第4話 人体模型

1.


 思い出した。

 

 あれは五年生の九月末だったか、十月か。

 家からの道のりを歩いてきたら長袖のシャツが暑く感じたので、それくらいの時のことだ。


 登校してきたら、何故か理科室にあるはずの人体模型が僕たちのクラスに置いてあったのだ。

 


 机が教室の壁際に全て寄せられていて、中央に空いたスペースに置かれていた。

 人体模型は何かを落とされたか、どこかに叩きつけられたかのように、胴体や頭の部分が割れていた。手足が不自然な方向に折れ曲がっていたが、いやだからこそ、その姿には本物の人間であるかのような生々しさがあった。

 その造り物の体には、赤い絵の具がべったりと塗りたくられていた。


 カウマイだ。

 カウマイだよ。


 僕たちは当時の習わしに従って、そう友達同士でひそひそと話し合った。



 破壊され赤い絵の具がかけられた人体模型は、「カウマイだ」ということになった。

 そしていつの間にか、「カウマイ」を行ったのは林ユカリだ、ということになった。


 噂話を聞くたびに、カウマイを行うユカリの姿が頭の中に浮かび、それは話が詳細になるにつれ、現実のもののように細部までくっきりとした鮮明なものになった。

 

 ユカリは人気がいなくなった放課後、もしくは夜に学校に忍び込んで、用具室にある台車を理科室まで持ってきて人体模型を乗せる。

 渡り廊下を台車を押しながら進み、教室まで行き、人体模型を床に転がす。

 校庭かどこかにある大きく固い石を持ってきて、それを人体に打ちつけた。


 まずは手足を。

 次に腹を、胸を、首を。

 最後に顔面を。

 

 何度も何度も。

 笑いながら。

 

 人体が破壊されるまで。


 そうして鮮血の紅を、ただの物体になった体にぶちまける。


 ユカリならそういうことをやりそうだ。

 だから、ユカリがやったに違いない。

 カウマイを行ったのはユカリだ。


 そういうことになった。



 でも、一体何のために?

 

 何のために、理科室の人体模型を破壊する、なんてことをしたのだろう?

 しかもわざわざ、自分のクラスの教室に持ってきて、そんなことをするなんて。


 その理由を、「僕たち」はみんな知っていた。




2.


 その一か月後、クラスの中でユカリにしつこく絡んでいた、黒須智也くろすともやが死んだ。

 全身を何か所も刺された姿で、男子トイレの個室で発見されたのだ。


 ああ、このためだったのか。

 僕たちはそう納得して頷いた。


 あの人体模型は、黒須だったのだ。

 

 カウマイであれば、人体模型を壊すことで黒須を殺すなど簡単なことだ。

 だとすれば、やっぱり人体模型を破壊して赤い血をバラまいたのはゆかりだったのだ。



 最初は校内の人間が疑われた。


 だが、いつまで経っても犯人が見つからなかったため、大人たちは黒須を殺した犯人は、学校に忍び込んだ変質者だと思うようになった。

 僕たちに校内で不審な人物を見かけたことがないかを聞き、見かけた場合は絶対に近づかず、すぐに近くにいる大人に伝えるように繰り返し言った。


 黒須が殺されたあと、学校はしばらく臨時休校になった。

 再開した後も、時間が空いている先生たちや市で雇われた警備会社の人がいつも校内を巡回するようになった。


 その姿を見て、僕たちは密かに笑った。

 そしてそれ以上に怯えた。


 大人たちは何もわかっていない。

 僕たちは黒須が何に殺されたか、なぜ死んだのか分かっている。

 大人たちにはわからない。

 あいつらは無知でアホだから、何も見えないのだ。

 

 自分たちの世界しか見えないから、存在しない変質者を勝手に生み出し、勝手に警戒し、勝手にそいつのせいだと思い、そして結局何もわからずに、訳の分からぬ意味を与えて勝手に終わらせる。


 虚構の世界を生きる、いつも空しい大人たち。

 どれだけの時間を生きても、その虚ろは埋まらない。


 カウマイは「怨」である。

 黒須は「怨」によって殺された。


 大人たちには、「カウマイ」から僕たちを守る力はない。

 そのことが、子供だった僕たちをひどく怯えさせた。

 

 

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