15-9

「ごめん! すまん! お邪魔しました!」

 同じく固まっていた田崎が我に返って踵を返そうとする。やはり同じように我に返った水村が「ちょっと、ちょっと待てって田崎!」と声を張り上げて引き留める。

「ちがうから。おまえが思ってるのとはぜんぜん、ちがうから」

「いやいいんだ坂平、誰にも言わないから俺。いやしかし意外な組み合わせすぎてちょっとおじさんびっくりですよ」

「あのな、ちがうの。これ、これなの」

 そう言って水村が手にしていた漫画を田崎の目の前に突きつける。その表紙を田崎がまじまじと見つめる。

「何これ。フルーツバスケット?」

「そう。あのな、これまじでだれにも言わないでほしいんだけど、おれ、少女漫画大好きなんだよ」

 田崎がきょとんとした顔で水村を見つめている。多分、俺も同じ顔をしていただろう。

「え? どういうこと」

「だからー、水村に漫画借りてただけなんだよ。でも恥ずかしいから、わざわざこんなところでこそこそしてたってだけ。まじでそんだけ」

「はー。坂平にそんな趣味がねえ。でもなんで水村さん? 接点なさそうだったけど」

「ブックオフで少女漫画立ち読みしてるとこ見られちゃったんだよ、こいつに。そしたら趣味がめちゃめちゃ似てるってわかってさ。うち弟と同室だから少女漫画とか買えないじゃん。だから、水村に借りるようになったんだよ」

 ゆっくりと言い聞かせるように説明をする水村の姿を階段に腰掛け見下ろしながら、俺は感心していた。よくもまあそこまですらすらと言い訳が口にできるものだ。多少苦しいような気もするが、まあ田崎は馬鹿だからきっと誤魔化せるだろう。何より、俺のふりをする水村を初めて間近で見たが、その自然さに驚いていた。俺は多分、ここまで器用に水村まなみを再現できていない気がする。

「これ、そんなに面白いんだ」

 いつの間にか漫画を手にしていた田崎がぱらぱらとページをめくる。

「おもしろい。超傑作ですよ」

「へー。俺も借りようかなー。ねえねえ水村さん」

 急に話を振られた俺は思わず体をびくりと震わせる。

「俺にも貸してよー。これ読んでみたい」

「え。う、うん、全然いいよ」

「なんだよおまえ、ほんとに読むのかよ」

「なんだよーいいじゃねえかよ、俺も少女漫画同盟入れてくれよ」

「なんだよそれ、勝手に変な同盟作んなよ」

「いいじゃん。よくない? あってか俺、うんこしたいんだった」

 はいこれ、と漫画を水村の手に返す。

「えっなんだよ、トイレ行く途中かよ」

「いやうんこバレやだからさ、いつも催したときはこの階まで来るんだよね。そしたらどっかで聞いた声するなーって思ったら二人がいるからさ、もうびっくりっすよ。ってか漏れるわ! じゃあ!」

 とうの勢いでまくし立てるとひらひらと手を振りながら廊下を走って去っていった。俺たちはその後ろ姿をぽかんと見送る。

「ねえ、へいきかな。変に思われてないかな?」

 さっきまでの堂々とした態度が噓のように、水村がおどおどと尋ねてくる。

「まあ大丈夫だろ。あいつ、あほだし」

 どうせその場の勢いだけで言っているに違いない。明日になれば自分の言ったことも忘れてへらへらしてるだろう。二人でそう結論付けたが、翌朝田崎はわざわざ俺の席まで来て「水村さん、おはよ」と声をかけてきた。今まで接触したことのない男子生徒の突然のあいさつに、笹垣と高見はぎょっとした顔で田崎を見上げていた。多分俺も同じ顔をしていただろう。それでも意に介さず、やはり田崎はへらへらと笑っていた。

「昨日のやつ持ってきてくれたー?」

「え。あ、ご、ごめん。忘れちゃった」

「えーまじかー。明日は頼むな! 何冊持ってきてくれてもいいから!」

 それだけ言うと田崎はいつものグループの中へ入っていく。おはー、と軽薄そうな挨拶を交わす声が聞こえてきた。

「え、なに、みっちゃんいつから田崎と仲良くなったの?」

 興味津々で聞いてくる高見に、別に仲良いってわけじゃないよーと言葉を濁す。ふうん、と低い声で笹垣が相槌を打つ。

 結果的に、屋上のドア前の秘密の待ち合わせに、田崎も参加するようになった。初めは漫画のやり取りだけだったのが、普通に雑談するようになり、たまに家に行って遊んだりするようにもなっていった。はっきり言って、めちゃくちゃ楽しかった。水村はもしかしたらこの関係性をあまりよく思ってなかったかもしれないし、田崎は多分何も考えていなかったのだろうが、俺はこの三人で遊ぶことが一番好きだった。結果的に、俺の高校生活で一番大きな割合を占めていたのは彼らとの時間だった。その世界では誰も俺に、水村らしさを強要しなかったからだ。もちろん女としての振る舞いは必要だったけれど、軽口も冗談も何も考えず臆することなく言えて、誰の目も気にすることなく笑えて、それだけで俺は居心地が良かった。いつの間にか、一緒にいることを隠すこともしなくなっていた。

 けれど笹垣や高見はそれをあまりよく思っていないようだった。直接言われたことがある。彼氏いるのに、男子とばっか遊んでるってどうかと思うよ。俺は曖昧に笑うことしかできなかった。

 二人の体には何も起こらないまま、夏休みが近付いてきた。俺が最も危惧していた期末試験も、かつてないくらい勉強したお陰か今までで一番のごたえだった。元々水村の脳味噌の構造がいいのかもしれない。反対に水村は「この頭、うまく働かないんだけど」とぶつぶつ文句を言っていた。失礼な話だ。

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