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15
鮮烈に記憶に残っているのは、目の前に広がるピンク色のカーテンだ。朝の気持ち良い目覚めには向かないショッキングピンクの水玉は、俺の寝ぼけた
そこには見覚えのある女がいた。同じクラスの水村だ。水村が、チェックのパジャマを着て腹を押さえた姿が映っている。
それまで混乱に支配されていた頭が、その姿を見たとき何故かすうっと冷静になった。そして自分の置かれた状況を把握する。理由は分からないけれど、俺は水村になってしまった。夢とか妄想の
それにしても何故水村なのだろう。特に親しくもないし、それどころかろくに話した記憶もない。ただ同じ授業を受けている大勢の中の一人だ。それに前日は何事もなく眠りに就いたのに。両親におやすみを言って、弟と一緒に布団に潜り込んだ。いつもと変わらない一日の終わりだったはずだ。
ふと時間が気になって部屋を見回す。壁の時計は七時の少し先を指していた。いつもよりだいぶ早い目覚めだ。学校に行かなきゃ、という考えが浮かんでくるあたり、我ながらなかなか優等生だと思う。
パジャマのまま部屋を出る。当然だが見覚えのない家で、無意識に足音を殺しながら階段を下りる。
一階に降りると、卵の焼ける香りが漂ってくる。キッチンを覗き込むと、エプロンをつけた女の人の後ろ姿が見えた。きっとこの人が水村の母親なのだろう。一気に手足が冷たくなる。この人を欺かなければ。
「おはよう」
ゆっくりと声に出す。自分が発したとは思えないほど高い声が出て面食らう。おはよう、と背を向けたまま水村の母親が返してくる。その後どう言葉を続けていいか分からず、思わず立ち尽くしてしまった。
「なにぼーっとしてんの。早く席着きなさい」
水村母がフライ返しを手にしたまま振り返る。目が合ってぎくりとする。水村には似ていないな、と思った。丸い
「なんであんたまだパジャマなの。顔洗ったんなら着替えてきなさい」
今思えば単なる母親から娘への小言程度の
よほど顔色が
「どうしたの、具合悪いの?」
うん、ちょっと、と
「あらあ。もしかして、昨日
「ちょっと、トイレ」
それだけ告げると心配そうな視線を背に廊下へ出る。ここだろうと思って開けたドアの先は浴室だった。慌てて閉めて、今度こそトイレのドアを開けて入る。
ズボンと下着を脱いで便座に腰掛ける。今思えば目の前に
すると、
くらくらと
水村の母親が慌てて駆け寄ってくるまで、俺はひとり廊下で丸くなって泣いていた。
結局その日は学校を休むことになった。ナプキンを替えられ、痛み止めを飲まされると、今日は大人しくしてなさいと布団に寝かしつけられた。冷たい手のひらを俺の頰に当てる水村の母の顔にはさっきの威圧感はなく、俺はほっとした。
昼前になると痛みも治まって、その頃ようやく俺は自分の状況を飲み込みつつあった。
どういう理由かは分からないが、俺は水村になってしまった。この状況を表す心当たりのある単語がいくつかある。入れ替わり。変身。様々な物語で目にしてきた現象だ。奇跡のような出来事だ。それが、おそらく俺の身にも起きている。
意味が分からない。何が奇跡だ。そんな最低な奇跡、クソ食らえだ。
そういえばそもそも、本来の俺は一体どうなってしまったのだろう。不安がよぎる。家に電話してみようか、と思い立つ。両親は仕事だし弟も学校に行っているはずなので、もしかしたら誰も出ないかもしれないが、かけるくらいしてみよう。一階にいる水村の母が、買い物か何かで出かけるタイミングを待とう。
そう思っていると、急に部屋の中に音楽が鳴り響いた。思わずびくっと体を震わせる。聞き覚えのある曲だ。なんてやつだっけ。そうだ、オレンジレンジの『花』だ。そんなことを考えながら音の出所を探していると、机の上で携帯電話がぴかぴかと点滅しながら音を発していた。どうやって出るんだこれ。慌てながらそれっぽいボタンを押して、どうにか通話状態になる。
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