第29話 見間違い
1.
僕たちはしばらくの間、声を潜めるのも忘れ、闇の中で手を打ち合い、喜びの声を上げ続けた。
その合間に、窓が開いていることが夢ではないか、何度も目で確認し、窓の外の夜の世界に手を差し伸べた。
外のひんやりとした空気が手に当たるたびに、助かったという安堵と喜びが胸に溢れる。
「でも」
僕はまだ喜びに顔を輝かせたまま、夕貴の顔を見つめた。
「どうして、この窓が開くってわかったの?」
夕貴は他の窓が開くかどうかは一切確かめていない。
それどころか廊下を歩く様子を見ると、目的であるこの窓に向かって脇目も降らず歩いてきたように見えた。
この窓が開くことがわかっているように見えた。
夕貴は薄闇の中で、笑いながら曖昧に首を振った。
窓から射し込んだ淡い月明かりが、夕貴の顔を青白く照らし出す。それはひどく幻想的な光景だった。
「そんなことより」
夕貴はこみ上げてくる笑いを何とか収めようと苦労しながら言った。
「急がないと。シノとユカリを連れて来よう。二人のうちのどちらかが……その……そうだったとしても、それならむしろ皆で外に出たほうが安全だ。後のことは警察や大人に任せればいいよ」
僕はその言葉に頷いた。
良かった。
やっと、外に出られる。
黒須が死んだことは恐ろしかったが、黒須が何故死んだのか、誰に殺されたのかなんてことは、僕たちが考えることじゃない。
全部、大人に任せておけばいい。
警察や先生はそのためにいるのだから。
そのときふと、僕は頭に浮かび上がったことを口にした。
「そう言えば、僕たちが理科室にいた時に見た大人、あれは誰だったんだろう?」
あの人影はあの時に見たきりで、それっきり気配すら感じない。
いくら校内が広いとは言え、これだけ色々と動き回り、探しているのに出会わないのはどこか奇妙な気がした。
「見間違いだったのかもしれないね」
夕貴があっさりとした口調で言った。
僕は夕貴の顔を見つめた。
「見間違い?」
夕貴は僕の視線を受けて、怪訝そうな顔をした。
「そういうことだってあるだろう? 何しろこんなに暗いんだから」
僕はもう一度、夕貴の顔を見つめた。
夕貴の頭の中からは、あの人影に対する興味は失われているようだった。
見間違い? そんなことはない。あれは確かにライトを持った大人に見えた。
夕貴だって、璃奈に聞かれたときは「絶対に見間違いじゃない」と答えていたのに。
そこまで考えて僕は首を振った。
夕貴も疑われてムキになっただけで、そこまで確信があったわけではなかったのかもしれない。
もう窓が開いて、外の世界に出られるのだ。
今さら、あの人影が何だったかなんて考える必要はない。
「急ごう」
夕貴がそう言って足を踏み出した。
僕たち二人はもつれあうように足早に廊下を駆け出した。
2.
廊下の先の三階にある五年二組の教室まで、僕たちは急ぐ。
二階から三階へ上がる踊り場で、不意に夕貴が足を止めた。
「どうしたんだい?」
驚いて僕が尋ねると、夕貴は何かを警戒するような表情のまま、形のいい唇の前で人差し指を立てる。
そのまま、僕の方へ頭を寄せた。
「何か……聞こえないか?」
夕貴が僕の耳元で囁く。
「教室のほうから……」
夕貴の言葉に従うように、僕は踊り場から見える三階の教室のほうに視線を向けた。
ガン!
ガッ! ガン!
確かに何かの音がする。
何かを床に叩きつけるような音だ。
その音は薄暗い校舎の静寂の中で、どこか場違いで不気味に響いた。
ガンガン!
ガッ! ガンガン!
音は一定のリズムを持って、闇に支配された虚無の空間を埋めていく。
恐怖に震えながらも、僕たちはその音にどうしようもなく惹き付けられた。
その激しい音が、どんな形であれ、この暗闇から、出口のない夜から、僕たちを解放してくれるもののように思えた。
とにかく僕たちは疲れきっていた。
体は鉛のように重く、何より緊張と恐怖によって絶えず張りつめていた神経が、焼ききれそうになっていた。
もう何でもいい。
ここから出してくれるものなら。
もういいから。
何でもいいから。
カウマイから僕たちを解放してれ。
僕たちは終焉を求めて、教室の扉を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます