第27話 いつか見た花火


「海斗……今日はどう? 変わりない? 」 


 海色のカプセルに話しかける毎日は、今日もまだ続いている。


「来てたのか」

「はい、お疲れ様です」

「お疲れ」


 海斗を直す為にここで勉強を始めて、もう何日経ったんだろう……あれから私は毎日ここに来ている。


 相変わらず海斗は眠ったままで、電流を流してみたり、身体を切らなくても出来る事は試してみたけれど、そのどれにも反応は示さなかった。


「今日はどうだ? 」

「変わりありません」


 もう、この人とここにいる事にもすっかり慣れてしまった。必要な事以外は何も話さないから気を遣わなくて済む。


「そうか……」


 今日もそれだけ言うと内藤さんは、いつもの場所で難しい顔をして論文を黙々と読み始める。もちろん……草野英嗣が書いた物もそこには含まれているけれど、知れば知るほど疑問が増えていくばかりで……手掛かりになりそうな事は何もない。


「海斗、待っててね」


 返事のない海斗に、もうどれだけ話しかけたんだろう……この姿を見る度に現実を突き付けられるけれど、それでもまだ顔を見られるだけ心は落ち着いている。


「何かわかりましたか? 」

「いや、有益な情報はない。今のところ昨日話した方法が一番有力だな」

「昨日……脳回路の入れ替えですか? 」

「あぁ、俺はその可能性が一番高いと思ってる。体内の装置に異常が出た場合、不調を訴えるのは分かるが眠ったままという事はないだろう。恐らく、脳のシステムが突然停止した為に海斗は倒れたんだ」


 確かに、理論的にはそれが一番すっきりする……かもしれない。


「でもなんで……海斗の脳システムは突然停まったんでしょうか」


 その時、私の端末が急に鳴り出す。


「出ろよ」

「すみません」


 出てみると、聞き慣れた声が耳元に通る。


「ハルちゃん? 」


 夢瑠だ……水野さんじゃなくてよかった。


「夢瑠、ひさしぶり」


 少し小さめの声で返事をしながら内藤さんから離れる。


「ハルちゃん、もうお仕事終わった? 」

「あ、えっと……まだ残って勉強してて……」

「そうなの? 大変なんだね……」

「そんなことないよ、夢瑠どうしたの? 」

「ハルちゃん……大丈夫かなと思って。最近、お家に行ってもいないし、電話も出ない時あるし……」

「うん、大丈夫。心配かけてごめん。私の事は心配しないで。ちょっと仕事に集中したいだけなんだ」

「ほんとに……? みんな心配してるよ? 」

「うん……ごめん。夢瑠は元気にしてる? 」

「うん、私は元気……あっ、ちょっと! 」

「おい、大丈夫なわけないだろ!? 」


 いきなり、電話口から兄貴のけたたましい声。兄貴って昔からこんなによく喋る奴だっけ……。


「もう……なに? 私なら大丈夫だからほっといてよ」

「ほっといて!? お前、また何か危ない事に巻き込まれてんじゃないだろうな! 」

「そっ、そんな訳ないでしょ。仕事してるだけだってば」


 兄貴の勘に、思わず声が揺れる。


「ならいいけど……いいんだな、信じて」


 核心をつくように、急に鎮まる声に鼓動が速くなる。嘘なんか……つきたくないけど。


「うん、大丈夫」


 嘘をつくしかない自分が苦しい。


「わかった……明日の夜、空いてるか? 」

「え? 明日の夜? 」

「久しぶりにみんなで食事しないかって話になってるんだ」

「ちょっと! それは私が言う約束でしょ? 」


 兄貴の隣から夢瑠の声が聞こえる。


「ハルちゃん、明日ね、樹梨ちゃんがみんなでご飯食べようって、お仕事終わる頃、お店に行ってもいい? 」

「明日は休みなんだ……」

「そうなの? じゃあ、お家に行くね! 」


 ぱっと華やぐ夢瑠の声、今晩泊まって明日までここに籠もるつもりだったけど……夢瑠達が来るまでには帰らなきゃ。


「うん、じゃあ、また明日ね」


 通話を切ると思わず深い溜め息がでる。


「大丈夫か? 」

「はい、大丈夫です」


 仕方ない。今の私には、やらなきゃいけない事があるから。


 海斗のためだから。


「話の続きですよね。私も脳のシステムについては少し調べ」


 話を戻そうとした私の手を、内藤さんが止める。


「今日は帰れ。送るから」

「何でですか? 大丈夫です」

「お前、また泊まるつもりだろう」


 内藤さんの視線は、私がいつも寝ているソファとブランケットを見ている。


 図星過ぎて……何も言えない。


「目の下にクマ作って、そんな顔で会ったら心配されるに決まってんだろ。今日は帰ってちゃんと休んでから行け」

「聞いてたんですか? 」

「あんなデカい声で……丸聞こえに決まってるだろ。ほら行くぞ」


 眠る海斗を置いて、強制的に地下室から連れ出された私は、何故かいつもの車ではなくてエッグに乗せられた。


「何でいつもの車じゃないんですか? 」

「今日は俺も帰る。用事があるんだ」


 なんだ……呆れた。


 私を気遣うふりして自分に用事があるんじゃない。海斗を置いていくことに後ろ髪を引かれながらも、エッグはゆっくりと動き始める。


「こいつ、面白い動きするんだ。なんだと思う? 」

「空でも飛ぶんじゃないですか? 」


 どうでも良くて適当に返事をする。


「なんだ、知ってんのか」


 内藤さんの言葉と同時、エッグはどんどん上昇を始める。


 本当に飛ぶの? 


 それってあの夢と同じ……違うのは、隣にいるのが海斗じゃないってことと、夜空だっていうこと。


「きれいだよな」


 この人……私を連れ回してどうしたいんだろう。何を考えているのか、まだ全然わからない。


 内藤さんは黙ったまま外を眺めている。


 ドォーン!!


「わっ! な、なんですか? 今の」

「あぁ、花火だろ」


 花火……やっぱりこの音苦手。


「まさか……落ちたりしませんよね? 」

「落ちるわけないだろ。怖いのか? 」

「そうじゃないですけど……早く帰りません? 花火の音苦手で」

「まぁ……ちょっと待ってろって」


 内藤さんが何か画面に触れると、エッグは一瞬、ふんわりと上昇した後で少しスピードを上げた。


「空から花火見る機会なんてなかなか無いからな」

「花火も夜空も、遠く離れているから綺麗なんです」

「遠いから綺麗か……それもそうかもな」


 一人で笑う内藤さんの意図がつかめないまま、エッグは市街地を通り越していく。


「私、あんまり遠くには行けませんよ? 」

「10キロ圏内だろ、知ってるよ」


 小さな山に差し掛かったところで下降を始め、山の頂上付近に降り立つ。


「あの……何でこんな所に……」

「上がるぞ、前見てろ」


 その時、ちょうど目の前に花火が打ち上がった。山の上から見る花火は周りの景色に隠れることなく、大輪の花を咲かせる。


「え……すごい……」

「きれいに見えるだろ」


 咲いた花は一瞬でぱらぱらと散っていく。


 また……金の光が昇る。


 夜空をぱぁっと明るくして、散っていく花火。


 あの夜、海斗と見た花火……無邪気に花火に感動する横顔、夢中だった。手を握られて、遥と呼ばれることにドキドキしていた。


 きっともう私は海斗の事が好きで……その気持ちにあの夜、気づいたんだ。


 上がり続ける花火が微かに滲む。


 会いたい……会いたいよ、海斗。



「ごめんな」


 上がる花火をただただ見ていると、隣から声が聞こえる。いつもより小さくて弱々しい声。


「何がですか? 」


 頬を袖で拭って現実に戻る。


「お前にあそこを教えたら……海斗と会わせたら離れられなくなる事くらい、予想できたはずなのにな」

「一人、家で待つよりよっぽどましです」

「でも……」

「感謝してるんです、タマの事も……海斗の事だって内藤さんも危険なのに会わせてくれました。弱気にならないでください、必ず海斗を直したいんです」

「分かってるよ、分かってるけど……今のままだと直るまでもたないだろ……お前が」


 いきなり優しくなる内藤さんの目を見られない私は、夜空を見つめたまま言葉を返す。


「内藤さんまで心配しないでください。私は本当に大丈夫です。内藤さんだって帰ってないのは一緒じゃないですか」

「大丈夫じゃないだろ、毎日あんな所で……俺と同じ暮らしをさせる為にあそこに呼んだんじゃない。俺がそんな事させてたなんて海斗が知ったら絶対、怒るぞ」

「それは……」


 こんな時に海斗の名前を出してくるなんてずるい人だな。でも譲れない。今は海斗を直す為、1分1秒でも惜しい。


 沈黙する私達の空に、また大輪の花火が咲く。



 またいつか……海斗と見られるかな。



「こんな穴場、なんで知ってるんですか? 」


 誰もいない小高い山の上で真正面から上がる花火と夜景を満喫出来るなんて……全然知らなかった。


「教えてもらったんだ。それ以来、なんか悩んだ時とか疲れた時はここに来て、ぼーっと街を眺めてる」


 悩んだ時……か。


「それで、疲れた私をここに? 」


 内藤さんがふっと笑う。


「俺が来たかったんだ。それに……たまには息抜きも必要だろ? 」

「でも、海斗が大変な時に自分だけゆっくりする気には……どうしてもなれません」

「まぁな。俺も、海斗やロイド達を思うと、休んじゃいけないような気がするよ」


 さっきまで上がり続けていた、花火が止まる。


「でも……研究とか、何かの答えが出ない時ってさ、暗い部屋で文字とにらめっこしてても煮詰まるだけで……案外こういう、ほっとする瞬間にひらめいたりするんだ」

「ほっとする瞬間……? 」

「あぁ。なんでもいい、風呂に入ってる時でも散歩してる時でも。お前なりの……そういう時間を過ごしたら何か答えが出るかもな」


 静寂の夜空の中、初めてこの人の言葉が心にすっと入ってくる。


「海斗は俺が責任持って見てるからこの連休は少し休んでくれ。そして……ちゃんと息抜きしてこい」


 私なりの……ほっとする時間。


「今のお前には必要な事だと思う」

「わかりました……休みの間、海斗をよろしくお願いします」

「あぁ、じゃあ……行くか。遅くまで悪かったな、付き合わせて」


 そうしてエッグは再び浮き上がる。


 すっかり静かになった夜空を駆け抜けて、エッグは家に向かう。確かに……内藤さんの言う通りかもしれない。


 口を閉ざし、夜空を眺める内藤さんの隣で、私も自分の世界に入る。思ったよりいいかもしれない、目の前に広がるこんな星空も……。


 エッグが下降を始める。


 海斗に会えない連休も前向きに過ごしてみようか……少しだけそんな風に思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る