第23話 心の支え


 あれから少し経った。


 遅れてやってきた梅雨は大雨となって街に降り注ぎ、私達みたいなちっぽけな生命体は、通信障害や溢れかえる水に右往左往している。


 いつも通り仕事を終えた私もその一人……店の外、かろうじて雨をしのげそうな小さなひさしの下で……この時代に雨宿りする事になるなんて。


 午後から降り出した大雨は止む気配もなく、呼ぼうと思ったエッグも全て出払っている。


 雨の……湿った匂い……。


 島にいた頃、突然のスコールにやられた記憶がふと浮かぶ。大雨の中……海斗と二人で走ったっけ……びしょ濡れだったけど、楽しかったな。


 空を見上げる。


 雲は厚く、雨はまだ止みそうもない。



 待っていても、きっと何も変わらない……行こう。



「おい!! 」


 一歩踏み出したその時、目の前に車が停まった。避けていこうとすると、車から降りてきたのは内藤さん。


「乗れ」


 言葉と同時に腕を掴まれる。


「何するんですか!? 」

「良いから早く、急いでんだよ! 」


 内藤さんは、すごい力で私を助手席に引きずり込むと、黙ったまま車を発進させる。


「どこに行くんですか? 」

「帰るつもりだったんだろ」

「そうですけど……」


 全然、答えになってない。嫌になって話しかけるのを止めた。


 無言の車内。


 雨粒で外の景色が滲んで見える。


「海斗は……」

「変わらずだ。故障も見当たらない。脳のシステムも見た所は無事だった。でも……目覚めない」


 海斗が倒れてから10日。


 見える限りを調べ尽くしてもらったけれど、海斗の身体に何が起こったのかは分からないまま……時間だけが過ぎている。


 車は、マンションの地下に入っていく。


 送ってくれる気持ちはありがたいけど、その時間があるなら海斗を助けてほしい。


「その辺りで大丈夫です、降ろしてください」

「濡れたくないんだよ」

「内藤さんまで降りなくたって……」

「俺は、家に忘れ物を取りに来ただけだ」


 今日、初めてこっちを見た。


「行くぞ」


 車を停めるとさっさと降りていく内藤さん。


「ここに住んでるんですか? 」

「あぁ。あんまり帰ってこないけどな」


 先にエレベーターに乗った内藤さんは、慣れた手つきで8階を選ぶ。


「内藤さんも8階に? 」

「あぁ……」


 適当な返事をしてポケットに手を突っ込む……それきり喋らない内藤さんに、私も喋るのをやめた。


 エレベーターはすぐ8階につく。


「じゃあ……」


 ここで別れようと口を開く私の前を、内藤さんはさっさと歩いていく。私と同じ方向……と思ったら部屋の前で止まった。


「早く開けろ」

「は!? なんでですか? 」

「いいから早く」

「なんで私があなたを部屋にあげなきゃいけないんですか? 自分の部屋に用があるんですよね? 」

「あーもう! 面倒くさいな、用事があるんだ早く開けろ、5分あれば済む」


 なんで私の部屋に用事なんか。


 一瞬の隙をついてまた腕を掴まれ、あっけなくドアは開けられてしまった。内藤さんは遠慮無く部屋に入っていく。


「ちょっと! 勝手に上がらないでください」


 阻止しようと急いでも追いつけないまま、内藤さんは洗面所に入って扉を閉めてしまう。


「ちょっと! 内藤さん! 」


 呼び掛けても反応がない。


 リビングにバッグを置く。何をやっているんだろう……仕方なくキッチンで手洗いを済ませると、やっと内藤さんが出て来た。


「何してたんですか? 勝手に人の部屋に上がり込んで……」


「少し手を加えただけだ。お前には無理だろ、どう見たって届かない」


 上から下まで……まるでチビだって言うみたいに私を見る内藤さんに腹が立つ。


 これでも一応160cmあるのに。


「無理かどうかなんて、言ってもらわないとわからないです! 確かにこの部屋は借りてる物ですけど、住んでる私になんの説明もないなんておかしくないですか? 」


 私の話も聞かずに、内藤さんの目線はテーブルに向いている。


「これ……お前が書いたのか」

「話をそらさないでください! 」


 私の言葉に耳を傾ける事もなく、紙を手に取り視線を移す。


「や、やめて下さい。真剣に読む程のものじゃないんです」


 取り上げようとしてもさらりと交わしてまだ読み続けている。


「本気か……? 」

「海斗が目覚める方法を私なりに考えてみただけです……気にしないでください」

「借りていいか? 」

「え? それは構いませんけど……」

「参考にする。あいつも必ずお前の元に返すから……もう少しだけ待っててくれ。勝手に上がって悪かった」


 言いたいことだけ言って内藤さんは出て行った。何だろう……何か、疲れちゃったな……色々と。



 あそこにいる人達はみんなおかしい。


 水野さんも内藤さんも人の気持ちなんか考えずに、いつも唐突で、私を振り回してばっかりで……。


 はぁ……。


 その場にくったりと座り込む。


 疲れたなぁ……。


「はるちゃん。はるちゃんわかる? 」


 え……? 


 今の声……まさかそんなはず……。


「もしかして……タマ? 」

「はるちゃん、ひさしぶり、大人になったねぇ」

「タマ!? どうして……? なんでタマと話せるの? 」

「驚かせちゃってごめんね、ぼく、直してもらったんだぁ……時間かかっちゃったけど、はるちゃんと少しの間、一緒にいられるんだよ」

「直してもらったの? 少しの間って……」


 懐かしいたまの声……ずっと会いたくて、でも直す術もなくて、もうあの頃のタマには会えないって諦めていたのに。


「先生がねぇ、新しい機械にぼくを入れてくれたの。何日かはわからないんだけど、これが成功したらまたいつか、一緒に暮らせるかもしれないって」

「ほんとに? ほんとにまた、タマと一緒にいられるの? 」

「うん。うれしいねぇ……はるちゃんの声がするよ」

「うん、うん、私も嬉しい。タマ、会いたかったよ」


 海斗がいなくて寂しくても流れなかった涙が……大雨のように流れ出す。嬉しい……海斗がいなくて寂しいのに……タマと……まさかまた、こんな風に話せるなんて。


 タマに話したい事がたくさんあった。


 タマと離れてからの事も、一緒にいた頃の思い出話も……もちろん、兄貴が夢瑠と結婚した事も。


「よかったねぇ、お兄ちゃん結婚出来たんだねぇ」


 タマの言い方が面白くて久しぶりに笑えてくる。


「でしょ? あの兄貴が結婚だって! しかも夢瑠と。初めて聞いた時びっくりしたもん」


 私の事を誰よりも知っているタマは、代わりの効かない大切な存在。昔は、朝起こしてもらったり、まるでお母さんのようにお世話してもらったけど、今はもう大丈夫。


 大人になった私を見て、タマに安心してもらえるかもしれない。


「はるちゃん、ご飯作るの上手になったんだねぇ」

「でしょ? 頑張ったんだよ、タマが居なくなってから色んな事があったんだから」

「ふふ、うれしいなぁ、この匂いはポトフ? 」

「タマ、よくわかったね」

「ママがよく作ってたよねぇ。ちょっとだけ……ママのと匂いが違うけど……」

「そうかなぁ? 」


 お母さんのポトフと匂いが違うのは……恐らく材料の違い。どっちかというと、海斗が作ってくれたポトフに近いかもしれない。


 晩ごはんを済ませて、お風呂に入って……久しぶりに普通の夜をタマと過ごす。


「はるちゃん」

「なぁにー? 」

「呼んでみたかっただけ」

「そうなの? 何それ? 」


 タマと私はずっと、他愛もない会話を積み重ねながらあの日まで暮らしてきた。


「タマ? 」

「なぁにー? 」

「ごめんね……」

「どうしたの? 」

「もっと早く、直してあげられなくて」

「いいんだよ、頑張って大人になったはるちゃんに会えてね、今すっごくうれしいんだぁ」

「タマ……」

「はるちゃん、もうこんな時間だよ? 明日、お仕事でしょう? 寝なくて大丈夫? 」

「大丈夫だって、タマ。もう昔の私じゃないんだからね。せっかく会えたんだしもっと話そうよ」


 明日の朝、起きた時にタマと話せなくなっていたら……そう思うと寝るなんてとても出来そうにない。


 日付が変わるまで、タマとたくさん話をした。


「はるちゃん、もう寝ていいんだよ? 」

「だって……起きたら、タマがいなくなってそうで、怖いんだもん」

「はるちゃん、大丈夫。少しの間だけって言うのはね、たぶん一週間くらいだと思うんだぁ。だから明日はちゃんと、はるちゃんを起こしてあげられるよ」

「ほんとに? 明日もタマ……いてくれる? 」

「うん! だから安心していいんだよ」

「そうなの……? 」

「うん。ゆっくり休んでねぇ」


 安心していい……明日はまだ一緒にいられる。ほっとしたら急に瞼が重くなってきた。


 心地いいオルゴールのメロディが子守唄みたいに部屋に流れる。タマが流してくれるんだ……懐かしいな。


「タマ、おやすみ」

「おやすみ、はるちゃん」


 誘われるまま、私は穏やかな眠りについた。

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