第5話 株式会社異世界。業務内容告知 episode2 覚悟って必用? やっぱりこのヌメヌメ生臭い

ひらりひらりと風に舞い、落ち行くパンティ。


急いで、取りにいかなくては……。ダッシュ! だが異常に体が重い。運動不足か? マジやべぇな。

階段を駆け下り、ビルの外に出た時。俺の背後から鋭い視線と共に、背中に触れる鋭利な刃物の先端の感触を感じていた。


「や・が・み・さん」


その声は怒りを極限まで抑え込んでいるかのような、いつもの彼女の声とは違う声に聞こえた。


「あはは、ど、どうしたんですか? 今日はえらくお早いご帰宅ですね。葵……さん」

「なんだか胸騒ぎがしてね。早退してきたんだけど……当たったのかしらねぇ」

「いやぁ――――! 多分ハズレだと俺は思いたいんですけど!!」


動くな! 動けば間違いなく今背中に当たっている先端は俺の体内にめり込んでいく。


まだその勇姿は見たことは無いが葵はハンターだと聞いている。しかもその腕はこいつらの世界ではかなりの有名人らしい。しかもだ小隊長。……十七歳の設定? ていうことはなんだ本当の年は違うていうことなのか? でも今はそんなことを考えている場合じゃねぇ。この誤解を何とか解かねぇと俺はマジ刺される。

そのナイフを持つ姿勢はまさしく獲物を仕留める戦闘態勢だ。


「ねぇ八神さん覚悟ってしたことある?」


「な、なんですかいきなり。覚悟ってなんのことですか?」

「そうか、まだ無いんだ。本気で覚悟をしたこと。なら、いつも逃げていたのかな」


な、何なんだ! こういう状態で覚悟がどうのって。つまりはこの俺を今ここで刺し殺すって言うことなのか? それだけはご勘弁願いたい。たかが下着一枚のことで殺されてはたまったもんじゃねぇ。


「あの、多分さ……怒っているのはわかるんだけど、こうなった理由くらい俺に話させてもらってもいいんじゃないか」

「いい訳って言う事?」


「いや、そうじゃなくて。ほら雨降ってきているジャン。洗濯物濡れるで……俺が取り込んで……風に飛ばされたのがその下着でさ。それを拾いに来ただけなんだよな」

「ふぅーん。そうなんだ」

葵は鼻で透かすように言う。


「あなた本当に今の自分がどういう状況にあるのかって言うの、把握できていないみたいね。下着? それってなんの事? それよりもっと逝けないことがあなたの目の前に襲い掛かっているというのに」


「はぁ?」


その時俺たちの頭上からアリン社長の声がした。

「葵、八神さんにはまだリークしていない。だから彼には見えていないの」

「なるほど、そう言うことか。――――ならば」


ほんの一瞬の出来事だったと思う。俺にはその姿がまるっきり見えていなかったから、何が起こったのかさえ分からないままだ。


葵の持つナイフが空を切った。


ただ見ただけではナイフを振っただけのように見える……いや、仕留めていた。そのナイフが描く弧の動きは獲物を仕留めた感じの手ごたえを見せていた。

で、俺の頭上からドロッとした、またあの生臭い液体が滴るように落ちてくる。


これは雨じゃねぇな。


それになんで、俺にまとわりついてんだ……これって蛇? 大蛇? 俺超苦手なんだよな。長いもの……。

雨は次第に強さを増していく。遠くの方で空が光っていた。


そんな光景を目にしながら俺の意識は閉ざされた。


気が付くと自分の部屋の床に転がされていた。

起き上がろうとした時、自分の体から発せられるあの生臭さに俺は吐き気をもようした。


「おえぇぇ!」


その声を聞きつけたのかアリン社長がドアを開き。

「ようやく気が付いた。大丈夫? 八神君」

「あははは、また俺食われたんですか?」

「ううん、今回は食べられていないよ。よかったね」


にっこり笑うところじゃねぇだろと、言いたかったがこの人はこういう人だと言うのが馴染んできていたから怒る気にもなれない。


「でもほんと臭いわねぇ。お風呂入ってきなさいよ」

「そ、そうすね……ほんとこの臭いたまらんです」


雨はまだ降っているようだ。やはりアリン社長の予報通りあの晴天から一変した。

どれくらい気を失っていたのかは分からないが、あのどろっとした生臭い液体は俺の着ているワイシャツに完全にしみこんでいる。


「ああ、このワイシャツもう駄目だな」

一応替えのシャツもすべてアリン社長が用意してくれた。

しかしだ、これだけ業績不振と言うか、成り立っていない会社なのに、金には困っていないようだ。

困っていないというよりはかなり裕福だ。


あの社長愛用の紅茶。それに葵と茉奈の二人もそれなりに金は持っているようだ。

無一文なのはここでは俺だけ。のようだな。


ま、何とかこの会社を盛り上げて……至難の業のような気がするけど。給料をもらえるようにならねぇと。

ああ、それにしてもカピカピになっちまってるぞ。


風呂の戸を開けると……「ぎゃぁー!!」なんて言うことは起きない。

仮にそんなことが起きたら、俺は即座に刺殺されちまうだろうな。

シャワーを浴び、このぬめぬめを綺麗に洗い落とす。


しかしだこうして風呂にも入れるって言うのは、ほんと幸せなことだ。

橋の下の生活の時は風呂なんて入っていなかったからな。


それにこんな豪勢な。こりゃまるでどこかのスパみたいだ。

俺を入れて四人のためには、広すぎるし豪華すぎる。こういうところの経費ってどこから出ているんだろう?


株主の王女様からか?


だとしたらそんなに働かなくても生活は出来るということか?

ま、この状態も悪くはねぇ。ただ自由に使える金が欲しいのは確かだけどな。


しかしだ、いまだに謎だらけだ。

あの三人はこの世界とは別世界の住人?


つまりは異世界と言う事か? 真面目にそう言うことってあるわけねぇよな。

多分自分たちの身分ていうのを隠さねぇといけねぇから、こんな小学生並みの茶番設定をしているのか?

それに俺も付き合ってきたけど、いい加減なんかうさん臭くなってきた。いや、はじめっからうさん臭かったのは確かだ。

それに俺の身元を詮索しようともしない。

全国版。名前は出なかったが調べれば今の時代すぐに分かることだ。


それなのに何もあの事には、触れてはこないとこは本当に助かっている。


まぁ、ある程度の金が溜まったら、地方にでも移住してのんびり暮らすのも悪くはねぇな。

それまでの付き合いだろうから、そんなに深入りする気は毛頭ねぇんだけど……ただ。


ただ、現実的にあのぬめぬめと生臭さは本物だ。


それに今日のあの葵のナイフの裁きを目にして、確かになにかを切ったというのは感覚的に感じた。

それが後になって見えたのが、あの大蛇と言う事なら。それは現実に起こっていることなのか?

あの大蛇、思い出しただけでも気持ち悪い。湯船につかっていても寒気がするほどだ。


あれも野獣の一つなんだろうか?

それになんで俺にはあの時見えなかったんだ? いや、それを言うなら、どうして弦さんといた時に俺はあの野獣が見えたんだ?


あれだけの怪獣……。街に出たらそれこそ全国版のニュースだ。

そう言うニュースなら、多分俺も食いつくようにして見ていたかもしれねぇけど。


あ、またほんと落ち込む事思い出してしまったな。

あれは俺にとって恐怖にか感じねぇ。


本当にもって訳がわかんねぇことばかり。

それでも俺は何とか生きている。――――人間って意外と強ぇ生き物かも知んねぇな。ま、悪くいえばしぶといとでもいうんだろうか。


現実と、空想の狭間。


今、俺がいるのは……。そんな世界かもしれない。


風呂から上がると葵の特性手料理。毎晩のことだが。

今日は特に豪華だ。


「ねぇねぇ、八神のお兄さん。また野獣に食べられたったんだって」

茉奈が興味深々に聞いてきた。


「いや食われてはいないようだ」

「ふぅーん、そうなんだ。また半分死んじゃったのかと思っていたよ」

「大丈夫だぜ。この通りピンピンしてるぞ」

「そうじゃァこんばんは勢力つけて、茉奈といいことでもしちゃう?」


「待て! それ以上はいくら何でも犯罪になるからやめておこう。それにご両親に俺のキョッキンされのは勘弁だからな」

「なんだつまんないのぉ!!」

少しぷんとほほを膨らませるところは可愛いんだが、ほんとませた子だ。


「さっ、夕食出来たわよ」葵がテーブルに料理を並べ終えた。

「どうしたんだい今日は豪勢じゃないか」葵の料理の腕は俺も認めているから、これ全部ものすごくうめぇていうのは折り紙付きだ。


「うん、今日は新鮮な生きのいいお肉が手に入ったから」


新鮮で 生きのいい……お肉って。


「今日八神さんにとりついた野獣の肉だよ」


ゲッ! マジ……お、俺食えねぇぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る