第5話 カウマイは「円」である。

1.


 名前を呼ばれながら軽く肩を揺さぶられて、僕はハッとした。

 目の前では、夕貴が端整な顔に不審げな表情を浮かべていた。


「どうしたんだ? 大丈夫?」


 僕は首を振り、何とか現実に意識を合わせる。店内のざわつきや客たちの笑い声が認識できるようになる。


「思い出したよ。人体模型のこと」


 それから、と僕は付け加えた。


「黒須のことも」


 夕貴は僕から目をそらし、暗い顔をしてグラスに口をつける。

 何となく、といった調子で言った。


「何だったんだろうな? あれは」


 結局、犯人は捕まらなかった。

 夕貴が呟く。


「変質者だなんて……、信じられないよ。誰にも見られずに変質者が学校に侵入してきて、トイレにいる黒須を見つけて滅多刺しにして、誰にも見られずいなくなった、って言うのか? そんなことが可能なわけがない」


 そう、そんなわけがない。

 それなのに、いつの間にかそういうことになった。


 大人たちは、誰も見たことがないどこにいるかもわからない変質者が黒須を殺したと信じていた。

 僕たち子供は、カウマイが黒須を殺したと信じていた。

 変質者とカウマイ。

 言葉が違うだけで、僕たちと大人たちは同じものを信じていたのかもしれない。


「本当に、ユカリが黒須を殺したのかな?」


 思わず言ってしまい、僕は自分の言葉にギクリとした。

 僕の言葉に、夕貴が答えた。


「傷は内臓まで達しているものもあったっていうからね。子供に……女の子に、そんなに深くは刺せないよ」


 夕貴の口調は、どこか上の空だ。

 そう、夕貴はそんなニュース記事のようなことを言いたいわけではない。僕もそんなことを聞くために尋ねたのではない。

 それはお互いに分かっている。


 僕たちは、子供だったあの時、疑問に思っていたことを話したいのだ。

 本当に、ユカリがカウマイで黒須を殺したのか、と。


 長い沈黙のあと、夕貴が言った。


「ごめん。他のクラスメイトにも連絡した、というのは嘘なんだ」


 顔を上げると、夕貴と目があった。

 その表情は真剣だった。


「君とどうしても話したかったんだ。黒須が殺されたことや、ユカリが死んだこと、その他にもあの頃、起こった色々なことについても。つまりさ」


 はっきりとした口調で、夕貴は言葉を紡いだ。


「カウマイについて」

「何で……」


 僕はほとんど怯えながら、身をすくませて呟いた。


「何で僕と? 僕は、君とはそんなに仲良くなかったし、黒須ともユカリとも、ほとんど話したことがない」


 僕は微かな音を立てて息を吸い込んでから、勢いよく吐き出した。


「僕は君とは違う。クラスの隅のほうにいただけだよ。あの時、何が起こっていたかなんて何もわからない。カウマイのことだって、クラスの皆がそう言っていたから、訳も分からず言っていただけだ。

 『カウマイ』って言えば、『仲間』になれるって言うか、クラスの輪の中にいるような気持ちになれたから。カウマイが何なのか、誰が言い出したのか、どういうものなのか、何も知らないよ。僕は何も知らない」

「輪の中、か」


 夕貴は呟きながら、ひとさし指で机の上に小さな輪を描いた。

 無意識の行動のように見えた。


「『カウマイはエンである』」


 そして独り言のように付け加えた。


「自分が円の一部である場合、その円を認識することはできるのかな?」


 夕貴の言葉は、何しかしら僕をゾッとさせるものがあった。

 遠い昔、どこかでその言葉を聞いたような気がした。

 僕はグラスの中に残っていた酒を急いで飲み干すと、スマホで時間を見るふりをした。


「そういうわけだからさ、もういいかな? 僕はあの時のクラスの中のことは、何も知らない。黒須のこともユカリのことも何も知らないし、何もわからない。他の子に聞いてよ」


 早口でそれだけ言うと、僕は立ち上がろうとした。

 夕貴が僕の腕を掴んだ。

 細身の優しげ姿からは想像もつかない、かなり強い力だった。

 痛みでしかめられた僕の顔に、夕貴は強い眼差しを向けた。


「いや、君じゃなきゃ駄目なんだ」

「何で?」


 悲鳴のような僕の言葉に、夕貴は静かな声で答えた。


「忘れたのか?」


 夕貴の瞳が大きく見開かれる。

 ガラス玉のように感情のない、動かないその瞳で、夕貴は僕の全身を凝視した。

 恐ろしいのに、その視線から目をそらすことが出来ない。


「君は、『エン』に参加しただろう?」




2.


 そう、ちょうど今くらいの季節だった。

 夏休みが終わり、二学期が始まってすぐくらいの時だった。

 僕たちは、学校に取り残された。

 

 たまたまだった。

 たまたまあの時いた、六人が……。



 夕貴は、機械のような感情のない声で続けた。


「僕と君、黒須とユカリ、シノと璃奈りな。僕たち六人で開いた『宴』、あれがカウマイの始まりじゃないかと僕は思っている」


 カウマイは「エン」である。


 夕貴は僕の腕を掴んだまま言った。


「ユカリが死んで思ったんだ。僕たちはまだ、円であり宴であるものの中にいるんじゃないかって」


 

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