えっ? ああ、本体の方ね」
言われて言葉を返した真希だが、機体の声にどこか深刻なものがあったように思い、彼女はその点を尋ねてみた。
「何か気になることでも?」
『海水を吸って、今も膨らんでいる懸念が』
「……マジで?」
思わず聞き返した真希だが、吸った海水の行方を考えれば、敵が膨らんでいるというのは妥当な見立てだろう。それを認めて、彼女は口を閉ざした。
それから、彼女は触手を結びつける作業を継続しつつも、足元の動きや感触に気を向けた。自身の足は海水をたっぷり吸った靴下とスニーカーに包まれ、方や機体の足からは、モゾモゾうごめく触手とその下の本体の動き。その2つの不快感が混ざり合い、彼女は渋い顔で閉口した。
やがて、結び目が一つできあがった。こうなれば、後は流れ作業である。
『満足に動かせないこのヒモに、他のを括り付けていきましょう。そうすれば、最終的には手も足も出なくなることでしょう』
「ん」
答えた真希は、後部座席の方に顔を向けた。例の女性は、今もうなされている。身体的に、何か深刻な症状が出ているわけではなさそうだが、心配は心配である。
だが、まずは敵の対処からだ。触手の結び目は、今や真希が支配するクモの巣である。他の健全な触手が近づけば、絡め取って巣に括り付け、仲間入りさせてやればいい。
そうやって彼女は、敵の体表で版図を広げていった。たった一機の接近を許したばかりに、敵は打てる手を少しづつ失っていき……
『手詰まりでしょうか』
「たぶん」
ついに、動かせるその手の全てを喪失した。しかし、変わらず流れ込む水流は健在で、海を吸い込み続けているようだ。その巨体に手を当ててみると、内側から外に押すような鼓動が伝わってくる。
「この後は?」
『背後に回り込みましょう。後ろから殺します』
剣呑な表現が飛び出したが、真希はたじろがなかった。この侵略者が生き物的な何かだとは察しが付いていたが……殺しをためらわせるような存在ではない。
やがて機体が敵後方へ回り込むも、敵は反応を見せない。対処しうるはずの触手はメロンを包む梱包のようになり、もはや脅威にはなり得ない。生物とも無機質ともつかない、ゴツゴツした質感のその背は、完全に無防備である。
「それで……武器は、この手だけだったっけ?」
『はい』
「う~ん、これで倒せるの?」
『問題ないと思いますが』
機体から発せられるその言葉が、自身のスペックから来るものなのか、乗り手への信頼から来るものなのか、真希には量りかねたが……迷いを晴らすだけの響きはあった。
ただ、手を下すことについて覚悟はついているものの、攻撃方法には迷った。
「あなたの指って、頑丈?」
『それなりには』
「
『強い方でどうぞ。負傷しても、そのうち治ります』
その言葉が決め手になった。真希には確証こそなかったが、体を踏んでみた時の感触で、敵には生物的なしなやかさを認識していた。敵が膨らんでいるという感覚も、生物的な柔らかさの存在を思わせる。ゴツゴツした見た目でも、さほどの強度がなければ……貫手の方がいけそうである。そんな印象を持っていた。
結局、彼女はその印象を頼りにすることを決めた。そもそも、これまで自分のイメージで、ここまでの道を拓いてきた。最後もそうしよう。そうやって心を決め、敵に向き直って構えを取ると、暗い海の中にも少し光が差す心地であった。
そして、彼女は機体に構えを取らせ、深呼吸をした。
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