30-2

 車でもう一度駅へ向かう。もうそろそろ着くよ、とメールを送ろうとしたら、着いたよ、と連絡がきた。打ちかけていたメールを削除し、向かう、とだけ返信する。

 駅のロータリーに車をつける。窓越しに外をのぞく。見覚えのある気難しげな顔が、きょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。窓を下げて、おーいと声をかける。こちらを見つけた途端に顔がぱっと人懐っこくなって、小走りでやってくる。

「おっす」

「おっす。お迎えありがとうー」

 そう破顔するその男の姿は一年前とほとんど変わらない。無表情なときの近寄りがたさと、笑った顔の陽気な大型犬みたいな能天気さのギャップもだ。くるくるとカールした濃い茶色の髪の毛も余計犬っぽさを演出している。

 お邪魔しまあす、と不必要なくらいのテンションの高さで助手席に乗り込んでくる。どことなく緊張をはらんだ声色だ。それを受けてかこちらもやにわに体がこわってくる。車が走り出してからは、しばらく無言だった。耐えかねて「昼食べた?」と尋ねる。声がやたらとかすれていた。

「新幹線の中でお弁当食べてきちゃった。食べた?」

「いや、食べてない。ほうじんで食べようと思って」

「あー、いいじゃん。あそこのサンドイッチ何気においしいよね」

 言いながら、くるりと半身を回転させ後部座席に視線を移す。

「なんかまた、新入り増えた?」

 おそらく後部座席の後ろに鎮座しているぬいぐるみたちのことを指しているのだろう。ずっと昔からあるもので、それが幼い娘の為だったのか母の趣味なのかは分からない。ただ、どこで買ってくるのか時折思い出したように増えたり入れ替わったりしており、たまに洗濯している様子もある。

「よく分かったな。なんか変な熊のキャラクターが増えたよ」

「これ、なんのキャラ? アニメ?」

「全然知らない。多分本人もよく知らないまま適当に買ってる気がする」

「あー、そんな感じするね、確かに」

 鼻歌交じりに返事をするその声はだいぶかんしてきていて、思わずほっとする。この男と会うたびいつも何か試されているような気がする。ちゃんと生きているか。悪いことはしていないか。健康でいるか。美しくいるか。そう詰問されているみたいだ。

 車を十数分走らせて、小さな駐車場に停める。異邦人という名前のその店は、幼い頃からずっとある喫茶店だ。会うときはここでお互いの話をするのがいつの間にか不文律になっていた。昔はスナックだったらしく、しばらくは酒に焼けた声のおばちゃんがカウンターで仕切っていたが、いつの間にか息子に代替わりしていた。それでもコーヒーとサンドイッチの味は変わらないままだ。

 席について、ハムサンドとアイスコーヒー、アイスクリームとコーラをそれぞれ頼む。妙にぬるい冷房も昔と変わらない。

「アイスクリームにコーラって」

 からかうと、いいでしょべつにー、と舌を出される。

「で、どうですか、最近は」

 目の前の男がおしぼりで手をきながら尋ねてくる。清潔感のある白いシャツの姿は相変わらず様になっていて、少し安心する。きっとそうあろうとしてくれているのだろう。ふわふわとしたパーマがきちんとセットされている。それはこちらとて同じことで、夫とデートしていたときよりも化粧や髪形に気合が入っている。れいなままだねと思わせないと負けだという気持ちと、相手の努力に見合う姿でいなければという気持ちがある。

「まあそんなに変わらずかな。夫も子供も元気だよ。娘はもうすぐ三歳だし、ようやくちょっと手がかからなくなってきたかなって感じ」

「へー。じゃあ今一番かわいいときじゃん」

「まあねー。でも生意気盛りでさ。もう毎日戦争だね」

「そりゃたいへんだ。で、ごめん、これ毎年聞いてる気がするんだけど、今はみずむらじゃなくて、なにさんになったんだっけ?」

はす。大丈夫、俺もいまだにいまいちしっくりきてないから」

 お待たせしました、との言葉と共にそれぞれが頼んだものが運ばれてくる。おーおいしそうー、と三十男がスプーンを手にはしゃぐ。

「水村は? 今の子とは結婚とか考えてないの?」

 んー、とアイスクリームを口に含みながらうなる。

「まあ仲良くはやってるよ、でも結婚ってのはあんまり考えてないなあ」

「でも三十にもなると周りから言われるっしょ。結婚しないの? って」

「言われる言われる。表向きはちゃんと言うよ、したいんですけどねえって。したくないって言うと根掘り葉掘り聞かれてめんどうなんだもん。まあ男だからね、女の子よりは口うるさくは言われないっていうのはあるだろうから、そこはいいんだけど」

「俺はそんなに色々言われなかったけどなあ」

「まあ、さかひらくん結婚したのわりと早かったもんねー。いつの間にかお母さんにまでなっちゃって」

 適当にあいづちを打ちながら、アイスコーヒーにガムシロップとミルクを入れてかき混ぜる。充分に混ざったのを確認すると、マドラーを取り出しくわえてなめとる。そしてそれを口から出すと、アイスクリームをうまそうに頰張る男に突きつける。

「言っとくけどな、お前な、さっきからところどころ女出てっからな」

 耐えきれなくなって指摘すると、えーうそやだーと口に手を当ててわざとぶりっ子する。

「でも言っとくけど坂平くんもだからね。さっきからちょいちょい一人称が俺になってるよ」

 さっきの仕返しのようにスプーンを突きつけられる。丸まったその背に店内の光が鈍く反射する。サンドイッチを頰張りながら、まじか、とだけ返す。

「まじだよ、まじ。かわいくないしやめてよねー」

「なんかあれかも。田舎に帰ると方言が出てきちゃう、みたいな。そういう感じ」

「あーでもそれわかるかも。二人きりだと油断して、素に戻っちゃう感じ。もうずいぶん経つのにね」

 そうだ。もうずいぶん経つ。今年で十五年。この体に慣れて馴染んだつもりでも、本来の自分のようなものはずっと奥に潜んでいるのかもしれない。

 十五年前。俺たちの体は入れ替わった。そして十五年。今に至るまで、一度も体は元に戻っていない。

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