第12話 責任を取る

1.


 ユカリはとっくに黒須の手を離していたが、黒須は執拗にユカリへの暴力を続けた。

 黒須がようやくユカリへの暴行を止めたとき、ユカリは地面に倒れ伏したまま、動かなくなっていた。

 ユカリの体が微かに上下しているのを見て、ひどくホッとしたことを覚えている。


 黒須は我に返ったように、用心深そうなどこか警戒したような眼差しで僕たちを眺めまわした。

 誰一人何も言わないとわかると、大きく笑いで唇を歪めた。

 何かを確信したかのような冷たい笑いだった。


 その時、僕は目の前にはっきりとカウマイが見えたような気がした。




2.


「おい、シノ」


 黒須がシノに呼びかける。

 道を歩いている、薄汚れた野良犬に物を投げつけるような口調だった。

 黒須が声をかけた瞬間、シノはビクリと体を震わせ、何とか笑おうと唇をひくつかせた。

 黒須はその顔を満足そうに眺めると、窓のほうへ顎をしゃくった。


「窓を開けてみろ」


 シノは転がるようにして窓のほうへ向かい、窓枠に手をかけて何とか開けようと力をこめた。

 しかし窓枠は先ほどと同じように、ピクリとも動かなかった。

 許しを請うようなシノの眼差しには目もくれず、黒須は言った。


「どうするんだよ、夕貴。開かねえじゃねえか?」


 尊大な響きを帯びた黒須の言葉に、夕貴は一瞬目を伏せた。

 少しそうしてから、ゆっくりと目線を上げる。


「まだ縁が切れていない。カウマイが終わっていない、っていうことだろう」

「どうすりゃあ、終わるんだよ? お前が言ったんだぞ、縁が切れりゃあここから出られるはずだって」


 夕貴は追い詰められたように、言葉をつまらせる。

 僕もシノも璃奈も黙って、息をひそめるようにして二人のやり取りを眺めている。


 どうするんだよ? 夕貴。

 わからないよ、僕にも。

 お前が言ったんだぞ。手をつないで離せば、縁も円も切れるって。

 それは……そういうこともあるかもしれない、っていうだけで。

 あるかもしれない? そんな適当なことを言ったのかよ?

 適当って……。

 責任を取れよ。

 責任?

 適当なことを言った責任だよ。お前のせいで、俺はやりたくもないことをやったんだからな。お前がそうすれば、ここから出られるって言ったから。

 そんなことは言っていない、よ。

 言ったね。お前が出られるって言ったんだ。お前のせいで俺は、ユカリと手をつなぐ羽目になった。お前のせいで、ユカリがおかしなことを言い出した。お前のせいで、ユカリが俺の手を離さなかったから、絶交できずここからも出られない。


「ユカリがこんな風に罰を受けたのもお前のせいだ」

「罰……?」


 夕貴は青ざめた顔のまま、のろのろと床から起き上がって皆から離れた場所に座っているユカリのほうへ目を向けた。

 闇に埋もれたその空間から、ユカリが吐き出す荒い息の音が聞こえてくる。

 黒須が唇を歪めて、笑った。


「ああ、罰だ。あいつのせいで俺たちは、ここから出るチャンスを失ったんだぞ。だからお前らの代わりに、俺があいつに罰を与えてやったんだ」


 夕貴は呆然としたように、黒須の顔を凝視した。


「僕たちの……代わり?」

「そうだよ、お前らは人に罰を与えるなんて出来ないだろう? 腰抜けだからな。だから俺がやってやったんだ。お前らが本当はやらなきゃいけないことを、俺が代わりにやってやったんだ」


「そうね」


 不意に璃奈が美しい顔に無理に笑いを浮かべながら、そう言った。

 おもねるような眼差しで、黒須のほうを見る。


「璃奈たちはみんなここから出たいのに、ユカリがそれを邪魔したんじゃない。悪いのはユカリだわ。黒須は璃奈たちのために、やりたくもないことをやってくれたのよ。璃奈は黒須が正しいと思う。ありがとうって思うわ」 


 璃奈は「みんなはそう思わないの?」と言いたげに、わざとらしく大きな瞳をさらに大きく見開いて僕たちの顔を見回した。

 その視線に応えるように、すぐにシノがつんのめるような勢いで答えた。


「俺も! 俺もそう思う! 黒須は俺たちの代わりにやってくれたんだって。本当はやりたくないけれど、ユカリのことを殴ってくれたんだって」


 自分の言葉に黒須が満足そうな顔をしているのを見て、シノはさらに声を大きくした。

 そのけたたましい声は、学校の裏庭に飼われている、狭く薄暗い鳥小屋の中にいるめんどりを思い出せた。


「ユカリの奴、おかしいよ。まるで俺たちをここから出したくないみたいだ。ひょっとして、今のこの状況、ユカリのせいじゃないのか?」


 シノがそう言った瞬間。

 室内の空気が変わった。


 僕たちはいっせいに、黒々とした闇がうずまいているユカリがいるだろう方向へ目を向けた。

 シノはその場にいる全員が自分の言葉に反応した、という一瞬の快楽に酔ったように、高い声で叫んだ。


「そうだよ、そいつがカウマイなんだよ。絶交、って、ユカリを切ればいいんじゃないのか?」

「切る?」


 黒須がシノの言葉に反応した。

 シノは黒須の視線を浴びて、不意に口をつぐむ。怖気づいたように目を伏せた。


「いや……その」

 

 口ごもるシノの様子には構わず、黒須は目を光らせて問いを重ねた。


「切る? ユカリを切るってどういう意味だ? シノ? どうすればいいんだ?」


 横から璃奈が、シノを叱るような声音で言った。


「シノ、黒須が聞いているのよ。答えなさいよ。ユカリがカウマイなの? ユカリを切る、ってどうすればいいの? そうすれば璃奈たち、外に出られるの?」


「わからない」そう言いかけて、シノは口をつぐむ。

 先ほどの黒須と夕貴のやり取りを思い出した。

 そんな顔をしていた。


(あるかもしれない? そんな適当なことを言ったのかよ?)

(適当って……)

(責任を取れよ)

(責任?)


 シノは震えながら、顔を青ざめさせていた。

 璃奈はそんなシノを責めるような眼差しで見ており、夕貴はひっそりと黙り込んでいた。


「おい、何とか言えよ、シノ。お前が言ったんだぞ、ユカリを切ればいいって」


 黒須が強い眼差しでシノを睨む。

 その目の奥には、猫が鼠をいたぶるかのような愉悦が僅かに揺れている。


 シノは叫んだ。


「ユカリを縛ってさ……、俺たちの邪魔にならないようにすればいいよ。つまり、それで俺たちの輪から外すことで、ユカリと……カウマイと絶交したことになるんじゃないかな?」

「ふん」


 黒須は少し考えてから満足そうにうなずいた。


「まあ、いい。確かにさっきみたいにの邪魔をされちゃ堪らないからな。シノ、お前が言い出したんだからな。お前がユカリを縛れよ。


 黒須の言葉に、シノは何度も何度も首を頷かせた。

 そうして追い立てられるように慌てて、教室の隅に置かれた道具箱からビニール紐とハサミを持ってくる。


「おい、皆。シノが『責任を取る』からな。ちゃんと見ていろよ」

「そうよ、自分が言ったことには責任を持たなきゃ。璃奈のパパもそう言っていたもん」


 いつの間にか璃奈が黒須の隣りに座って、顔と同じくらい綺麗な声で相槌を打った。




3.


 ランタン型の灯りが照らす中、シノは一人でビニール紐を切り、震える手でぐったりとしているユカリの手足を縛った。

 灯りの中に浮かび上がったユカリは、髪がくしゃくしゃに乱れ顔が腫れ上がっていた。

 僕はその姿を直視することが出来ず、かといって完全に顔を背けることも出来ず、ユカリの姿を見ていたくない一心で、辺りに視線をさ迷わせた。


 おいおい、そんなんじゃ縛ったうちに入らねえよ。


 黒須がそう言うと、シノは焦ったようにビニール紐を何重にもユカリの手に巻いた。

 

 ねえねえ、大丈夫? ちゃんと縛れているの? が逃げ出したら、璃奈たち、一生出られなくなっちゃうんじゃない?


 璃奈の言葉に、シノは紐を結び合わせる手にやっきになって力を込める。

 その顔には何かに追い立てられ、追い詰められているかのような必死な形相が浮かんでいた。

 額には大粒の汗が浮かんでいる。


 僕はただ震えて視線をあちこちに動かしていた。

 夕貴は僕の隣りで、暗い顔をして黙ってシノの様子を見ていた。


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