幕間・3 ~現在~

第30話 幕間・3 ~現在~


 十年近く前。

 僕が小学校五年生の時に転落死した相川璃奈が、いま目の前で上から下へ落ちていった。


 耳の中には、まだ相川璃奈が地面に激突し、あの美しい人形のような顔がつぶれ、細く小柄な肢体がグロテスクにねじれ、一瞬で折れ曲がった音が残っている。


 僕は廊下の突き当りにある窓、たった今、相川璃奈が落ちて行った窓に顔をつけてて下を覗き込んだ。しかし角度のせいなのか、視界には闇が映るばかりで地面の様子を見ることはできなかった。



 一体、何故。

 僕は混乱し、窓に顔を強く押し付けながら、狂気のように思考する。


 何故、璃奈がこんなところにいるんだ?

 生きていたのか?

 転落死した、というのは何かの間違いで……。


 しかし、だとしても何故、十年近く経ったいま、小学校五年生の時の姿のままだったのだ?

 見間違いだったのか?

 だって、相川璃奈のはずがない……。


 僕の脳裏にたった今、見たばかりの光景が浮かび上がる。


 逆さまになった璃奈の顔。

 恐怖で青白くなった顔の中で、目だけが恐ろしいほど大きく見開かれていた。その目は瞬きひとつせず、ただジッと僕のことを見つめていた。


 あの一瞬。

 一瞬でもあり永遠でもあるあの時間。



 



 僕の中の何かが、そう僕に伝える。


 間違いなく、相川璃奈だった。

 あの服装は、「あの時」と同じだ。


 いま、落ちて行った璃奈は、「あの時」の璃奈なのだ。

 僕たち六人が学校に閉じ込められ時、あの時の……。



 カウマイは「淵」である。



 僕は悲鳴を上げた。

 喉を裂くようなその声は、夜の静寂の中に何重にも反響して響き渡った。


 淵。

 流れが澱み、深く滞っている場所。

 全ての流れが……。


 

 僕は立っていられなくなり、床に手をつき四つん這いになった。

 唐突に胃の腑から何かがせり上がってきた。

 自分の内部から逆流してきたものを、僕は喉を開き必死に吐き出そうとした。


 しかし、そこからは嘔気と唾液しか漏れ出なかった。

 内部からせり上がってきたものに、胸と喉を圧迫され、僕はその場でのたうちまわった。

 呼吸が苦しく、息をすることさえ出来なかった。

 口の中に指を突っ込み、喉を鷲掴みにし、必死で乾嘔し続ける。



 身体の内部の息を吐き出しきったところで、夕貴が上の階から慌てたように下りて来た。


「おい、大丈夫か?」


 慌てて僕の背中をさすり出す。

 僕は夕貴の腕にしがみつきながら言った。


「ゆ、夕貴……いたんだ、璃奈が」

「え?」


 夕貴は驚いたように、僕の顔を見る。

 僕は構わずに言葉を続けた。


「いたんだ……璃奈が。『あの時』……小学生の時、探しても見つけられなかっただろう? ここにいたんだ、璃奈は。淵の……カウマイの一番奥底に」


 夕貴は呆然としたように、僕の顔を見つめる。

 それから、僕が指し示した暗い窓の外を眺めた。



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