やり直し

 唯の家に来てから2週間くらいが経った。

 一歩も外には出ていない。カーテンは閉め切って、電気もつけない。

 完全に社会からは疎外されている。

 私が望んだことだ。学校に行くのは辛いだけだったから。優しく包んでくれる唯に甘えてしまった。ずっと傍にいてもいいって言ってくれたから。……だけど。


「行ってきます、先輩」


 朝8時頃。唯を玄関先で見送ると、私はどうしようもない苦痛と寂しさに襲われる。

 ベッドに横たわった。スマホは唯に没収されちゃったから、することが無い。

 ひたすらに暇で辛い時間が流れる。そこにただ存在しているだけの私が虚しくなってただ自分のことを慰めたり、嫌気が指して唯の家だということは分かっていながらも物にあたってしまったりしてしまう。

 こんな関係、絶対おかしいっては気付いてる。気付いているけど。

 この現状から抜け出そうとして、唯にまで嫌われたらどうすればいいんだろう。こんな私を唯だけが支えてくれる。たとえそれが歪なものだとしても、私は唯がいなければ生きていけないのは事実だ。


 ベッドに仰向けに寝る。ふと壁にかけてある時計を見ると、午後3時を指していた。高校の授業が終わる時間。唯もそろそろ帰ってくる。

 ふと、涼子のことを考えた。あの子はいま、どこで何をしているのかな。

 矛盾していることは分かっている。私は無性に、涼子と話がしたくなった。

 思い出すだけで熱いものがこみ上げてくる。


 変なこと言ってごめんなさい。やっぱり、涼子とは仲良くしたい。


 唯の枕に顔を押し当てて、しくしくと泣いた。


「ただいま、先輩。今日はまっすぐ帰ってきましたよ……どうしたんですか?」


 部屋のドアが開き、外の光が入ってくる。ベッドで泣いている私を、唯が心配そうな目で見つめている。


「おかえり……。ちょっと、悲しくなっちゃって」


 ふうん、と言いながら唯は私が寝ているベッドに腰掛ける。

 私のことを下目に見ながら、唯が訊いた。


「それって、また涼子さんのことでも考えたからですか?」


 彼女のその言葉を聞いた途端、私の身体は無意識的に強張った。

 口の中が乾く。唯の目を見るのが怖かった。最近の唯は涼子の話をすると怒りを籠めた目をするから。理由はわからないけど。


「話、聞きましょうか?」


 今日の唯はなぜかいつもとは違って、まだ優しかった。

 もしかしたら、今回こそ分かってくれるかもしれない。


 私はベッドから身を起こして、彼女の横に座った。

 彼女の顔をおぼろげながら見つめて、口を開いた。


「ずっと考えてた。……今のままじゃダメだって。唯、私はやっぱり涼子と──」


 唯の目が、変わった。

 それを見た瞬間、私は声を出せなくなってしまった。

 これを言ったらダメなんだ。分かってたけど、つい言ってしまった。


「先輩さあ。何回怒ったら分かるんですか? そういうこと考えるなって言いましたよね」


 咄嗟にベッドから立ち上がった。

 唯から目を離せない。無意識のうちに玄関の方向へと後ずさりする。息が上がる。


「逃げないでくださいよ。どこに行ったってもう先輩に居場所なんてないんだから」


「や、やっぱり唯に守られるだけなんておかしいよ! ずっと居ても迷惑でしょ。だから……」


 あと2、3歩でドアノブに手が届く。ゆっくりと、ゆっくりと後ろに下がっていく。

 冷静に動けなかった。玄関の段差で足を踏み外して、思わず尻餅をついた。

 唯が近づいてくる。


「なんでいい子にしてくれないんですか? 先輩は私だけを頼ればいいんです。この家に来たのだって、先輩が来たいって言ったからじゃないですか。そのくせに逃げ出すんですか。前々から思ってましたけど、言ったことと行動をコロコロ変える、そのブレと主体性の無さはどうにかしたほうがいいと思いますよ。……ねえ?」


 徐々にこちらへ向かってくる唯から視線を逸らし、私はドアノブを見上げた。そこに手を伸ばし、ノブに手をかけた。

 ノブを引く。外の光が再び入ってくる。

 外界へと腕を伸ばす。そのときだった。


「だから、外には出るなって言ったじゃないですか!」


 身体を掴まれ、持っていかれる。

 ドアが閉まり、また部屋が暗室になった。


「た、助け──!」


 羽交い絞めにされる。

 唯が私を持ち上げたまま身体の向きを回転させて、勢いよくドアに寄りかかった。


「なにが、助けて、ですか。先輩を助けてるのは私なのに!」


「唯。ごめん、ごめんね。でも私は本当に、涼子に謝らないと死んでも死にきれないんだよぉ……!」


 唯に身体を拘束されたまま、私は泣いた。


「何回も言ってるでしょ。それで許してもらえるはずがないんですよ。謝ったらそれで満足ですか? 先輩は満足しませんね、だって許してもらいたいんでしょ。許してもらって初めて先輩の行為は完結するんです。でも涼子さんは絶対に許しませんね。あんたみたいな最低な人、普通だったら受け入れませんから。分かりますか、言ってること。謝ったってもう先輩が傷つくだけなんですよ」


「だ、だったら、どうすればいいのかなあ……ッ!」


「忘れてください。これまであったことは全部。繰り返しになりますけど、私に全部任せておけばいいんです。そんな簡単なことで、先輩は救われるんです! なんでそれができないんですかあ!?」


 唯がぎりぎりと歯を噛む。

 自分が一番のクズだなんてこと、私が一番理解してるよ。

 でも、そんなクズのまま死にたくないんだよ……!


 私も無力感と悔しさで顔をしかめる。


 そのときだった。


 突然、ドアからの爆音と鈍い衝撃が伝わって、私と唯がその場に倒れ込んだ。

 倒れるときに床に打ち付けてしまった頭を押さえながら、ドアの方に視線を向ける。ドアは大きく破壊され、その開いた穴から光が大量に差し込んでくる。


 逆光で、いまいち顔は見えなかった。

 だけどそこは、確かにいた。

 建物の解体用に使うでっかいハンマーを持った、縦ロールの髪型が特徴的なあの人が。




「ごきげんよう」




 あの、私のことが大っ嫌いな、会長えながさんが。

 会長は私の泣き腫れた目を一瞥するやいなや、高笑いを始めた。


「なっさけねえ顔ですわね! めちゃくちゃブスですわ! 日本三大ブスにランクインできますの! あー、久しぶりにアンタのだっせえ姿が見れて清々いたしますわ!!」


「え、会長さん……どうしてここに……」


 ドアを開ける会長。もうドアの意味を成してないけど。

 私が訊くと、もうひとり、誰か男の人がひょいと顔を出した。


「助けにきたんすよ~、綾芽さん!」


 渚くんだった。

 いまいち状況が飲み込めない。なぜ、この2人が……?


「流石にここまでやれとは言ってないんすけどね。これ器物損壊罪っすよ」


「無問題。このマンションは会長ビルディングの管理物件ですの」


「そういう問題っすか?」


 いまいち緊張感に欠ける2人。

 その2人を見て、唯が叫んだ。


「渚くんと……会長えなが……? 何のつもりですか。先輩のこと、また傷つけにきたんですかあ!?」


「さんをつけるんですの、このモブ助ヤロウ!」


「金田じゃねえんだから……」言い返す会長に、何かのツッコミを入れた渚くん。


 渚くんは私に手を差し伸べてきた。私がその手を恐る恐る握ると、彼は私を引っ張って外に連れ出した。……2週間ぶりの太陽だ。


「じゃ、会長さん後はお願いします!」


 私を奪い返そうとする唯の腕を、会長が受け止める。

 唯は舌打ちをした。


「だいたい! なんで会長が先輩のこと奪おうとするんですか!? 何のメリットがあって……!」


「メリット? ふん、そんなのあるわけがありませんわ。あんな性格が捻じ曲がったブス女を救い出したところで私には何一つとして。でもそうですわね、一つだけ言うなら──」


 会長は私を見てニヤリと笑った。


「生徒からお願いされたら、助けてやるのが生徒会長ですわ!!」


 また高笑いをする会長。


「さ、綾芽さん。逃げましょーね」


 渚くんは強引に私の手を引いて、走り出した。

 背後から声が聞こえてくる。



「さて。球技大会のリベンジマッチですの!!」







 唯のマンションから2分くらい走っただろうか。

 公園のベンチに2人で座る。


「……あ、やべ。綾芽さんパジャマだし裸足じゃないすか」


「はは……実はそうなんだ」


 衝撃的な登場と展開だったせいで、自分がどんな格好をしていたかすら忘れてしまっていた。指摘されて、突然恥ずかしくなる。顔が熱い。

 ……こんな風になったの、久しぶりだ。


「いやあ、大変だったっす。まず作戦立ててから、会長さんに頼み込みにいくでしょ。モブ子ちゃんのお家を特定するでしょ。ここだっ! っていうタイミングで突撃しなきゃいけないでしょ。心折れるかと思いました。もっと早く行く予定だったんすけどね」


 これまでの苦労をどこか自分に言い聞かせるように話す渚くん。

 渚くんは私のキョトンとする顔を見て、爽やかな笑みを浮かべた。


「あの、渚くん。……ありがとう」


「礼を言う相手は俺じゃないっすよ」


 渚くんは続ける。


ですよ。涼子あねきと翔が先輩を助けたいって言うから」


「涼子と、翔くんが……?」


 彼はうんうんと頷いた。


「2人とも、俺の大切な人なんで。その2人からの頼み、断れるわけがないっす」


 君にとっては大切な人だろうけど。

 あの2人にとって、今の私は大切な人……なんだろうか。


 考え込む私の肩を、渚くんがトンと叩いた。


「細かいことはいいんすよ」


「こ、細かくなんかないよ。大切なことなんだから」


「そーすかね。友達とか好きな人が困ってたら何とかしてやりたいって思うのに理由はいらないと思うけどなあ」


「……もう、2人とも私のこと友達だとも、好きだとも思ってないんじゃないかな」


 唯のあの言葉たちが、私の頭の中に渦巻いている。

 抜け出してくるところまではよかった。でも結局、私は唯の言う通り何もできないんじゃないか。そうしたら、私は唯までも失ってしまって……生きる屍に成り下がってしまう。


 渚くんは言った。


「姉貴は、綾芽さんと仲直りしたいって言ってましたよ」


「え……?」


 私は改めて彼の顔を見た。


「これ、マジっす。てか大変だったんすよ? 先輩と喧嘩したって言ってからずっと姉貴病んでて。学校にも行きたくないって言うから、2人でずっと遊んでたんです。ま、傷心旅行みたいで楽しかったけど」


 彼は笑顔を崩さない。


「ねえ綾芽さん。綾芽さんは今一番何がしたいすか?」


「私が今いちばんしたいこと……?」


 ええ、と彼は首を縦に振る。

 私がしたいこと、それは。

 

に、ちゃんと謝りたい」


 そう、3人。

 涼子と、翔くんと、唯。

 みんな、私のせいで病んだり苦しんだりしちゃったから。


「じゃあ、行ってやってください。……彼氏としてお願いしていいなら、まずは姉貴のところに」


「うん……私も一番に涼子のこと考えてたから」


「姉貴、中学校の近くのバス停にいるらしいんで」


 ありがとう、そう伝えた。


「あ、俺のスニーカー貸しますよ。においは嗅がないでくださいねっ!」


 彼は自分で履いてた靴を脱いで、私に差し出してきた。

 サイズが大きいけど……まあいいか。


 それを履いてベンチから立ち上がった。

 渚くんが言う。


「あとこれ、の親友としてのわがままなんすけど」


「翔って結構どうでもいいこと深く考えるようなヤツで。それで勝手に暴走しちゃったりする、ガキみたいなヤツなんですよ。結構簡単に舞い上がるくせに、そのぶんすぐ卑屈になるし。でも、でもいいヤツだから。……綾芽さんがよかったら、ですけど、また翔と仲良くやってください」


 私は頷いた。

 ……渚くんって、本当に高校1年生?



 私は走り出した。

 本当に自分勝手な人だよ。自虐的な笑みを浮かべる。

 でもやり直せるなら、私だってやり直したいんだ。

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