15-8

 神経をすり減らす日々だったが、一応は順調に過ぎていった。俺はいつまで経っても女子との会話がうまくならず成績も上がらず、水村は体が俺のお陰かそれなりにスポーツはこなしていたが部活は苦痛過ぎてほとんど行っていないようだった。それでも、当然かもしれないが俺たちが入れ替わっていることに気付く者は誰もおらず、それどころか俺たちは今もほとんど話したことすらないと周りは思っているようだった。悪事の相談みたいにこそこそと人目を避けておうを重ねていたのだから、当然といえば当然かもしれないが。

 互いの家には頻繁に遊びに行くようになった。ある日水村から言われたからだ。お母さんやお父さんやペロに会いたい。この年齢で異性を家に招くというのは変な誤解をされかねないとも思ったが、泣きそうな顔で唇を嚙む水村の顔を見てしまうと断ることなんてできなかった。それに俺だってその気持ちは痛いほど分かった。家が恋しくて、夜寝る前にその感情が爆発して、枕に顔を押しつけて声を殺して泣いたのも一度や二度ではなかった。あんなに疎ましかった母にも空気みたいな存在の父にも、たまらなく会いたかった。禄ともう一度、馬鹿みたいな話をして笑いたかった。もちろん水村にはそんなことは言えなかったが。

 水村の両親はやたらと娘の異性の友人を歓迎した。きっと元々仲の良い家族だったのだろう、その男は一気にその家に溶け込んでいった。楽しげに自分の母親と話す水村の姿を見て、ちくりと胸が痛んだ。俺はここにいていい人間じゃないとすら感じた。

 俺も水村に家へと招いてもらったが、俺の親は俺に対して無関心だった。元々自分の息子にあまり関心を寄せない親だなとは思っていたが、異性を家に連れてきても素っ気ない態度を取る母の姿に少し寂しくなった。時々父を見かけることもあったが、おつくうそうに会釈するだけで眼鏡の奥の小さな目は伏せたままだった。弟の禄に至っては土日に遊びに行っても野球に出てしまっていることがほとんどで、顔を合わせることもなかった。それでも、ほんの少しでも家族の顔を見られることは俺にとって救いだった。

 俺が一番していたのは、水村の彼氏のつき君だった。聞けば、付き合うきっかけはナンパされたからだという。二つ年上、出会いがナンパ、しかも名前が『月乃』。こりゃ相当チャラい男だろう。水村いわく付き合ってまだ三ヶ月くらいで手を握るくらいしかしていない、とのことだったが、貞操の危機も近いと俺は身構えた。いくらなんでも俺が中にいるときに初めてを奪われるわけにはいかない。そう覚悟してデートに臨んだのだが、月乃君は俺が想像していた野郎とは全く違う男だった。

 ポロシャツにジーンズという野暮ったい格好で、背もあまり高くなく童顔で、年上には見えない。やたらさらさらの前髪の奥の目は柔和そうで、ナンパをしてくるような男にはとても思えなかった。あとから聞いたところによると、友人にほぼ罰ゲーム的感覚で好みの子をナンパして来いと言われたそうだった。ところが標的にされた水村の方もそれほど悪い気はせず、そのまま付き合うことになったようだ。だから優しそうな人だからだいじょうぶって言ったじゃん、と怒られたが、女の言う優しいなんて何の参考にもならない。

 まなみちゃん、と月乃君は呼んだ。月乃君とのデートは映画館ばかりだった。しかも電車男とか宇宙戦争とかじゃなくて、聞いたこともないタイトルの見たこともない俳優が出てくる映画ばかりで、よく意味が分からなくて居眠りばかりしていた。映画が終わると月乃君は困ったような顔で、ごめんね次はもっと面白いやつ探してくるから、と笑い、責めも怒りもしなかった。

 月乃君はいい奴だった。少なくとも俺にとっては笹垣や高見よりもずっと話しやすく、一緒にいて楽しかった。映画の話になると饒舌になって、普段感情をあらわにしない月乃君がそのときだけは興奮しまくるのが面白かった。ほとんど何を言っているか分からなかったけれど、キューブリックとハネケとかいうのが好き、ということだけは覚えた。

 でもそんな月乃君が、おどおどと手を繫ごうとしてくるのはどうにも気色悪さが拭えなかった。スマートに手を繫ぐというのができないらしく、不自然な様子で手の甲を触れ合わせてきたりするものだから、苛々して俺が率先して手を握ってやることが多かった。その途端顔を赤くして口数が減る姿がなんとも気持ち悪かった。そもそも男と手を繫ぐこと自体抵抗感が強く、それでも俺は我慢して月乃君の手汗を手のひらに感じ続けていた。

 そんな日々を過ごして、季節は本格的に夏になろうとしていた。元に戻る気配はじんもなかった。

 その日も、俺達は屋上のドア前に集合していた。情報交換のついでに、俺は鞄に入れていた漫画を水村に手渡した。

「はいこれ。十七巻でいいんだよな?」

「そう! ありがとうー、うっかり買い損ねてたんだよねー。読んだ?」

「いや読んでない」

「えー読みなよー、フルバおもしろいよ! うちに全巻あるよ!」

「いやあるのは知ってるわ、さすがに」

 そんなやりとりをしていると、階段の下の方から誰かが顔をひょっこりと覗かせた。

 俺、つまり坂平陸の友人の田崎だった。空気が一瞬にして凍る。やばい。見られた。核心的な会話をしていなかったのはまだ幸いだったが、一緒にいるのを見られるのはできれば避けたかった事態だった。こんな所でこそこそ会って話すなんて、仲を疑われるに決まっている。変な噂を立てられたら厄介だ。どうやって言い訳をしよう。慌てて水村の方を見ると、完全に思考停止しているようで表情が固まっていた。

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