第9話 ハプニング


「遥!! 遥!! 」


 誰かが……遠くで私を呼んでいる。


 頭がぼーっと……して……意識が遠のいていく。



 真っ暗な闇に包まれている。


 “草野海斗は死んだ”


 真っ暗闇の中、声だけが不気味に響く。聞き覚えのある……あの低い声。


また……同じ夢……。


「海斗は死ぬ」

「やめて!! 海斗は生きてる!! 死んだりなんかしない! 私が死なせない! 」



 叫んだ勢いで飛び起きると、そこは真っ暗闇ではなく、真新しい家のベッドの上だった。夢のせいか、シャワーを浴びたように全身びっしょりと濡れている。


「遥! 大丈夫? 」

「樹梨亜……どうして? 」

「よかったぁ~」

「わっ! 樹梨亜、汗かいてるから……」


 どうして居るのかもわからない樹梨亜に勢いよく抱きつかれて、なにがなんだかわからない。


「遥ずっとうなされてたんだよ? 覚えてないの? 」


 何にも覚えてない……最後の記憶は昨晩、ポトフを食べた事。


「うん……いたっっ! 」


 さっきから痛いなとは思っていたけど、喉をハンマーで殴られているような痛みで思わず、喉を押さえてしまう。


「やっぱり喉痛い? 」

「うん……」

「お医者さんがね、喉に炎症が起きててかなりひどい状態だって言ってたよ。熱もまだ上がるらしくて薬もらっておいたからね」

「ありがとう……」

「でも良かった……今日も目が覚めなかったらどうしようかと思った。汗かいたなら着替えなきゃね、海斗君には連絡しとくから」


 今日……も……?


「今日って何日? 海斗どこにいるの? 」

「11日だよ。おとといの朝かな、海斗君から遥の様子がおかしいって連絡もらってね、駆けつけたら高熱出してうなされてたんだよ」

「そうだったんだ……」


 ポトフを食べたあの日から3日も、眠り続けていたなんて……信じられなくてまだ夢の中みたい。


「海斗君、今日から仕事でしょ? 水野さんに頼んだんだけど、ロイド雇用は病欠がないから休めなくてね。それでさっき出掛けたところ」

「仕事……私も行かなきゃいけなかったんだよね……」

「水野さんがね、遥は慌てなくていいからしっかり休むようにって言ってたよ。気にせず休んでいいんだからね」

「そうなの……? 」

「ちょっと疲れが溜まってるのか身体のバランスが崩れてるみたいだから、体調整えないとね。しばらく看病手伝わせて! 早速だけど着替えはどこにあるの? 」

「えっと……クローゼットの中の引き出しに……」

「クローゼットの引き出しね、用意しておくから汗拭いてこよっか」


 頭がグラグラする状況で、樹梨亜がテキパキと準備をしてくれて着替え、リビングのソファーに座る私の目の前には、もう卵粥が置かれている。


「ありがとう……梨理ちゃんの事とか、大丈夫? 」

「うん、それなら煌がいるし、ピンクちゃんも見ててくれるから気にしないで」

「ピンクちゃん……? 」

「ピンクちゃんは……ほら、この間いたでしょ? ピンクのロボット。あの子、レンタルしてる子育てロボなの。3歳の誕生日まで国が貸してくれるんだけどね、ああ見えてすっごいんだよ、あの子が居たから夜泣きも対応出来たし、気持ちに余裕持って育児出来たんだ」

「そうなんだ……」

「って、ごめん。うるさいよね、食事中に」

「ううん……いいよ」

「だから遥は何にも気にしないで、ね? 」

「うん……ありがと……」


 樹梨亜の卵粥は柔らかくて、優しい塩味が広がっていく。


「え!? どうした? そんなに泣かないで、ね? 」

「ごめん……ごめんね」

「どうしたの? 何でそんなに謝るの、ほらほら、涙拭いて」

「ごめん……せっかく作ってくれたのに……美味しいのに……」

「謝らなくていいから……ね、一回落ち着こ」


 自分でもよく分からないくらい色んな感情が押し寄せて涙が止まらなくて、ひっくひっくとしゃくりあげるくらい泣けてくる……そしてそんな私の背中を、樹梨亜はさすって落ち着かせてくれる。


「私ね……」


 しばらく経って少し落ち着いた時、私の口から言葉がぽろぽろと……ひとりでに落ちはじめた。


「会いたかったの……自分で勝手に居なくなって……心配かけたのに……それなのに……本当は樹梨亜にも夢瑠にも……ずっと会いたかったの……」


 樹梨亜はたどたどしい私の言葉を、うんうんと頷きながら聞いてくれる。


「それなのにね……私、すごくわがままなの……嫌な人間なの。帰ってきたらね……樹梨亜は優しくて頼もしいお母さんになってて……夢瑠は……大人の女性になってた。当たり前なのにね、辛いの……知らない人みたいで。そんなね……嫌な人間なのに……樹梨亜はこんな風に変わらず優しく……してくれて……苦しいの……私、すごく酷いことした……」


 背中をさすってくれている樹梨亜の温もりに、まだ涙が溢れてきそう。


「遥……初めてだね。素直に気持ち話してくれるの」

「え……」

「遥はいつも気を遣って私達の話を先に聞いてくれるから、甘えちゃうんだよね……私も夢瑠も。私達、そんなことさえ遥が居なくなって初めて気づいたの……だから遥がそんなに悩んでるなんて……気づいてあげられなかった……謝るのは私の方だよ」

「樹梨亜……」

「それとね、安心して? 私……母親になったから変わった訳じゃないの」


 そう言った樹梨亜の顔から、ふっと優しい微笑みが消える。


「遥が嫌な人間なら……私も相当嫌な人間」

「どうして? 」

「嫌わないで……聞いてくれる? 」

「もちろん」


 大きく頷くと樹梨亜は静かに話し出す。


「私ね……好きな人がいたの。遥がいなかった間に」

「え……? 」

「自分でロイドをパートナーに決めて、子供までいるのにね……」


 初めて見た、樹梨亜のこんな切ない表情……。


「同僚だったの、明るくてお調子者で、最初は嫌いだったんだけど、一緒に残業したりクラスのこと相談してる内にね……まさかと思った。結婚して家でかわいい子供も待ってるのに。あんなに恨んだ父親と同じ事をしてるんだと思うと自分が嫌になって、こんなこと誰にも相談できないと……思った。それでも朝起きて出勤する時、気づくと心が躍ってるの。もうすぐ会える、そう思ってる私がいたの」

「樹梨亜……」


 てっきり自分で選んだ幸せな人生を歩めているんだと、思ってた。


「相手がロイドでもね、気持ちを持つこと自体が不倫なの。煌雅は私が望んだから生まれてきてくれたし……もしも、パートナーロイドを放棄したら……その時は遥以上に重い罪を背負うことになる。どんなに好きでも胸の中に留めておかないといけない事なの。でも……あんなに嬉しいんだね、好きな人から好きって言ってもらえる事」


 そう言って笑う樹梨亜の心は、きっと泣いている。


「逃げちゃおうか、何もかも捨てて……冗談だって分かってたけどそう言われた時……そうしたいって、思った。私ね、ママと私を支えてくれる人が欲しくてロイドにしたの。でもその頃ママも昇進して東京に行っちゃって……喧嘩にもならない煌雅と居て、何の為だったのか……分からなくなってて。彼も自分の役割の為にパートナーロイドと家族を作ってたんだけど……これで良かったのか、そう悩んでた。


 同じ想いを抱えて惹かれあったけど……それでも、全てを捨てて生活も変えて一緒になるなんて……出来なくてね、仕事を辞めて彼を忘れることにした……今は、これで良かったと思ってる。


 家にいて梨理の寝顔を見てるとね、この子を捨てるような事をしなくて良かった……これから先はこの子を守って生きていこうって。


 もう会えないけど……きっとあの人も、これで良かったって思ってるはずだから」

「樹梨亜……」

「やだ遥、そんなに泣かないでよ……」

「だって……だってそんなの切なすぎるよ……」


 泣いちゃいけないのは分かってる、樹梨亜が一番泣きたいはず。それなのに、熱のせいか言葉もまとまらないし、いつも以上に涙腺が脆くて……。


 寂しそうな、でもぐっと堪えるような樹梨亜を思わず抱きしめる。


「遥……ほんとはあの時、遥に聞いてほしかったの。一番に、話したかった」


 切なくて、寂しくて……やっと昔の傷が癒えて愛する人と巡り会えたのに。


 私達は抱き合ったまま二人で泣いた。風邪をうつす事も、目が腫れる事も、何も考えず気が済むまで。


「樹梨亜……つらかったね」


 泣き疲れてお互い少し落ち着いた所で、やっとまとまった言葉を話せた。


「ううん、もう大丈夫……嫌な人間でしょ? あんな可愛い子を放っておいて好きな人作るなんて」


 笑顔を作って泣き顔で笑う樹梨亜。


「でもね、それでやっと分かったの……遥が海斗君と離れられないって言った気持ちが。遥は何にも悪いことなんてしてない。好きな人といる道を選んだだけ。なのに別れてなんて言って、本当にごめん。


 今度、悩むような事があったら……その時は何があっても遥と海斗君に協力する。私と煌雅で助けるから、だから一人で悩まないでね」

「樹梨亜……ありがとう……大好き」

「私も。帰ってきてくれて嬉しい」


 涙を拭ったその笑顔はとっても優しくて、きれいで……樹梨亜が変わった理由が、分かった気がした。


「遥の看病しに来たのに泣かせちゃった。ひどくなったらどうしよう」

「大丈夫。こんなのすぐ治るから」

「無理しないで、食べたらまたゆっくり休んで。遥、いっつも無理するんだから」

「はぁい、やっぱり樹梨亜お母さんみたい。食べさせてもらおっかな」

「だーめ! 甘えないで自分でちゃんと食べてね」

「はぁい」


 そこに、さっきまで泣いてた樹梨亜はもういなかった。いつも通り、しっかり自分の役割を果たすカッコいい樹梨亜に戻っていた。


 夕方、早く帰ってきてくれた海斗と入れ替わりで樹梨亜が帰る。


「今日はありがとう」

「また来るね」

「うん、またね」


 樹梨亜が背を向けて靴を履く姿を眺めていると、胸のつかえが……少しおりた気がした。


「あ、そうそう。夢瑠に会った? 」

「うん……会った」

「じゃあ……聞いた? 」

「兄貴とのこと? 」

「聞いたんだ」

「ん……行ったら、ちょうど二人で居てね」

「嘘!? 出くわしちゃったの? 」

「うん……びっくりした」

「大丈夫? 」

「うん……しょうがないよね、二人の事に口出せないし夢瑠が幸せなら……」

「そう……」

「とりあえず、今度兄貴に会ったらただじゃおかない」


 まだ重たい気持ちになる話題を冗談に変えて笑い飛ばす。


「うん、とりあえず一発殴っていいんじゃない? 」


 樹梨亜と笑い合う。


「遥が元気になったら……3人で会えるといいね」


 そう言って、樹梨亜は帰っていった。そうだね、今度は3人で……笑い合いたい。


 樹梨亜と夢瑠と、私で……。

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