第10話 カウマイは「縁」である。
1.
カウマイは「宴」である。
僕たちはそう嘲笑うように言ったユカリの顔を、呆然として見つめていた。
数瞬後、黒須がいきなり立ち上がり、三つ編みのおさげになっているユカリの髪の束を掴んだ。
僕たちが止める暇もなく、そのまま引きずるようにして、ユカリの体を床に叩き伏せる。
「ふざけやがって。気持ちわりいんだよ」
「黒須、止めろ」
夕貴が黒須の体を掴んで、慌ててユカリから引き離す。
黒須は夕貴の細い体を振り払い、ユカリの髪を掴んで顔を上げさせた。
「てめえ、今度、そんなことを言ってみろ。その口がきけねえようにしてやる」
ユカリは黒須の顔を見て、僅かに嗤った。
その嗤いに神経をまともに刺されたように、黒須はいきなりユカリの頬を容赦のない力で殴りつけた。
教室の中にガンッという乾いた音が鳴り響く。
璃奈は固く目を閉じて顔を伏せ、僕とシノは怯えたように身を引いた。
「よせ、黒須」
夕貴が黒須を抑えつけるような強い口調で言うと、黒須はようやくユカリの体から手を離し、元の場所に腰を下ろした。
その目は赤く血走っており、何か文句でもあるのか、と言いたげに僕たちの顔を睨みまわした。
僕たちはその視線から逃れるように、慌てて顔を背ける。
僕は黒須を刺激しない程度に、ユカリの顔を覗き込んだ。殴られたときに唇を切ったのか、口の端から僅かに血が漏れていた。
璃奈が仕方なさそうにユカリにティッシュを差し出す。
小さな声で礼を言いながら受け取ったユカリの顔には、まだ笑みが張りついていた。
僕の心には、黒須よりもユカリに対する反発と嫌悪、そしてそこはかとない恐ろしさが湧いていた。
ユカリは黒須だけではなく、僕たち全員を馬鹿にしている。
僕たちが困惑し、怯え、びくついておろおろしていることを面白がっていることが、伝わってきたからだ。
ユカリは自分が僕たちに抱いている悪意を、わざと僕たちに伝えようとしていた。
黒須はその悪意に反応したのだ。
璃奈とシノも黒須に怯えたような視線を向けつつも、ユカリのことを嫌悪のこもった眼差しで眺めている。
日頃、教室で起こっているが日常の薄い幕で隠されているものが、この暗闇の中ではむき出しのままされている。
僕、シノ、璃奈の三人は、救いを求めるように落ち着いた様子の夕貴のほうに視線を向けた。
夕貴はしばらく考え込んだあと、無表情のまま言った。
「これはカウマイだ。そうじゃなきゃ、こんなことは説明がつかない」
「そんな……!」
璃奈が再び泣きそうな声で叫ぶ。
「じゃあ、誰も助けに来ないってこと? 誰も璃奈たちがここにいることに気付かないの?」
「カウマイだからね」
憂鬱そうに夕貴が呟いた。
「大人にはどうすることも出来ないよ」
夕貴が黒須のほうに目を向けた。
黒須は相変わらず、血走った目を見開いたまま、空中の一点を食い入るように睨んでいた。
「黒須もそれはわかるだろう?」
黒須は夕貴のほうを一瞥し、うるさげに鼻を鳴らした。
「俺は最初からそう思っている。そいつが当たり前のことを偉そうに言うから、ムカついただけさ」
俯いて一人で笑っているユカリを睨んで、黒須は吐き捨てるように言った。
「これがカウマイなら、どうすればいいの? どうすれば家に帰れるの?」
璃奈は夕貴と黒須、場を支配する二人にとりすがるように交互に眺める。先ほどから自分のことをなにくれと気遣うシノの存在は、璃奈の目には一切入っていないようだった。
「たぶん、何か手順があると思うんだ。呪いを解く儀式みたいなものがさ。カウマイを終わらせる何かが」
夕貴の言葉に、璃奈が不意に顔を輝かせた。
「璃奈、聞いたことがある」
暗闇に火を灯すように、明るい声を上げる。
「カウマイについていっぱい話したもの。秋くんとか美奈ちゃんとか葵ちゃんとか葉子とか雪とか真緒くんとか、隣りのクラスの未希ちゃんとかとも話したことがある」
「ああ、秋とか真緒とかがカウマイについて話しているのを聞いたことがある。なあ、黒須」
シノは卑屈な笑いを浮かべながら璃奈に同調し、次いで黒須に話を振る。
黒須はようやく興奮が治まったように「そうだな」と短く頷いた。
夕貴が顎に手を当てながら呟いた。
「秋や真緒がカウマイについて何かを言っていたのは、僕も聞いたことがある。何だっけな?」
「璃奈は知っているよ、秋くんと真緒くんと仲がいいもの。いつも話すから。この前も一緒にお出かけしたし」
璃奈は頬を赤く上気させながら、嬉しそうに高らかな声で謳った。
カウマイは
「秋くんがそう言っていたの。カウマイは縁だから、縁切りをすればいいんだって。絶交するみたいに」
「ああそうだ、そう言っていた、秋の奴が。絶交すればいいって」
璃奈の笑顔を見て、シノも笑って手を打ち合わす。
パチン。
その音が暗い教室の中に響き渡る。
「なるほどな」
黒須が言う。
「なるほどね」
夕貴が言う。
その後、不自然な沈黙が広がったため、僕は慌てて言った。
そうなんだ、知らなかったよ。
でもなるほどね、カウマイは縁だから、縁を切ればいいのか。絶交すればいいんだね、なるほどね。
秋くんと真緒くんがそう言っていたのか。
僕は二人と余り話したことがないからさ、何も知らなかったよ。
ゆかりは何も言わずに密やかなに笑っていた。
だが先ほどとは違い、その悪意には誰も反応しなかった。
日常が戻って安堵したかのような空気が少しだけ流れたあと、夕貴がおもむろに言った。
「じゃあ、絶交しよう。そうすれば、カウマイが終わるはずだ」
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