第7話 たった2年で…


 慣れた様子でお茶をれ、無言で私達の目の前にグラスを置くと、意外な人物は、当然の様に夢瑠の隣に座った。


「ありがとうございます」


 律儀にお礼を言う海斗に“あぁ”と一言だけ反応する以外、仏頂面で何も喋らない。


 重い空気。


 まさかこんな再会になるとは思っていなかった。夢瑠に会いに来たはずなのに、なんで兄貴が……当たり前のように夢瑠の隣に座っているんだろう。


「どういう事だよ、いきなり駆け落ちなんて」

「か、駆け落ちなんかじゃないって! これには理由があるの」

「理由……? 理由があれば何してもいいのか、どれだけ心配かけたと思ってんだ!! ふざけんな!! 」


 見たことない剣幕で怒鳴る兄貴に返す言葉が見つからない。


「あの……俺が悪いんです、ちゃんと説明させてください」

「関係ない奴は引っ込んでろ。俺はこいつに言ってんだよ! 」

「いきなりそんな言い方しなくたって……! 兄貴にそこまで言われる筋合いない! 」

「はぁ!? お前、周りにどれだけ心配かけたと思ってんだ、消息不明で生死も分からず……どれだけ探し回ったと思ってるんだ!! 残された人間の気持ちも考えず居なくなったと思ったら今さらノコノコ帰ってきやがって」

「言い過ぎ! 」


 その時、夢瑠の大声が兄貴をピシャリと一喝した。


「理由は話したでしょ。ハルちゃんは帰ってくるって約束を守ってくれたの。それ以上言うのは私が許さない」


 静かだけど迫力があって……貫禄すら感じてしまう夢瑠の言葉に圧倒される。夢瑠のこんな姿……初めて見た。


「……わかったよ」


 さっきまでの剣幕が嘘のようにぼそっと一言、兄貴が呟く。兄貴は昔から理屈っぽくて口喧嘩になると私でも勝てたことがない。その兄貴が……黙るなんて。


「ただ……簡単に許せないだけだ。俺達がどれだけ心配してうろたえ、探したか……こいつは何も知らないんだぞ。そのうち帰ってくるなんて笑い飛ばしてた親父が夜中に泣く姿も、夢瑠の」

「それは言わなくていい事でしょ。帰ってきたハルちゃん責めて何になるの? カイ君もハルちゃんも、ずっと苦しんできたの。本当なら日本に帰らずに自由に暮らす道だってあるのに帰ってきてくれたし、私が会いに行った時も私達や家族の事を考えてくれてた……会いたいって思ってくれてた。それだけじゃダメ? どうにもならない事だって世の中にはあるのに、そんな事もわからないの? 」


 兄貴を言い負かす程……夢瑠は必死に庇ってくれている。


 でも……私達が起こした騒ぎのせいで皆に迷惑がかかって、苦しめて……それは兄貴の言う通りだ。


 昨日、歓迎してくれた両親の笑顔が浮かんでくる……どれだけの言葉や気持ちを飲み込んで、笑顔で迎えてくれたんだろう。


 兄貴の言う通り、私のした事は許される事じゃない。


 右手に温もりを感じた。


 海斗がそっと、手を重ねてくれている。涙も出ないような重たい心を包んでくれている。


「悪かった。少し……言い過ぎた」


 兄貴が謝ったのは今までの人生で初めてだった、それなのに……罪の意識が大きくなったのは私の方。


 戻って来るなんて……都合が良すぎたのかもしれない。


 一度、この手の温もりを選んだ以上……家族や友達とまた変わらずに過ごせるなんて、思う方がおかしいのかもしれない。


「遥、もういいから顔上げろよ。いじめてるみたいだろ」

「ハルちゃん……ごめんね」

「兄貴の言う通りだよ……謝らなきゃいけないのは私のほう。みんなに……たくさん心配かけて、夢瑠に危ない旅までさせて……本当にごめんなさい」


 海斗も一緒に頭を下げてくれる。


「もういいから。あの旅行だってね、すっごく楽しかったんだよ、あの後、世界一周旅行に行こうと思ったぐらい。そうだ、そもそもハルちゃんの事がなかったらこうなってないんだからね? 」

「それはそうだけど……」


 兄貴と夢瑠は……そういう関係なんだ。さっきまで信じられなかったけれど、今、視線を合わせた二人を見てよくわかった。帰ってきて、また受け入れてもらえるなんて……虫が良すぎた、かな。夢瑠があんなに喋るのも……言い負かされて謝る兄貴も……初めてで、よく知っているはずの二人が知らない人みたいに見える。


「ごめんね、二人でいる時に邪魔しちゃって」

「いいのいいの、気にしないで。そんなことより……ハルちゃん達、もうどこにも行かないよね? 」

「うん。条件を守ればこの街でみんなと暮らせるって」

「ほんとに!? やったぁ! 」

「ありがとう……」


 喜んでくれる、夢瑠の笑顔が痛い。


「カイ君も元気そうでよかった」

「うん、夢瑠ちゃん雰囲気変わったね」

「そうかなぁ? 」

「髪おろしてるからだろ」


 海斗はふつうに話せているのに……私は何を話して、どんな私でいたらいいのかわからなくて会話に入れない。もっと色んな話が出来ると思ってた……夢瑠になら。


 でも、それすら望んじゃいけないのかもしれない。


「あの……聞いてもいいですか? 」

「なんだよ」

「兄貴って事は……もしかして遥の……」

「え!? 初めて会うの? 」

「あぁ……名乗りもせずに悪かった……兄の和樹です」

「初めまして。遥さんとお付き合いさせていただいています草野海斗です。よろしくお願いします」

「だいたいの事は夢瑠から聞いてる。その…ロイド……なんだって? 」

「はい。遥さんやご家族の皆さんにはその事でご迷惑おかけしてしまい、大変申し訳なく思っています」

「いや……」


 礼儀正しく、両親と話す時のように丁寧に頭を下げてくれる海斗。


「カイ君は優しくてね、いつもハルちゃんの事を一番に考えてるんだよ。だからお兄ちゃんが心配しなくても、ハルちゃんを幸せにしてくれるよ。ね、ハルちゃん」

「えっ……あっ、うん」

「別にそんな事気にしてねぇよ」


 私が混乱している間に、夢瑠が兄貴と海斗の仲をとりもってくれる。


 あんなに話すの苦手だった夢瑠が……。


 それも、隣にいる兄貴の影響だったりするのかな。兄貴と夢瑠の事、聞きたいようで……聞きたくないようで。


 夢瑠は笑顔で話している。


 でもどこか、私が会いたかったあの笑顔とは違うと感じながら、気づかれないようにそっと眺める……。


 コップを持つその手は少しだけ、震えていた。


 夢瑠は昔から人と話すのが苦手だったな……出逢った頃も、クラスメイトに話し掛けられると緊張して震えてしまうぐらいに。


 無理してくれてるのかもしれない。


 無神経でただの人嫌いな兄貴は平気かもしれないけど、夢瑠はもっと繊細で、この場を保つために一生懸命頑張ってくれてるんだ。


「急に来ちゃってごめんね、海斗、そろそろ行こう」

「もう行っちゃうの? 」


 夢瑠が引き留めてくれるけど、私も今日は混乱していてこれ以上は、頑張れそうになかった。


 早く帰りたい……帰って海斗とゆっくりしたい。


「夢瑠ちゃん。今日はまず帰ってきた報告で来たから、また改めてゆっくりご飯でも行こう。これ、俺達の新しい連絡先」


 海斗は私の様子がおかしいと気づいてくれているのか、代わりに連絡先を伝えてくれる。


「それから今日は、お兄さんとは知らずに失礼しました」

「いや……こっちこそいきなり悪かった。親父達にはもう会ったのか? 」

「はい。昨日、ご挨拶に伺いました」

「そうか……親が許したなら俺が言えることは何もないな。俺も普段は家にいるからまた食事でも」

「はい、ありがとうございます。失礼します」


「遥」


 玄関まで来て、もうドアを開けようとした時……兄貴が私を呼んだ。


「もう大丈夫なのか? 」


 答える元気もなくて、とりあえず頷いて夢瑠の家を後にした。







「ハルちゃん!! 」


 車に乗ろうとした時、聞こえた声に振り向くと、夢瑠が走ってくるのが見えた。


「あのね、ハルちゃん」

「夢瑠どうしたの? 」

「ごめんね……話さなきゃいけない事あるのに」

「夢瑠が謝ることないよ」

「でも……」

「兄貴の事なら気にしてないから大丈夫。また今度、ゆっくりね。もうどこにも行かないし、いつでも会えるから」

「わかった……また今度必ずね」


 夢瑠はそう言うと、とぼとぼと家に入っていった。また今度……その時には気まずさも消えているのかな。夢瑠を見送りながらそんな事を思う。


 二年の時は私が思っていたより長くて……夢瑠が兄貴と付き合ってるとしたら、やっぱり前のような関係ではいられない……のかな。



「大丈夫? 」


 車に乗り込んだとき、それまで黙っていた海斗が口を開く。


「ちょっと……疲れたかな」


 混乱したせいか、身体も頭も重くてあんまり大丈夫じゃない。


「ちょっとだけ……こうしてていい? 」


 海斗の肩に寄りかかる。


 ほっとする……海斗の匂いもこの温もりも。まだかすかに残るお日様の匂いが、南の島を思い出させる。



 楽しかったな……。



 家族も友達も困らせて得た幸せな時間を懐かしいと思う、自分にまた罪悪感。


「帰ったらさ、温かい物でも食べよ。作るから」

「ありがと」


 やっぱり……海斗はとっても優しくて私は、寄りかかったままそっと目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る