第6話 母の顔


 翌日、私達は遅い朝食を済ませると、樹梨亜に会いに行くため外に出た。


「地下から行けるらしいよ」


 降り始めた雨に濡れないようにと、海斗が案内してくれる。一本道の地下道を歩いていくと、広い駐車場のような所に出た。たくさん停まっている内の一台に乗り込むと、灯りがついてゆっくりと身体が浮く感じがする。


 どんどん進む景色。


 樹梨亜……元気にしているかな。


「大丈夫? 」

「うん、大丈夫」


 気遣ってくれる海斗に大丈夫とは言ったけれど、やっぱり緊張して……つい口数も少なくなってしまう。


 車は住宅街に入っていくと、懐かしい樹梨亜の家の前で静かに停まる。車を降りた途端、勢い良く玄関のドアが開いた。


「遥!? 」

「樹梨亜!? なんで? 」

「だってモニター見たら遥だったから、慌てちゃって……本物? 本当に遥なの? 」


 突然で驚かせたらしく、慌てすぎて樹梨亜の息は切れている。


「本物だよ、樹梨……心配かけてごめんね」

「本当に無事なの? 怪我はない? 」


 恐る恐る私の身体に触れながら、まだ信じられないという様子の樹梨亜。


「うん、大丈夫。私も大丈夫だし、海斗も……迷惑かけたけどちゃんと検査してもらって、もう危ないことはないから」

「そうなんだ……良かった。私の方こそ、あの時はごめん、どうかしてた。とりあえず上がって」

「ありがとう」


 樹梨亜の案内で家に上がると、玄関には家族で撮った写真とピンクのバラが飾られている。


「この子が梨理ちゃん? 」 

「うん、それは1歳の誕生日の写真かな。今、奥の部屋で昼寝してる」

「かわいいね」

「ありがと。そうそうリビングね、ソファー無くしちゃったんだけど、適当に座ってて」


 ひそひそと話しながら静かにリビングに入ると、樹梨亜の言う通り置かれていたソファーは無くなっていて、広くなった部屋の一角に子供が遊べるスペースが作られていた。


 開放的になったリビングで、置かれていたテーブルの側に海斗と座る。


「はい、どうぞ」


 樹梨亜が飲み物を出してくれる。私にはレモンティー、海斗にはコーヒー……海斗の分までちゃんと好みを覚えていてくれる、昔から樹梨亜はそういう友達だった。


「ありがとう。いきなり来ちゃってごめんね、連絡先が……分からなくなっちゃったから」

「いいのいいの。最近仕事辞めたからさ、だいたい梨理と家にいるんだよね」

「辞めたの? 」

「まぁね……そんなことより、またこの街で暮らせるの? 」

「うん……まだ制限はあるんだけど、駅前に部屋を用意してもらってそこで暮らすことになったんだ」

「そうなの? 駅前、すごい変わったでしょ? 」

「うん、帰ってきてびっくり、2年でこんなに変わるんだね」


 そう話していた時、ドアの先で何かガタンと物音がした。


 “ママさんごめん、梨理さん泣き止まないよ”


 そう言いながら現れたのはピンクの……ロボット? 抱かれている梨理ちゃんはギャーギャー泣いている。


「ごめんね、見ててくれてありがとう。梨理おいで」

「ママぁ……うわーん」

「よしよし起きちゃったの? ん? 」


 樹梨亜が抱っこしながらあやすと、安心したように泣き止む梨理ちゃん。


 “ママさん、お布団片付けて来るよ”


 ピンクのロボットはそう言うと、また奥へと消えていく。


「ごめんねぇ、落ち着かなくて」

「あ、いいのいいの。気にしないで」

「ちょっとだけ待ってて、梨理、お顔拭こっかぁ、ね」


 樹梨亜が梨理ちゃんの顔を拭いてあげると、梨理ちゃんは気持ち良かったのかキャッキャと喜んでいる。


 樹梨亜……すっかりお母さんだな……。


「梨理、ママのお友達来てるの、こんにちはできる? 」 

「……? 」

「遥と海斗くんだよー、こんにちはできるかな? 」


 樹梨亜の言葉に、最初は首を傾げていた梨理ちゃんも抱っこの向きを変えられて私達を見つけると、にこっと笑った。


「こんいちは」


 舌ったらずの言葉で、ぺこりと頭を下げる梨理ちゃんが可愛すぎてハートを撃ち抜かれた。


 可愛い、ちっちゃい子ってこんなに可愛いんだ。


「梨理ちゃん、こんにちは」

「梨理、遥お姉ちゃんに抱っこしてもらおうか? 」

「梨理ちゃん、こっち来る? 」


 樹梨亜が梨理ちゃんを下ろして自分の前に座らせると、梨理ちゃんが立ち上がって歩き出す。


「あれ? 」


 梨理ちゃんが歩いていったのは、私じゃなくて海斗の方……そのまま海斗の膝にちょこんと座る。


「えへへっ」


 驚いている私や樹梨亜に、嬉しそうに笑う梨理ちゃん。海斗はどうしていいか分からないようで戸惑っている。


「梨理、海斗君好きなの? 」

「かいちょ? キャハハハッ、かいちょかいちょ!! 」


 響きが気に入ったのか、海斗の名前を連呼しながら足をバタバタさせて喜んでいる。


「すっかり懐いちゃったみたいね」

「うん……」


 手を差し伸べていた私は、見向きもされなくて、ちょっとショック。


「まぁいいや、海斗君に相手してもらおう。梨理よかったねぇ」

「え、相手!? どうしたらいいの? 」


 まだ戸惑っている海斗が、それはそれで面白い。


「いいでしょ、そのぐらい。遥を勝手に連れてっちゃったんだから」

「そ、それは……」

「樹梨、それは私が勝手についていったから……」

「冗談だってば。夢瑠から楽しそうに暮らしてるって聞いてたし、手紙もちゃんと遥の字だったから、海斗君と楽しくやってるんだなと思ってたんだ。意外と早く帰ってこられたんだね」

「うん……色々あって島を出なきゃいけなくなっちゃってね。条件を守るって言う約束で帰れることになったんだ」

「条件? 」

「うん、決められた所に住まなきゃいけないとか、遠出できないとか……色々あるんだけどね。あ、そうそう。私、ロイドショップで働く事になったの。海斗は修理センターだっけ? 」

「そうなの? 修理センターなら煌雅と一緒だけど、遥はロイドショップって……大丈夫なの? 」

「専門知識がないし、何が出来るかは分からないんだけど……受けた以上は頑張るつもり」

「そうじゃなくて……水野さんと一緒なんでしょ? 」

「うん……まあね」

「今度は、何でも言ってね。遠慮とか迷惑とかそんなの考えなくていいから」

「ありがとう。でもあの時、樹梨亜や煌雅さんを巻き込んじゃったのは私のせいだから……」

「その事なら本当に気にしないで。煌雅も、記憶に残ってないはずだから今度会ったら普通に声かけてみて」

「そうなの? ……わかった」

「ねぇ……助けて……前が見えない」

「あーぁ、梨理降りてあげて? 海斗が嫌だって言ってるよ」


 私達が話している間に海斗は梨理ちゃんによじ登られていて、顔が梨理ちゃんの胴体でふさがれている。


「やーだー!! おーいーないー」


 嫌がって海斗にしがみつく梨理ちゃんを樹梨亜が引き剥がすと、梨理ちゃんはギャーっとまた泣き出してしまった。


「やーだー! かいちょー! ママじゃないのー!! 」


 足をジタバタさせて怒り泣く梨理ちゃんの元気は凄まじくて、今度は樹梨亜がなだめても収まる気配がない。


「ごめんねぇ、まだ眠いのかぐずりはじめちゃった……パパがいたら見てくれるんだけど……梨理、お願いだからバタバタしないで」

「やーだー! 」

「梨理ちゃん、もう一回こっち座る? 登らなかったらいいから」

「やーだー! やだなのー! 」


 見かねた海斗がもう一度、梨理ちゃんを誘うけれど、もう何でも嫌だと言う感じで泣きわめく梨理ちゃん。


「ごめんね、落ち着かせて少し寝ないとご機嫌ななめみたい」

「こっちこそ、梨理ちゃんのお昼寝邪魔しちゃってごめんね。今日はそろそろ行くね」

「ごめん……絶対にまたゆっくり話そう」

「うん、また今度ね。梨理ちゃんもまたね」

「玄関まで行くよ。梨理、抱っこするから暴れないで」


 相変わらずギャーギャーな梨理ちゃんと樹梨亜が玄関まで見送ってくれた。


「夢瑠にはもう会ったの? 」

「まだ、これから行こうと思ってるんだ」

「そっか……気をつけてね」

「うん、ありがと」

「梨理ちゃん、またね」


 帰り際、海斗が梨理ちゃんの頭を撫でると、やっと梨理ちゃんのバタバタが少し収まった。


「あれ? 梨理が大人しくなった」

「ほんとだ。よかった。梨理ちゃんまたね」


 帰る様子を察したのか、今度は私の言葉にもコクンと頷いてくれる。


「本当に……これからはいつでも会えるんだよね? 」


 まだ不安げな樹梨亜に新居の場所と連絡先を伝えて、私達は樹梨亜の家を後にした。







「梨理ちゃん、かわいかったね」

「うん、ちょっとおてんばだけどね」


 最初は戸惑っていた海斗も、まんざらではなさそうに梨理ちゃんの話をする。

 

「夢瑠ちゃんも、元気にしてるといいね」

「うん……そうだね」


 夢瑠、喜んでくれるといいな……南の島で過ごした夏休みを思い出しながら車に乗って、夢瑠の住むピンクの家を目指す。


 15分程で着くと夢瑠の家の前でインターホンを鳴らす。少し待っていると、ゆっくりドアが開いて……夢瑠が出てきた。


「はーい……えっ!! ハルちゃん!? 」

「夢瑠!! 久しぶり。約束通り帰ってきたよ」


 髪をおろし、ぐっと大人っぽくなった夢瑠が出迎えてくれる。


「ハルちゃん……ほんとにハルちゃんだぁ」

「みんなに話してくれてありがとう。会いたくて、いきなり来ちゃった」


 喜んでくれると思っていたのに、何かに気づいたように夢瑠は慌て始めた。


「ハルちゃん、えっと、あのね……」


 夢瑠が何かを言いかけたその時、奥から声が聞こえた気がした。


「夢瑠? 誰かお客さん? 」


 出てきたその人に、思わず目を疑う。


「え……なんで!? 」

「お前……!!」


 家の奥から出てきたのは、そこにいるはずのない意外な人物だった。

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