第2話 初陣①

 不思議な感覚に捕らわれたのは、実際にはほんのわずかな間のことだった。気がつけば、真希は確かな地面あるいは床の上に、その体があることを認識した。溺れかけの女性も一緒にいる。それと……暗がりの中、ビチビチと何かが跳ねる音も。おそらくは魚であろう。

 音の方から目を離すと、先程の声が彼女に語り掛けてきた。柔らかな感じの、女性の声である。


『大丈夫ですか?』

「えっ、えっと、まぁ……よくわかりませんけど」

『そうですか、良かったです』

「でも、魚は出してあげた方がいいかも……」


 床の上で跳ね回る何かについて真希が言及すると、不思議な声は『確かに』と応じた。そして、音がしていた方の床がぼんやりとした白い光に包まれる。それが消えると、魚が跳ねる音も消えてなくなった。

 そうして静かになったところで、真希は声に話しかけた。


「ここは、その……どこ? というか、何? あなたは一体?」

『順を追って説明します』


 そう言って声は説明を始めたが、それは容易には呑み込めない物であった。


『私は……宇宙から迫る侵略者から、この星を守るためにやってきました。ですが、敵を追ってやってきた際、付近であなた方の存在を検知し……操縦者勧誘も兼ね、救助した次第です』

「侵略者? 操縦者?」


 思わず問い返す真希ではあったが、彼女にもわかることはある。それまで海の中までいたというのに、急に外界から切り離された空間にいるわけで、この状況が人知の及ばぬ何かによる物だとは。

 とりあえず気になるのは、侵略者と操縦者という単語そのもの、そしてその組み合わせである。疑問と困惑で固唾を飲む真希に、声は言った。


『あなた方に、私を動かしてもらいます』

「じょ、冗談でしょ?」

『いえ』


 端的な回答の後、真っ暗だった空間に色彩が戻ってきた。

 二人がいる空間は球体状になっており、向こう側には海中が広がっている。そして、球体の中央部には、座席が二つ。上下に段を付け、前後に並んでいる。声によれば、その席に乗って戦えという事だ。その侵略者とやらと。

 球体の向こう側に映し出された海は、暗い青に染まっている。しかし、魚の姿はほとんど見られない。ただ、奥底の一点へと続く水流の存在は見える。そして、深い海の闇へと向かう水流の先に、暗い青の光点が……


『アレが私たちの敵です』

「なんか巻き込まれてる……」


 “私たち”というフレーズに、思わず反応してポロッと漏らす真希であった。次いで彼女は、床に転がるもう一人の要救助者に目を向けた。

 彼女は、海水をいくらか飲んでしまったようだが、特に命の危険はない。ただ、意識は曖昧なようである。声によれば『安静にすればよろしいでしょう』との診断だが。

 しかし……(この後どうしよう)と途方に暮れる真希だったが、状況は予断を許さない。彼女らがいる空間が、急に少し揺さぶられた。落ち着いた声が状況を告げる。


『引き寄せが強くなりましたね。このままではこらえきれなくなり、あちらへ呑まれかねません』

「えっ? いや、自衛とかしないの?」

『奴らと戦うために来ましたが、戦闘行動には現地人の操縦が必要です。そう作られていますので』


 冷静な声が答える間にも、敵からの攻撃で少しずつ吸い寄せられているようだ。とはいえ、わかるのはそれまで。暗い海の向こうから何をされているのか、真希の視点では判然としない。

 そんな中で一つ気になることは、自分たちの身のことよりもむしろ、街の安全であった。


「外は? 街は大丈夫?」

『奴が海から出ようという動きはありません。こちらに引きつけられています。ですが、こちらが倒されれば、その限りではないでしょう』

「つまり、その……頑張れって?」

『はい』

「……いきなり言われて、できるもんなの?」

『満足に使っていただけるデキだという自負はあります』


 未だ意味不明の渦中にある真希だが、語りかける声の落ち着きようと自負心のような物には、少しばかり安堵を覚えた。いずれにしても、やらざるを得ないらしい。

 それから真希は、声に話し掛けた。


「このお姉さん、寝かせたままじゃ危ないから……なんとかできない?」

『座席に固定しましょう。手伝ってください』

「おっけ」


 真希はうめく女性を背負った。衣服が水を含んでいて、やはり重い。ご本人様が重いというわけではない。どうにか動かせる自分の体と鍛え具合に、真希はちょっとした感謝の念を覚えた。

 そして、彼女が座席に近づくと、『少し動かします』とのアナウンスに続き、球体空間が歩行よりも遅いぐらいのゆったりしたスピードで回転を始めた。その動きに合わせるように、座席もゆっくりと傾いていく。

 やがて、寝かせるのに丁度いい傾き加減になって、真希は女性をイスに寝かせた。すると、座席から幅広なヒモらしき物がいくつも伸び、彼女を保持する幾重ものシートベルトになっていく。女性はうなされているものの、圧迫感から来るものではないようだ。

 こうした一連の動きで、真希は声の主が人体を丁重に扱っているように感じた。先程巻き込んでいた魚についても、なんとなくではあるが、きちんと海へ返したように思われる。たぶん、この声の正体は善良な何かなのだろう。そう思って、真希は少し安堵した。


「それと、もう一つあるんだけど」

『何でしょう』

「いえ、自己紹介してなかったなって。私は高原真希。あなたは?」

『名前はありません。後でご自由に』

「いや、いま呼ぶのに困るじゃん……」


 しかし、声は答えない。仕方なく、真希は口を閉ざして座席に着いた。

 すると、球体内の様相が一変する。深みのある海の闇が、少し晴れ上がっていく。


「えっ、何?」


 口にする真希は、次いで皮膚に冷感のような物も覚えて、身を硬くした。球体内の室温より数度低い程度だが、急に冷感が生じたのは確かである。

 それに、座席以外に触れ合う物がないのに、それでも体に触れる何かがある。どことなく、空気の流れのような感じではあるが……


『私の感覚を一部、あなたにも感じてもらっています』

「そ、そうなんだ……」


 途方もない技術、あるいは魔法的な何かによる現象だろうか。にわかに信じられるものではないが、実際にそれが生じている以上、真希はただ受け入れるしかない。この声の主が感じるように、彼女もこの海を感じている。


「ってことは……侵略者ってのと、戦うんだよね?」

『はい』

「私も痛い目に?」

『それと分かるように伝える程度です。加減しますから、ご安心を』

「……あなたは、痛くないの?」


 すると、柔らかな声は含み笑いを漏らし、『お気遣い、ありがとうございます』と、やや嬉しそうに言った。

 それから、声は視界内の変化について言及した。


『操縦者搭乗を確認し、戦闘モードに移行しています。外界の検出感度を一時的に向上しています』

「外が良く見えるようになった、みたいな?」

『そんなところです』

「ところで、あなたって何なの? 名前とかそういうのじゃなくって、形というか……」


 すると、この問いのニュアンスを把握した声の主は、疑問に答えるように球面上のスクリーンへと何かを投影した。曲線が多く、流麗な印象の全身鎧といったところだ。

 そして、この表示が正しいということを、真希は延長された感覚から認識した。自身の体よりもずっと大きい、人型の何かとつながっている実感が確かにある。また、これに乗っているということは……


「つまり、ロボット?」

『あなた方の言葉で言えば、それが適当かと思われます』

「私のこと操縦者って言ったけど、実際の操縦はどうするの?」

『あなたのイメージ通りに動きます。自分の体と思い、海を感じながら動かしてください』


 そこで真希は、試しに念じてみた。腕を動かすイメージをしてみると、球体空間の前にその腕が現れた。滑らかでつややかな感じの材質からなる腕だ。


「なるほど……」


 中々呑み込めない状況ではあるが、それでも一つ、自分でもできることを得た。そうした実感が、彼女を前に向かせた。

 それに……つい先程までは引き寄せられているばかりであったが、今ではそうした動きに抵抗できているようだ。


『操縦者を得たことで、流れに抵抗する力を発揮できています』

「じゃあ、こちらから近づいていく感じで?」

『はい』


 そこで、真希は機体を動かした。海中をかき分けるように腕を動かし――


『本当に泳がせなくても、前に推進できますが……』

「そういうの、早く言ってね!?」


 そうとも知らず、ロボットを泳がせていた自分は、さぞマヌケに映ったことだろう……と思ってしまう真希であった。

 それから気を取り直し、海中で構えのような体勢を取らせ、任意の方向へ推進させていく。すると、どこかなだめる調子で、声は言った。


『お上手ですね。人体に似つかわしくない動きは、イメージするのも大変でしょうが……』

「なんていうのかな……吸い込まれる感覚はあるからさ、そういう流れを体で受けて乗るイメージ? 知らんけど……」

『なるほど』

「うまい人に拾えてもらえて良かったね……って、お互い様かな」

『そうですね』


 波を利用し、留まろうとする力と引き寄せてくる力のバランスを保ちつつ、真希は機体を前へ進ませた。

 そして、敵の全容が少しずつ明るみになっていく。前から見えていた、深い青の光点とは別に、二つの光点。中央の光点の周囲には、黒い大きな穴。海中に開いたそれは、開きっぱなしの大口のようで、引き込む水流はそこが発生源のようだ。

 また、その黒い空間を縁取るように、何か揺らぐものが整列している。それはさながら……


「透明な、歯?」

『そのようですね』


 この声も、敵の正体については、詳しくは知らないようである。倒すべき敵を前に、不安を掻き立てられる真希だったが、様子見をしていられる時間はいくらもない。

 というのも、距離を近づけたことで、より強く引き寄せの力がかかるようだ。全力で留まろうとしても、少しずつ流されてしまう。虚無のような口は開き続け、機体はそちらへ引かれ続ける。

 そして――別の攻撃が迫る。深い色合いの海中から飛来するのは、遠近感を惑わす何か透明な物体だ。海の闇に紛れて揺らぐ、おぼろげな点にしか見えないそれが、機体へと急接近する。

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