最終章 仲直り

先輩救出作戦

 渚が学校に来なくなってから、1か月が過ぎた。

 担任や部活の先生にも心配される。「翔、なんか知ってることねえか?」って。

 だけど、アイツは何故か連絡が取れないんだ。冬休みから部活にも顔を出さないし、家に行ってもいないし。

 涼子さんも休んでるっていったかな……。


 放課後。

 空席になったその机をつまらなさそうに眺めているときだった。

 突然俺の視界にニンマリとした笑みを浮かべたモブ子が入ってきた。


「最近、渚くん来ないけどどうしたんだろうねえ?」


 無性にムカついた。

 この子は渚の心配なんかしていない。むしろ嬉しそうだ。


「俺にも分かんないよ」


 俺はモブ子の相手をせずに、即座に教室から立ち去ろうとした。

 あと一歩で廊下、というところで、背後から声をかけられる。


「翔くん、気になってるんじゃないの? 綾芽先輩が今なにしてるか」


 振り向いて、ニヤニヤと笑うモブ子を見る。


「モブ子。俺はもう綾芽先輩と関わる資格なんてないよ」


「資格なんて知らないよ。みんなに言えることだけどさ、そこまで意味とか資格とかって重要? 自分の気持ちに素直になればいいのに。──あ、そうだ」


 モブ子が俺に近づいてきて、上目遣いで話す。


「もう君にとっても、私はモブ子じゃないと思うんだけど。私のせいだからね、翔くんが失恋しちゃったのって」


 なんだよ、コイツ。

 鳥肌が立った。


「これからは名前で呼んでほしいな。ゆい。よろしくね?」


「モブ子……お前、変わったよな」


 初めて会ったときのモブ子って、こんな感じだったか?

 もっと恥ずかしがり屋で、あんまり人前に出る性格じゃなかったと思う。

 ましてや、人に何かを要求するなんてことは、しなかった気がする。


「変わったんじゃないよ。自分の心に素直になったの。……ねえ、綾芽先輩のこと、聞きたいでしょ」


 俺は彼女から目を逸らした。

 5秒くらいして、モブ子は勝手に話し始めた。


「綾芽先輩はね、ここ1週間くらいは私の家で居候してるんだあ。先輩、かなり落ち込んでるから。翔くんに振られたからさ。君のせいでメンヘラになっちゃったの」


 可能性は否定できない。


「可哀そうなんだあ、綾芽先輩。だからね、私が先輩を支えてあげるんだ。誰にも愛されなくなった先輩を私だけが愛してあげる。今の先輩はね、もう私がいないとダメになっちゃった。先輩、何もできないからさ。──ねえ、翔くん、どう、悔しい? こういうのなんて言うんだっけ、ネトラレ? いやちょっと違うか……」


「頭おかしいよ、お前」


 俺はモブ子を突き放して廊下へと出た。

 これ以上、コイツの話を聞いてると狂ってしまいそうで。耳を塞ぎたかった。


 廊下を歩く俺に、モブ子が教室から身をひょいと出して叫んだ。


「そろそろ渚くんたち学校に来ないと留年しちゃうんじゃない? ちゃんと来るように言ってあげてねーーーー? 涼子さんも、多分そこにいるからさあ!」


 言われなくてもそうするさ、チクショウ!

 俺は走り出した。渚の家に向かって。

 今日こそアイツと、涼子さんを捕まえて話を聞き出してやるんだ。



 渚の家にたどり着いた。

 緊張しながら玄関のチャイムのボタンを押す。某コンビニエンスストアの入店音と全く同じ音が流れ始めた。玄関のドアが開く。渚だった。


「お、翔か。久しぶり」


 何気ない、普通の顔をしている渚だった。


「久しぶり、じゃねえよ! お前出席日数とか大丈夫なの?」


 1か月ぶりに会った親友を小突く。


「そういうのはちゃんと計算してっから安心して」


「……でも、なんで渚がこんな長期間休んでるの?」


 それを尋ねたら、渚はバツが悪そうに頭を掻いた。

 渚が自分の家の廊下のほうを見つめる。深いため息をついていた。


「姉貴がなあ、どうも精神的にかなり病んでて……」


「あの人が? 何があったんだよ」


「あー、ダメダメ。姉貴はさ、綾芽と喧嘩した、としか言わねえの。それ以上のことはダンマリ。それで、その……毎日俺のとこに来てる。学校には行きたくねえって言うしさ、だったら彼氏として傍に居てやんなきゃダメかなって……」


 優しすぎるよ、渚。


「ほどほどにしとけよ。一応テストも近いんだから」


「お気遣いどうも。……なあ翔、ちょっと部屋上がれよ」


 渚はそう言って俺を家の中へと招き入れてくれた。

 渚の家に入るのは中学生ぶりだった。

 廊下を歩いているとき、渚は言った。


「姉貴が病んでる原因が綾芽さんにあるんだとしたら。綾芽先輩と仲がいい翔と話をすれば、少しは解決に繋がるんじゃねえかなって」


 ああ。

 俺も綾芽先輩と仲違いしたっていうの、渚は知らないのか。

 それを話したらめちゃくちゃ驚かれた。

 渚は少し考えたあとに「まあ入れよ」と言って部屋のドアを開けた。


 渚が言った通り、渚のベッドの上に涼子さんが体育座りでぽつんと佇んでいた。

 しばらく染めていないせいか、少しプリンになってる。あと学校では見たことなかったけど、黒縁メガネをしていた。

 ……見るからに負のオーラが醸し出されている。顔が暗い。


「姉貴。少しの間、翔もいますけどいいっすよね」


 渚がそう聞くと、先輩は俺の顔をチラッと見て、コクリと頷いた。

 オレンジジュースが出された。それを飲みながら渚の部屋を見渡すと、一部分にお菓子やらなんやらの空箱だったりが大量に置いてあった。涼子さんが食べたのかな。……捨てろよ。


「涼子さん、そろそろ学校来ませんか?」


 俺は尋ねた。死んだ目をした涼子さんは首を小さく横に振る。

 この人がここまで弱るなんて相当だな。

 どうやって会話していこう。渚がなんとかしてくれ、って言う目で俺を見つめている。なんとかしてやりたいけど、涼子さんとの会話って難しいんだよ! しかもこの状態だし!

 渚の前で占いの話とか、してもいいのかも分かんねえし。

 ……ぼかして話すか。


「先輩に教えてもらったアレ、綾芽先輩にやったんですけど失敗しちゃったんですよねえ。せっかく考えてもらったのに、アレなんですけど……ははは」


 涼子さんが泣き出してしまった。

 なにやってんだバカ、って感じで渚に背中を叩かれる。

 無理ゲー過ぎるだろ。なんで綾芽先輩と喧嘩したのかも分かんねえのに!


「ごめん……アタシが、アタシが悪ぃんだ……」


 最悪な空気が流れる。


「教えなきゃよかったんだよ。翔に占いのこと……なんであんなことしちゃったんだ、アタシ……」


 頭を押さえて、ブツブツと呟く涼子さん。

 渚が眉尻を下げた。


「その……占いって、何のことすか?」


「話してもいいですよね、涼子さん」


 俺は涼子さんにそう尋ねた。彼女は何も言わなかったけど。

 理屈なんてないけど、多分、渚ならなんとかしてくれる。

 そういう気持ちと信頼があった。

 いつだってコイツは、冷静だから。


 俺は話した。

 綾芽先輩には未来予知の力があるってこと。

 林間合宿のとき、モブ子への違和感を覚えたこと。

 それらを抱え切れなかった俺は、綾芽先輩を振ってしまったということ。


 改めて自分から話して思ったけど、全部ウソみたい話だった。

 それでも渚は、真剣な顔で聞いてくれた。いい奴なんだ、渚は。


「──姉貴はどうして綾芽さんと喧嘩したんすか?」


 俺の話をひとしきり聞き終えた渚。今度は涼子さんから話を訊くつもりらしい。

 涼子さんは話すのを拒否した。渚もしつこく問い詰める気はないようで、ちょっと考え込んで、手をパンと叩いて言った。


「色々あるけどさ。全員悪いわ、これは」


 全員、悪い。俺は頭の中で繰り返した。


「特に翔は最悪。めちゃくちゃに最悪」


「そ、そうか……?」槍玉に挙げられた俺は聞き返す。


「当たり前だろ。いちいち好きってのに理由を求めるのってダサくね? ちょっと童貞くさくてキモイぞ」


「ど、童貞で悪かったな!」


「いいじゃん。翔は綾芽さんのことが好きで、綾芽さんは翔のことが好き。だったら相思相愛じゃん。何がダメだったの?」


 そう改めて問われると、俺はいまいち上手に説明できなかった。


「えっと……恋愛の始まりが占いで俺のことを知ったから、っていうのがどうも釈然としなくて、苛立って。それってやっぱ、好きの動機としてはおかしいじゃん」


 ここまで言って渚が、ハイハイだめだめと頭に手を当ててやれやれポーズをとった。


「さっき言っただろうが! 理由とか動機なんか、どうでもいいんだよっ!」


「お、お前はどうでもいいかもしれないけど!」


「俺は姉貴のこと好きだよ。でも、理由を説明しろって言われたらちょっと考えちゃうもん。人を好きになるのって結構曖昧じゃない? そこにこだわる時点でまだまだお子ちゃまなんよ、翔は」


 顔の辺りが熱い。自分が幼稚すぎるってことを自覚させられたから。


「……俺、綾芽先輩に謝ったほうがいいかな」


 許してもらえるかは分からないけど、そう思った。

 渚は照れる俺の背中をドンと叩いた。


「おう、謝れ謝れ。自分の間違いに気が付いたら素直に謝る。それが大切よ」


 んだよコイツ。本当に高校1年生かよ。ちょっと目の辺りが熱くなるじゃん。


「な、渚。あのさ……」


 黙って聞いていた涼子さんが、身を乗り出して渚の肩をポンポンと触った。


「アタシも……仲直りしたいよ。どうしたらいいかな……」


 彼女に頼られて、ちょっとやる気を出した渚。

 天井を見上げながらうーん、と唸り考えに耽っている。


「綾芽さんは今、何してるんだ?」


 俺のほうを向いて渚は訊いてきた。

 先輩ならいま、モブ子の家で居候している。事の顛末を話した。


「それって弱った先輩を自分のモノにしようとしてるだけだろ。愛でも何でもねえよ。だとしたら……」





「だとしたら、まずはモブ子ちゃんから先輩を解放しなきゃな。先輩救出作戦だ」





 腕組みをする渚が、そう言い放った。

 先輩救出作戦って……。なんだか大袈裟に話すから、ちょっと笑ってしまった。

 心配そうな目で、涼子さんが言った。


「どうやって助けるの。……アタシじゃ、モブ子を引き剥がすのは無理だよ」


 いや、バイオレンス前提なの!?

 涼子さん、弱ってるけど武闘派な思考は健在だった。

 

 だけど、この人の言うことも一理ある。


「モブ子は最強だからなあ。あの腕力にプラスしてサイコパス属性まで付いたらもう手が付けられないって」


 俺は呟いた。

 渚は首を横に振る。何か考えてることがあるのかな。


 キョトンとする俺たちを前に、ヤツは不敵な笑みを浮かべた。「まあ俺に任せとけ」と自信満々に話す。




「1人だけ、あの子に勝るとも劣らないお姉様がウチの学校には居るじゃないか──」












 学校から家に戻る。ワンルームマンション。

 私はずいぶんと遠くの高校に進学したから、一人暮らしなのだ。先輩を1週間以上も匿っても何も言われないのはそのおかげ。

 玄関のドアを開けたら、すぐ近くに先輩が寂しそうな顔で立っていた。

 ぎゅっとハグされる。私は先輩の頭を撫でた。


「えへへ、おかえり。遅いよ唯。……会いたかった」


「ふふ。コンビニ寄ってたんで遅くなっちゃいました」


 もう先輩の身も心も私のモノになったんだ。


 先輩に抱き締められている間、部屋の様子を眺めていた。

 朝掃除したはずなのに、ずいぶんと荒れている。たぶん先輩が衝動的に暴れちゃったりしたんだろう。でも私は怒らない。そんな先輩が愛おしいから。


「肉まんとピザまん買ってきたんですけど、どっち食べます? 好きなほう選んでいいですよ」


「えー、今日はピザまん食べたいかな」


 2人でソファに座って、アニメを見ながら仲良く、もぐもぐと食べる。

 先輩の寿命が尽きる今年の6月まで、ずっと2人きりで、こうやって過ごすんだ。

 もう誰にも先輩を渡してなんかやらないんだから。


 アニメの本編を見終わり、エンディングムービーを眺めているそのときだった。


「あのね、唯……。私さ、考えたんだ」


「何ですか? 先輩」


 笑顔で聞き返す。




「私ね、涼子と仲直りしたいなって──」



 バシッ。

 チープだけど重い音が部屋に響く。私が先輩の頬を叩いたからだ。

 ムカついた。ずっと甘やかしているのもなんだかんだ言ってダメだなあ。

 私と一緒にいるはずなのに。なんで他の人のこと考えるのかな。先輩は私がいないとダメなんだよ。もう何もできない人間未満のくせに。私以外のことを考えるなんて、変だなあ。安心しちゃうと、この子は変なこと考えちゃうんだね。


 何が起こったのか分からない先輩が、叩かれた頬を押さえて私を見つめる。

 思わず笑ってしまった。分かった、この子はちょっと脅しておかないとダメな子なんだ。

 私はキリッと顔を豹変させて捲し立てる。



「仲直り? できるわけがないじゃないですか。先輩、よく考えてみてくださいよ。自分から絶交しに呼び出したんでしょ? そのくせに仲直り? 何言ってんですか? バカですね。もう涼子さんは先輩のことなんか考えてないと思いますよ。いや、考えてない。……渚くんと一緒に、先輩のことなんか忘れちゃうくらい、楽しい楽しい思い出をたくさん作ってるはずですからね」


 私はすうっと息を吸った。



「何もできねえくせに人並みなこと考えてんじゃねーよ」



 涼子先輩の口調を真似する。優しいあの人はこんなこと言わないけど。

 綾芽さんにクリティカルダメージ。精神的苦痛で顔が歪んでいる。


「ごめんなさい。ごめんなさい唯。もうそんなこと言わないから……見捨てないで、許して……」


 懇願する先輩。


 そうだよ、綾芽先輩はそうじゃなくっちゃね。

 人に捨てられることに怯える、子犬みたいな存在で居てほしいんだ。


 私はいつもの笑顔に戻した。


「私こそ、取り乱しちゃってごめんなさい。ずっと傍にいますから。安心してくださいね」




 もう誰にも先輩を渡してなんかやらないんだから。

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