第30話 海斗移動作戦


 作戦当日の朝、私はいつもの作業服に身を包み、迎えが来るまでの時間を静かに待っていた。


 この格好も今日で最後。


 海斗の移動作戦が終わったら、あの地下室はまた封印される。今度こそ……二度と誰も使えないようにすると水野さんが言っていた。


 目を閉じて大きく一つ、深呼吸をする。


 神様……どうかお願いします、全てうまく行きますように……どこの、なんの神様か分からないけれど、とにかくお願いをする。もし、どこかで見ていてくれるのなら……どうか海斗を助けてください。


「マンション前到着」

「了解」


 水野さんの声で作戦は始まった。


「おはようございます。笹山、水野、定刻通り出発しました」


 車に乗り込み、内藤さんにも出発した事を知らせる。


「了解。予定通り地下へ」

「了解」


 まさか自分がこんなスパイ映画みたいな事をするなんて、考えてもみなかった。車は修理センター付近に着くと、順調に地下へ入って行き、下へ下へと深く降りていく。


 車が長い下降を止めたその時、目の前にホログラムのような煌めく四角い空間に出る。


「すごい……! 」


 何ていうか、秘密の作戦とは場違いなギラギラ感が目を襲う。


「停めにくい」


 苛立つ水野さんの声。


 四方を囲む壁はスパンコールでびっしり埋め尽くされていて、前後左右の距離感が掴めない。


 目が眩んで瞬きしても残像が邪魔をする。


「どうして、こんなことを……」

「さぁ……当時のボスの趣味、でしょう」

「そんな事なんですか? 」

「他に何があるんです」

「慣れていない人間が戸惑うように目眩ましとか……駐車スペースに見えないようにとか」

「へぇ……」


 駐車を終えた水野さんが私を見る。


「店員よりスパイ向きですね」

「いや……」


 向いてると言われても全然うれしくない。


「行きましょう。ここからが本番です」

「はい」


 またしても地下室へと直結しているようで、ドアを開けると地下室内にあるロッカーに出た。


「お疲れさまです」

「お疲れさま。準備は? 」

「完了です。簡易電源接続済み、保護シートを装着したので最大1時間までカプセル停止できます」

「それでは早速始めましょう。まずは膝、腰、肘関節を曲げて折り畳み、胎児の様に丸めます、次にそのまま右を下に体位転換したら持ち上げてこの簡易カプセルに収納しましょう」

『はい』

「笹山さんは海斗の左腕、内藤は右腕、私が膝関節、それぞれ配置につき慎重に曲げてください」


 水野さんの指示通りに動いて海斗の左腕に触れる。


 “ごめんね、海斗。ちょっとだけ…窮屈だけど我慢してね”


 心の中で呼び掛けながら触れると、すぐに曲げる事ができた。


「あの時より少し関節が硬くなってる」

「そう……ですね」


 二人とも関節が硬くて動かないのか、特に水野さんは、両膝を一人で動かせず苦心している。


「終わりました。左膝やります」

「お前、何でそんなに曲がるんだ。馬鹿力か? 」

「力は入れてません」


 移動して左膝に触れる。


 思った以上に重くて……冷たくて、ズキンと胸が痛む。凍っているかのような左膝を両手で包み込むと、ゆっくりと……関節周りをさすりながら辛抱強く可動域を増やして曲げていく。


「温めるのですね」


 私の動作を見ていた水野さんが同じ様にすると、さっきまで硬かった膝が少しずつ動き始める。思ったより時間を掛けて何とか、簡易カプセルに押し込めた。


「よしっ! 」

「まだこれからです」


 関節を曲げただけで達成感のような笑みを浮かべる内藤さんを水野さんが冷まして、3人で車に載せる。


「ストレッチャーでは無理ですね……台車にしましょう」


 水野さんの独り言を聞きながら車に乗り込み、今度は後部座席から水野さんと内藤さんを眺める。


 すぐ後ろには……海斗のカプセル。


 まるで物のように海斗を車に載せて運ぶなんて……胸がナイフで刺されているみたいに痛かった。







 車は30分以上かけて走る。


 辿り着いたのは……あの草野医院より少しだけ大きな古びた病院。早朝だからか辺りはひっそりとしている。


「到着しました。鍵を開けてください」


 車を停めた水野さんが誰かと通信している。


「中に誰かいるんですか? 」


 内藤さんも通信先の相手を知らないらしい。


「降りましょう」


 3人で降りて台車に海斗のカプセルを載せて運ぶと病院の自動ドアが開いた。その先には薄暗い通路が伸びている。


「直進して突き当りを右に曲がります」


 台車を引いて先を行く水野さんに、内藤さんと私は用心深く付いていく。


「この部屋に入ります」


 扉を開けようと先回りした瞬間、取手に触れるようとしたその時、すーっと扉が……開いた。



 薄暗い病院……揺れる白衣の裾……不気味な長身の医師。


 まさか……あの人。


 生きているなんて……そんなはず。


「遅かったな」

「海斗を載せるのに手間取ったのです。それより、朝早くに無理を言いました」

「島の朝は早いんだ、このくらい慣れてる。なぁ、遥」


 え……!?


 あの人とは明らかに違う、荒いけど温かみのある声。


「伯父さん!? 」


 どうして……伯父さんがここに!?


「伯父さん? 」

「内藤は初めてですね、彼は海斗の伯父であり草野英嗣の兄である草野洋司さん、医師です。海斗の事をよく知っているので協力を仰ぎました」


 ぎこちない二人の仲を、水野さんが取り持って紹介している間も……ついじっと見てしまう。


「はじめまして。内藤奏翔ないとうかなとです。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。まぁ、医師と言っても昔の話だから役に立てるかはわからん、色々教えてくれ」


 内藤さんと挨拶をしている伯父さんは、島にいた頃と同じ人にはとても見えない。髪を整えて髭も剃って、シャツに白衣姿の伯父さんはどう見ても……。


「遥が驚いて固まってるぞ」

「無理もないでしょう、その格好、草野英嗣にしか見えません。死者が生き返ったようで不気味です」

「そうか……そんなにあいつに似てるか。久しぶりに白衣も悪くないと思ったんだがな」


 水野さんの言う通り……喋らなければ伯父さんには見えないし、不気味。


「本当に伯父さん……なんですね」

「そんなに怯えなくてもいいだろう」

「だって本当にそっくりだから……」

「まぁ……何十年振りだからな、俺もまだ慣れてないし、海斗も見た事はないはずだ」


 カプセルの中の海斗を見つめる。


 海斗……伯父さんだよ、わかる?


「さぁ…あいつが怒る前に出してやるとするか。話はその後だ」


 今度は伯父さんの指示で海斗をカプセルから出してベッドに横たわらせる。


「カプセルは? 」

「必要ない」

「え? 」

「海斗の皮膚は人とほぼ同じだ。だから……カプセルに入れても皮膚から充電は出来ない」

「人とほぼ同じ……? 」

「あぁ。ただ湿度管理には役立ったよ。1ヶ月だからな……慎重にしないと腐敗する。助かったよ」

「いえ……」

「それにしても……何で一月ひとつきも眠ってるんだ? 入国時に検査もしたんだろう? 」

「もちろんしましたが……」


 水野さんが言い淀んだのを、内藤さんが引き受ける。


「海斗は、開発中の新型ロイドという形で入国審査を受けたので検査は通常より簡易的です。更に当センターでも検査を実施しましたが……異常電波発出装置が見つかっただけでした」

「そんな危なっかしい物付けてたのか」

「はい。すぐに除去出来ましたが」

「そうか……他に原因と思われる所は? 」

「はい……今回倒れた後も様々な角度からスキャンをし、故障部位を探しましたが今のところ見つかっていません。恐らく脳のシステムが損傷していると推測しています」

「そうか。これまでに海斗は何度か怪我をしているが、こんな事は今までに無かった。開ける前に徹底的に調べるしかないな」

「そうですね……うちの内藤と笹山が調べた事を伝えておきます、あなたも海斗を診察して故障の原因を究明してください」

「わかった、聞かせてもらおう」


 海斗を寝かせたベッドの側には、ちょうど良さそうなテーブルと椅子が置かれている。まるで準備されていたかのようなその椅子に私達は腰掛けた。


「まず言っておきますが、海斗の治療は全て極秘で行います。どんな状況であっても他言は無用、でお願いします」


 それぞれ無言で頷いた所で伯父さんが口を開く。


「まずは、内藤君だったか。君は故障の原因を脳のシステム損傷と考えているんだな」

「そうですね……状況からの推察に過ぎませんが、全身機能が損なわれる程の大規模な損傷か機能停止が起きたのではないかと考えています」

「状況か……そういえばまだ聞いてなかったな。倒れた時はどうだったんだ。遥は側にいたのか? 」

「仕事から帰ったら倒れていて……ごめんなさい、側にいませんでした」

「謝ることはない。海斗は家に? 」

「はい……」

「あんたらなら監視カメラの一つ付けてるだろう。映像は? 」

「さすがにプライベートまで盗撮する趣味はありません。今となっては後悔してもいますが」 

「じゃあ、何をしていて倒れたかもわからないんだな」

「たぶん……食事の支度をしてくれていたんだと思います」


 あの日、海斗はポトフともう一品作ろうとしていた……その途中で何かが起きて、倒れた。


「料理をしていたのか」


 伯父さんがメモをする。


「あの……直前の行動と何か関係が? 」

「まだわからんが、機械が壊れるにしろ、体調を崩すにしろ、何かきっかけってもんがあるだろ。そこから推測できる事もある」

「なるほど……盲点でした」

「海斗の場合、むやみやたらに開く訳にいかん。既に全身が人工物だとは考えられているが……そうでない可能性もある」

「そうでない可能性……」


 それってもしかして……。


「お前の言う通りかもしれないな」


 低い声で内藤さんが私に呟く。


「言う通り? どういう事です」


 こそこそ話す私達を水野さんが厳しい目で見る。


「海斗は人間社会に擬態するように作られていると海斗の父親から聞きました。でも……それにしてもロイドとあまりに違いすぎると思ったんです。もしかして人と極めて同じ構造……もしくは、人の部分をまだ、持っているんじゃないかと思ったのです」

「あいつも医者だったからな……確かに若い頃はそんな事を言っていたかもしれん」

「人の部分? もう少し詳しく話せませんか? 調べたのですよね」

「はい。内藤さんからはあり得ないと言われたんですが……海斗の体格を考えるとスキャンされた装置だけで動いているとは思えません。海斗にはまだ脳も心臓も……もちろん他の臓器もあって、脳のシステムから臓器に電流を流して動かしている……という事は考えられませんか? もちろん、今回の事は脳のシステムが何らかの原因で停止したからだと思いますが、それなら新しい脳のシステムにも神経のような線を付けて」

「ちょっと待て。それは、本当に遥の考えか」

「はい……すみません、やっぱりあり得ないですよね……」


 医学も科学の常識も無視した安易な発想に、その場は静まり返る。伯父さんも水野さんも、難しい表情。


「仮に、臓器を動かし続けられるシステムを作ったとして……ホルモンの分泌や血液、体液の循環など問題だらけです。とても人と同じようになどできません」

「ですよね……」


 また、沈黙の時間が生まれる。


「よし! 」


 眉間に皺を寄せていた伯父さんが出した大きな声で、水野さんも内藤さんも……私も一斉に伯父さんの方を見る。


「二人の意見はよくわかった。資料やメモもあれば写しをくれ、その上で俺が海斗を診て考える。それでいいか? 」

「修理の事も考えると、あまり時間はかけられません」

「10日もあれば大丈夫だ。この件は一度、俺に任せてくれ」


 伯父さんになら安心してお願いできる、今までの全てを託して帰る事に決めた。


 また、会えなくなるね……別れ際、握った海斗の手は冷たくて……いつものように私を包み込んではくれなかった。

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