第4章 霞む未来
第31話 私にできること
「もう5年になるんだね」
「ね……梨理が産まれたり、色んな事があったよね」
夏の陽射しが照り付ける午後、ガラス張りのショップの中で私は樹梨亜と穏やかな時間を過ごす。
5年前……初めてここに来た日、樹梨亜が煌雅さんと結婚して梨理ちゃんを産む事も、夢瑠が兄貴を選ぶ事も、私がこっち側の人間になる事も、想像出来なかったと思う。
未来って、突拍子もない。
「お待たせしました」
内藤さんが煌雅さんと歩いてくる。
「ありがとうございました」
樹梨亜がにこやかにお礼を言うと煌雅さんも樹梨亜の隣で頭を下げてから、二人で同時に座る。同じタイミングで動く二人が微笑ましく見える。
これもプログラミング……なのかな。
「今回の点検も異常ありませんでした、特に劣化している部分もなく、脳回路も正常に動いています」
「ありがとうございました」
「先日、ご相談頂いた見た目調整はまた第2子誕生後に考えていきましょう」
「分かりました」
第二子、その言葉が妙に大きく聞こえた。妊娠したなんて何も聞いてない、でも私を気遣って言えなかったのかもしれない。考え出すと気になって仕方なくて……でも内藤さんもいるし、今は仕事中。こんな真面目な雰囲気の中で聞くわけにいかない。
「おい」
「は、はい! 」
「まだか? 」
「はい、あ、えっと……」
「旅行申請書だ、大丈夫か? 」
「はい、すみません、今出します」
旅行申請書──慌てて検索をかけるけれど見つからない。
「ないか? 」
隣から聞こえる小声に頷く。
「すみません、すぐ」
「いいよ、貸してみ」
私が遅い事に焦れたのか、端末を取られてしまった。
「旅行は何泊でした? 」
「3泊4日なんです、そうそう、こんな場で言っていいかわからないんですけど……」
「いいですよ、何でも言ってください」
「あの、遥、いえ、笹山さんとは友達で。旅行一緒にどうかなって思ってたんですけど……さすがに仕事中に誘っちゃだめですよね」
「いいですよ、気にせず普通に話してください、なぁ? 」
「え? あ……はい」
「ショップも夏休みだし、せっかく誘ってくれたんだからお前も行ってくれば? 」
「え? でも私、外泊は……」
「そんなの……今のお前ならいいんじゃないのか? あ、あった」
無意識に友達だっていう甘えがあるのかもしれない。そう私が反省する間にも、カウンセリングは進んでいく。
「お手数かけますが、これに必要事項の記入お願いします」
「はい、わかりました」
端末を渡された樹梨亜は書きながら私をちらっと見る。
「梨理がね、遥と夢瑠もって言うの、私もみんなで旅行出来たら楽しいし、煌雅がいるならいいんじゃないかなって思うんだけど……一緒に行かない? 」
内藤さんに端末を返した樹梨亜は私に、微笑みかける。いつもなら水野さんに直談判してでも行きたい、そう思うはずなのに……気持ちが動かない。みんなと楽しむ気持ちにはなれないし、笑顔でいられる自信もない、きっとずっと私は……海斗の事を気にしてる。
「はい、手続き完了です。こちらが控えと緊急時の対応についてです。何かあった時の為、旅行当日はこの紙をご持参ください。もし笹山が同行するなら緊急対応もやりますから安心してください」
その場で書面を渡しながら、そんな事まで勝手に決める内藤さん。
「はい。行くのはまだ4日後だから考えておいてね、実はもう、水野さんにはお願いしてあるんだ……返事は遥に伝えるって言ってたから」
「そうなの……わざわざありがとう」
全ての手続きを終えて樹梨亜と煌雅さんは帰っていく。
「あいつが心配か? 」
樹梨亜夫妻の後ろ姿を見送る私の隣で呟く内藤さんに……何も言えない。
「水野さんに頼んでまで旅行に誘ってくれる友達、俺にはいないぞ」
「心配かけたくないんです……それよりすごいですね」
「何が? 」
「煌雅さんと樹梨亜、同じタイミングでお辞儀して座っていました、あれもプログラミングですか? 」
「違うな……樹梨亜さんが合わせているのか、一緒に暮らすうちにそうなったんだろ。パートナーロイドはな、心の学習機能の精度はあまり高くないんだ」
「そうなんですか? 」
「あぁ。ロイドのパートナー、あの二人の場合であれば樹梨亜さんが煌雅を人間だと錯覚し過ぎないようにそうしてるんだ。まぁ……精度が高ければ高いほどロイド自身に負担がかかるっていうのもあるんだけどな」
「へぇ……内藤さんって実はすごい人なんですね」
「俺にはそれしかないから……別にすごいわけじゃない」
「そんな風に言わなくても充分すごいです」
「安心しろ……そんなにおだてなくても、あの間抜けな笑顔にちゃんと会わせてやるから」
間抜けな笑顔に……それだけ言うと、内藤さんはさっさと歩いていってしまう。
「お疲れ様です」
遠ざかる背中に言うと振り返りもせず、手でバイバイするように返す内藤さん。
“ちゃんと会わせてやる”
その言葉だけが暗いトンネルの中で出口から射し込む……一筋の光のように思えた。
「夏休み……かぁ」
一人の部屋で出る声はどこへともなく消えていく。
海斗と一緒だったら楽しかったんだろうな……仕事を終えたあと急いで帰って勉強を始めたのに、そんな気持ちに支配されそう。
海斗……。
もう、長く聴いていないその声。
遥って……呼ばれたいのに。
その声で……その笑顔で。
ぎゅっと抱きしめて欲しい。
「わっ!! 」
身体がガクッと傾いて思わず声を上げてしまう……いつの間にか居眠りなんて。
玄関のチャイムが鳴る。
誰だろう……もしかして樹梨亜かな?
「はーい。え……!? 」
立っていたその人を見て分かりやすく目を見開いてしまった。
「水野さん……何かありましたか? 」
「すみません、せっかく仕事が終わったのに顔を見せて」
「いえ、どうぞ……」
また気持ちを読まれているかのような返事が返ってくる。
「ショップでは出来ない話があるので」
「出来ない話? もしかして海斗に何かあったんですか? 」
「いえ……海斗ではありません、今日はあなたの事です」
「私の……話? 」
ダイニングテーブルに案内して座ってもらい、お茶を淹れる。
「どうぞ」
「ありがとうございます。わざわざ淹れているのですね」
「え? 」
「ここは自動でできるでしょう? 」
「あぁ……島にいたせいか慣れてしまったんです、自分でやる事に」
「もう……帰ってきて4ヶ月ですか」
「はい。そういえば、水野さんが伯父さんを呼んでくれたんですね。ありがとうございました」
「もっと早く呼ぶべきだったのですが、時間が掛かってしまいました」
音も立てず、静かにお茶を飲む水野さん……一体、何を話しに来たんだろう。
「樹梨亜さんから聞きましたか? 旅行の話は」
「あ、その話で……わざわざすみません」
「いえ、今のあなたにはいい話だと思います。疲れも溜まっているでしょうし、何より気遣ってくれる友人がいるのですから……大切にした方がいいでしょう」
「気持ちはすごく嬉しいです、でも私」
「構いませんよ、外泊しても。夏休みは2週間ありますから旅行に行くのもいいですし、ここに閉じ籠もっている必要はありません」
まさか水野さんからそんな言葉を、聞けると思っていなかった。勉強しろとか遊ぶ暇なんてないはずとか。
「外泊や遠出を禁止したのは、逃亡を疑われない為ですから、海斗がいない今のあなたは自由です」
自由……海斗と二人でその言葉を聞けていたらどれだけ嬉しかっただろう。
「それなら……行きたい所があります」
「そうですか」
「海斗のいる病院に泊まらせてください。廊下でもどこでも構いません」
「それは出来ません」
「どうしてですか? 外泊してもいいんですよね」
「あの病院への立ち入りは……私も禁止されているのです」
「どういう事ですか? 」
「草野洋司は昔から研究の際、部屋に閉じこもるのです。誰であっても立ち入る事は許されません。もちろん……逃亡しないようモニターで監視していますが、人の気配を感じるだけでも集中が途切れるそうで、それだけは厳守するよう言われています」
海斗には会えない、誰のせいでもないとわかっているけど。
「待つしかありません」
いつまで待てば……海斗に会えるんだろう。
「そうですか……」
水野さんはいつものように私の瞳の奥を見つめる……また心を読まれているようで心臓がトットッと音を立てる。
「一つ、聞いてもいいですか? 」
「はい……」
「あなたはなぜ海斗が好きなんですか? 」
「なぜって……いきなりそんな事聞かれても」
瞳をそらす私をまだ水野さんは凝視する。
「海斗と一緒にいたいですか? 」
「もちろんです」
「分かりました。一つ私から提案があるのですが……」
そこまで言い掛けておいて止まる。
「なんですか? 」
「海斗と共に生きていきたいならパートナーロイドにするという方法もあります」
今度は私の思考が止まる。
「え……? 」
「英嗣の作った装置を全て取り除き、当社のパートナーロイドと同じ構造にするのです。そうすれば二度とこの様な事は起きず、いつまでも幸せに暮らしていけます」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
「何……言ってるんですか? そんな事出来ません、第一違法ですよね? 実在していた人物と同じロイドを作る事になります」
「火事で死んだ人間はデータが残りません……しかも草野海斗の遺体は焼失した事になっている。作り直せるのです、英嗣はいつか作り直すつもりで、燃やしたのでしょう
「でも……」
「海斗に頼まれた事があるのです。こんな事になるとは思わず、断ってしまいましたが」
「頼まれた? 何をですか? 」
「自分をパートナーロイドに改造してほしいと」
「海斗が? 何でパートナーロイドに……? 」
「あなたがもっと自由に暮らせて、ずっと一緒にいられる方法だと考えたようです」
「そんなの……」
「パートナーロイドは嫌ですか? 」
「そういう話じゃなくて! 」
思わず声を荒らげた私に……水野さんも、私自身も驚く。
「そうじゃなくて……それは海斗に似せたロイドであって海斗じゃありません。ずっと一緒にいられたとしても……よく食べてよく笑って、ちょっと抜けたところのある……あの海斗にはもう会えないんですよね」
「そういう設定にする事は出来ますし、最大限近づけます。海斗はあなたといる為なら自分を変える事ぐらい容易いと言いました……海斗の意向です」
「そんな事言われても……」
「万一の時にも、そう言えますか? 」
「え……? 」
混乱する私に水野さんはとどめを刺した。
万一の時?
この人……何言っているの?
寒気が、身体中を駆け巡る。
「あなたの人生です、最終判断はあなたに委ねます。休みの間に落ち着いて考えてください」
考える……海斗の人生を、私が決める……?
「伯父さんは……なんて」
「遥に任せると」
任せる……そんな事言われても。
「海斗、直らないんですか? 」
「洋司も内藤も諦めていません、驚くほど必死です。ですが夏休みが終わる頃になっても目覚めなければ……正直、厳しいでしょう。それに海斗は故障したロイドとして処分された事になっています。今度、目覚めた時にはパートナーロイドとして登録するか、他の何かを考えなければなりません」
分かるけど……分かりたくない。
「よく、考えた上で決まったら連絡してください」
まだ……納得なんかしていない。
海斗は絶対直る、そう言い張りたいのに何も言えない、立ち上がれない私がいる。
静かに、水野さんは出て行く。
海斗を失ったとしたら……突きつけられた突然の現実。
そう思うだけで……息をする事さえも出来なかった。
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