第8話 あたたかいもの


 帰った後、海斗は早速キッチンに立って“あたたかいもの”を作ってくれる。


「ねぇねぇ、なに作るの? 」

「ないしょ、すぐできるから座ってていいよ」

「やだ……こっちにいる」


 なんとなく甘えたくて離れたくなくて、野菜を切る海斗の周りをふらふらする。シャツの裾をつまんだり……海斗の手元をちらっと覗いてみたり。


「何してんの? 」

「ん……シャツの裾つまんでるの」


 側にあったピンチでシャツの裾をちょんとつまむ。


「俺で遊ばないで」

「へへっ、おもしろいよ? 」

「なんか遥、梨理ちゃんみたい」

「かいちょって言われてたね、梨理ちゃんかわいかったなぁ~」

「よじ登られて大変だったんだから」

「あ、いいにおーい」


 鍋の中を覗くと、いつの間にか美味しそうなポトフがふつふつと煮えている。


「美味しそう……」

「うん、うまそうだね。そろそろいいかな」


 海斗がよそってくれたポトフはキャベツにじゃがいも、人参にブロッコリー、ベーコンと盛りだくさんで、ほんわりと美味しそうな湯気が立っている。


「いただきます! 」

「熱いから気をつけてね」


 熱そうだけど、食欲に負けて一口スープを飲んでみる。


「うまっ!! 」

「ほんとに? 」


 私の反応を見て安心したみたいに、海斗もキャベツを口にいれる。


「うん、うまい 」

「でしょ? すごいよ、海斗! どうやって作ったの? 」

「ん? 前に遥が作ってくれた味を思い出して作ってみたんだ」

「うそぉ! 私が作ったのより100倍美味しいよ!? 」

「そうかなぁ? 」

「うん!! これからポトフは海斗に作ってもらお」

「じゃあ遥にはまたブイヤベース作ってもらお」

「あれは島の新鮮なシーフードだったから、美味しく出来たんだよ。ここで作っても同じ味になるかわからないんだからね」


 二人で食べるポトフは温かくて、美味しくて身体の深い所が暖かくなっていく。


「ほっとするなぁ……」

「よかった……ポトフってさ、そういう食べ物なのかもね」

「そうなの? 」

「うん。遥が初めて作ってくれた時もそうだったから」

「そっか……」

「今もそうだけど、なんか気持ちが落ち着いてこない? 」


 そういえば初めてポトフを作った日……辛そうだった海斗の様子が少し和らいでいた。


 それで……作ってくれたのかな。


「うん、そうかも」

「うん……おいしい」

「よし、おかわりするけど食べる? 」

「うん、もうちょっと食べる」


 キッチンにいる海斗の背中に、ありがとうと呟く。島を出ることになった日からバタバタしていたけど、やっと私達の日常が戻ってきた気がしてうれしい。


「はい、お待たせー」

「わー、ありがとう」

「これさ、キャベツとベーコン一緒に食べるとうまいよ」

「そうなの? やってみよ」


 どんなに環境が変わっても二人で過ごすこの時間があれば、乗り越えていけるかもしれない……海斗の笑顔を見ているとそんな気持ちになる。


「ごちそうさま! 洗い物は私がするね」

 

 食器を持って立ち上がると、何故か海斗が笑っている。


「もう洗い物しなくていいんだよ、食洗機あるし」

「あ、そっか」


 今の家は高水圧食洗機があって、洗い物なんてしなくても置いておけば、機械がやってくれる。もう何日かここで食事しているのに、すっかり忘れてた。


「じゃあ、置いてくる」


 恥ずかしくなってキッチンに行くと、何故か海斗がついてくる。


「どうしたの? 何か飲む? 」

「ん? いや……遥いないと落ち着かない」


 二人分のレモンティーを用意してリビングに戻り、お気に入りの映画を見る。海斗は真剣に見てるけど、なんだか内容が頭に入ってこない。


「どうした? 」


 肩にもたれると海斗がこっちを見る。


「なんでもない」

「そう? 疲れたなら休む? 」


 首を横に振ると、海斗はまた映画を見始める。ちょっとだけ、がっかりしながら画面に目をやると海斗はさりげなく手を絡めてきた。


「この子、かわいいよね」


 海斗の視線の先には映画のヒロイン。


「あ、浮気だ。ひどーい」

「そ、そんなんじゃないって! 」

「へー、こういう子が好きなんだぁ」


 慌てる海斗をからかうのは面白い。


「遥の事は好きなの! かわいいとかとは違うんだから」

「へー、私はかわいいわけじゃないんだ」

「あ! だから違くて……そうじゃなくてかわいいけど好きなの! 」

「わかったわかった、もういいから。海斗、ムキになると面白いんだね」


 真剣に弁解する海斗が、とっても面白くて笑いが止まらない。


「あー、面白かった」

「遥がいじわるするから映画終わっちゃったよ」

「ごめんごめん」

「でも、やっと笑ったね」

「……そう? 」


 ほっとした表情を向けられるとなんだか照れくさい。もたれるのを止めると、海斗は唐突に口を開いた。


「ごめんね」

「なんで謝るの? 」

「みんなに会えれば……遥はうれしいかと思ってた」

「うれしかったよ。海斗がお父さん達に……ちゃんと話してくれて」

「でも、それだけじゃないでしょ? 夢瑠ちゃんや樹梨亜ちゃんの事もあるし」

「まあね……2年って、思った以上に長かったなって。樹梨亜がお母さんの顔になってたのは当たり前だと思うんだけど……夢瑠と兄貴の事はさすがにびっくりしたかな」

「俺もびっくりしたよ。お兄さんの事は分からないけど、夢瑠ちゃんも感じ変わってたし」

「ね……なんかね……知らない人みたいでちょっと寂しかった。でもこんな事言っちゃだめだよね、想像した通りの再会じゃなかったなんて、みんなとの別れを選んだ私がさ」

「いいんだよ、言って。それが遥の素直な気持ちでしょ? 」

「でも……」

「俺にはさ、言っちゃだめなこととかないから、思った事とかもっと話してよ……わかった? 」

「うん……わかった」

「樹梨亜ちゃんも、夢瑠ちゃんもさ……今日はいきなり行ったから落ち着いて話せなかっただけで、また元の関係に戻れるって、俺は思うよ」

「そう……だよね」


 海斗の腕にぎゅっと絡まる。


 いつからこんなに頼もしくなったんだろう……私はこのままでいいなんて思ってたのに、海斗は真剣に考えてくれていたし、緊張しながらもあんなにしっかり両親に話してくれた。


 樹梨亜や夢瑠だけでなく……毎日、隣にいる海斗も大人になっていく。どんどん変わっていく。


 それなのに私は……?


 今年で30になるのに、何か成長できてるのかな。海斗やみんなに甘えてばかりで、わがままも許してもらって……甘えすぎている。


 それどころか、みんなの成長を受け入れる事も出来なくて……変化に戸惑ってばかり。


「遥? 」

「……」

「ねぇ、遥ってば」

「ん? 」

「もう寝ようか」

「なんで? 」

「遥、疲れてるみたい」

「大丈夫だよ」


 そう言っても海斗は立ち上がる。


「これ以上ここにいると寝ちゃう。ちゃんとベッドで寝なきゃ」

「えー」

「ほら、立って。よいしょっと!! 」


 海斗が両腕を引っ張って私をなんとか立たせてくれる。

 

「眠たくないもん」


 そのまま、正面から海斗の背中に腕を回してぎゅっと抱きついた。海斗の腕が、私の背中に回る。もう片方の手で……優しく髪を撫でてくれる。


 ずっと……こうしていたい。


 海斗といる……そう決めたことを後悔しないでいられるから。







 真夜中……ベッドの中でふと目が覚めた。


 眠いはずなのになんだか眠れなくて隣を見る。すーすーと心地良さそうに寝息を立てて眠る海斗。


 彼は本当に優しい。


 幸せにするとか、ずっと一緒にいるとか……そういう言葉で安心もさせてくれる。


 寝顔を眺めていると元気が出てくるから不思議。


「一番あたたかいのは……海斗かもね」


 起こさないように小さく呟いて目を閉じた。







 気づくと、いつの間にか真っ暗な闇に包まれている。


 “草野海斗は死んだ”


 真っ暗闇のなか声だけが不気味に響く。


 聞き覚えのある……あの低い声。


 何で今頃……。


「海斗は死ぬ」

「誰!? 何なの? やめて!! 」

「死ぬ……今度こそ死ぬ。あいつにはタイムリミットがある」

「やめて!! 海斗は生きてる、死んだりなんかしない!! 」

「死ぬ、死ぬ……」


 “死ぬ”という単語と不気味な高笑いが闇に頭に響きわたる。


「嫌!! もうやめて!! 」


 真っ暗闇を、ずるずる落ちていく。


 そこには夢瑠も樹梨亜も家族も……そして海斗も、誰もいなかった。

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